| まとめ■3527■3528、ごらんください。 ここにきて、変身願望という課題が投下された。
変身願望の凶悪事件って結構ある。 代表的なのは、名古屋大学女子学生殺人事件。 この犯人は、犯行に及んだ後に、「ついに犯った!」といった。
いったい「 何を何で犯ったのか? 」
羊と狼がいる。 羊の群れの中で、狼は羊の皮を被って生活をしている。 狼は、隙をついて羊を狩る。
こう考えると、 狼に変身したいという欲求はわからなくはない。 だって、強いから。
しかし、羊から狼に変身するのは並大抵なもんじゃないと思う。 羊はハムハムと草食べているだけだ。 狼に成るには、そのハムハム歯は「肉を引き裂く牙」にならんといかん。 遺伝子的に無理じゃネ?と思うのです。
映画「羊たちの沈黙」より、バッファロービルというキャラ(変態)がおるが 彼は、蛾の蛹に取り憑いていた。 続々編の「レッドドラゴン」も、フランシス、こいつもかなりの変態だが、 ドラゴンに昇格しようとしていた(笑)
なぜ、「別生物」になろうとするのか? ともに、「コンプレックス」が鍵になっているようだ
「コンプレックス」 Wiki調べ、いや、いろんな学者が登場して、結構めんどくさいね(笑) 意味を抽象化すると、絡み合った概念が私生活に影響を及ぼして、 思った通りに行かないといった具合か?
こっからなぜ、羊から狼までの変身願望へ上り詰めるのか? コンプレックスから、別生物への変化は必要なかろうに。 強い羊でいいんじゃないの?角がバァーン!とある雄羊みたいな。
「 現実世界 ― ギャップ ― 内面世界 」 (※内面世界に現実世界が入る?) このギャップってのは、「ネガティブな問題」を指している。 当の本人にとっては死活問題なのかな?
善悪の彼岸。 私が過去に堕ちた「善悪の彼岸のイメージ」は、裏側的なモノと感じる。
日本の裏側はブラジルのようなもので、 それは仕切りで隔てているわけではなく、 見えていないだけ。
つまり、悪というものが一気に攻め込んできてもおかしくない。 ブラジルが太平洋を渡って、日本に攻め込んでくるようなもの
善人が善でいられるのは、善以外のもの、払いのけて 本人の見えない場所まで、それを追いやっているだけではないだろうか?
よく、神はなぜ悪を作ったのか?という議題があるが、 悪は物の様に単体であるのではなく、もともと、私らの中にあって 悪を裏側から引っ張り出しているような気がする。
なぜ、そう思うのか?というと、 目に見える悪、可愛く言うと、「ヤンキー姉さん」は、実に堂々としている。 「むっつりスケベ」は気持ち悪いが、「単なるスケベ」は堂々としている。 善人で埋め尽くされている社会だが、 ヤンキーと言えばAさん、単なるスケベのB課長というように 受け入れらているんじゃないだろうか?
「 何かの皮を被った何か 」
やはり、これが気持ち悪い。 猫を被った女性は、やはり見透かされているような気がするな。 猫を被った猫ならいいわ。猫やもん(笑)
面の皮が厚いというが、やはり、「皮」がでてくるね。 面の皮が厚いってのは、顔しかなく、中身がスカスカやという事。
かなり絞られてきたな。
ここで、「狂気」が登場してくる。 皮膚とは何だという事だ。 正確にいうと、表情筋や仕草だよね。
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