| 2023/09/21(Thu) 16:12:24 編集(投稿者) 2023/09/21(Thu) 10:19:33 編集(投稿者)
パニチェさん、おはようございます。
以前、No33122で、引用した講義録を再掲し、その説明(ボツにしていたもの)を、補足として投稿しておきます。 パニチェさんは、キャロルのパラドックスについて一応理解しているつもりとおっしゃっていたので不必要かもしれませんが、まあ、何かの、あるいは誰かの参考になるとも限らないので一応。
このレスについては、返信不要です。 ******************* 実は、 >論理法則が語りえないということは具体的にはどういうことでしょうか? について、詳しく書こうとしたのですが、長大にならざるをえないのと、それでもわかりやすいと思えないことなどで、諦めました。 かわりに、関連するところを D・リー編(山田友幸他訳)『ウィトゲンシュタインの講義T ケンブリッジ1930-1932』 (勁草書房) から引用しておきます。飯田隆先生によるとウィトゲンシュタインがキャロルのパラドックスを知っていたとされる根拠になるところだそうです。最初の「(大まかに言って)」を除いて、カッコ内はふくろうの注です。
帰結するという関係は(大まかに言って)それらが成立しないということが思考不可能である場合に成立する内的関係(示されるべき関係)である。命題が真であるか偽であるかということは、実在との比較によってのみ決定されうる。したがって、p∨qがp・qから帰結するということは命題ではない(何も語っていない)。それは何の役にも立たない。(示されている)内的関係を見て取ることこそが、推論を正当化するのである。推論を正当化するためには推論のルールは何ら必要ではない。というのももし必要であったならば、そのルールを正当化するために別のルールが必要であったであろうし、それは無限後退に導くだろうからである。われわれは内的関係を見て取らなければならないのである。(上掲書、108-109頁) そして、この内的関係を正確に示す表記法が『論考』のTF表記法だった、ということなのです。 ****************************** 【ふくろうによる解説】 ここではオリジナルの推論を簡単な推論に置き換えて、キャロルのパラドクスを考えることにします。
p,q/∴ p という推論は正しい推論(前提の諸命題を真と仮定すると、結論も必ず真となる文形式)ですが、このとき、前提の2命題と結論は、真偽二値を有する語り命題(経験命題)です。 ここに、アキレスはカメの要請で、この推論を正当化する論理法則を書き加えたわけです。 p,q,(p∧q)⊃p/∴ p ですが、この (p∧q)⊃p という論理法則は論理的真理=トートロジー(論理的命題)であって、何事も語りません。 だから、本当は前提には置けないのです。置くということは、論理法則を語り命題(経験命題)とみなすことです。 そのために、次のように無限背進が始まるわけです。 p,q,(p∧q)⊃p,{p,q,(p∧q)⊃p}⊃p /∴ p なのでウィトゲンシュタインは、こういったミスリードが起こらないように、 p∧q: (p,q)[TFFF] p : (p,q)[TTFF] (p∧q)⊃p:(p,q)[TTTT] というふうに命題を表せば、p∧qの真理根拠がpの真理根拠に含まれている(内的関係)ので、p∧qからpを推論してよいことは一目でわかる、つまり、これら命題自身が示している、と考えたわけです。このことを明示したのが(p,q)[TTTT]です。 つまり、論理法則が推論を正当化するのではなく、命題自身が正当化する、ということです。
【追加編集の補足2】 上に述べたのは、先にNo33170で引用したT:6.1,T:6.11の解説にもなっているんですが、
T:6.1 論理学の命題はトートロジーである。 T:6.11 論理学の命題は何も語らない。(それは分析的命題である)。 T:6.2 数学は論理的方法である。 数学の命題は等式であるから、疑似命題である。 T:6.21 数学の命題は、思想を表現していない。
ひょっとすると、T:6.2,T:6.21の解説のほうがわかりやすいかもしれないので、これも説明しておきます。
数学の命題の本質を等式とみなしているということは、いわば 5=3+2 と同じということです。 そして、この式を意味分析して次のように表します。 1+1+1+1+1=(1+1+1)+(1+1) これが論理命題におけるT−F表記に相当します。 そうすると、数“5”と“3”と“2”の意味と、“+”の加法操作の意味を理解していれば、この等式が必然的に成り立つことはわかりますよね。(T:6.241の2×2=4の掛け算の証明も、本質的にはこういうことを示しています。) これは、 独身男=配偶者がない+男性 と本質的に同じである、つまり、等式はカント的な意味で、分析的命題であるということを意味します。 つまり、意味分析のみでその真理であることが必然であるとわかりますので経験的知識を拡大することもない分析的命題であり、またそのため経験的検証を必要としないのでアプリオリな命題ともみなせるわけです。
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