□投稿者/ パニチェ -(2023/09/02(Sat) 09:09:43)
| 2023/09/02(Sat) 09:27:26 編集(投稿者)
おはようございます、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。
■No32789に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
> ご参加、ありがとうございます。 > 刺激を与えられるよう、頑張ります(笑)
十分刺激的な返信ですし、自分の意見を見直したり、まとめるのに有益です。^^
> なるほど。 > 私としてちょっと気になるのは、「弱い独我論」ですね。
ですよね。^^
> 「他の存在も認める」にもかかわらず「実在するのは我のみ」として、「他の存在を同じ次元、あるいは同一フィールドとは見なさない」とするのであれば、その「他の“存在”」とは、いったいどのような意味の“存在”なのか?ということが気になります。
> 「我」の存在を“実在”=real existenceだとすると、「別次元の存在」を普通に考えると、「虚構」、もしくは「幻想」といった、“unrealな存在”あるいは“imaginaryな存在”ということになるように思いますが、 > だとするとこれらはしょせん「私の表象」であって、私の世界内の“存在”、すなわち我と同一フィールドの“存在”ということになってしまわないか?という疑問が生じます。 > この疑問については、どう考えられますか?
実在と存在の再定義が必要かもしれません。
先のレスで用いた実在というのは(哲学用語から離れてしまうかもしれませんが)「私たちの感覚器官を要せず直接的に存在を確信できる存在様相」ってことになります。 これに対して他の存在は「私たちの感覚器官を通じて間接的に存在を知り得る存在様相」です。
眼で眼を直接見れないし、意識で意識を意識することはできないように、五感で我の存在を感じることができない。 「眼と我があるから見える」ってことになる。
電柱の存在を幻想であるかの如く疑っていても、電柱に頭突きをすれば、痛いし血も出ることで電柱の存在を確信する(転法祖師の例えを無断借用w)。
エフニさんの例えを借りるなら映画「マトリックス」の世界で他の存在がバーチャルであっても体験している主体はバーチャル世界の外にあるカプセル中に実在しているということ。
他の存在はバーチャルであっても電気信号という外部刺激によって間接的に五感を通して知りえる存在ではあるが、その存在のフィールドが異なるということで、どうでしょうか?
電気刺激もバーチャル世界の外ですが、カプセル中にある“我”の外部であることに(構図的には)変わらない(フィールドが異なる)と思います。
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