| 田秋さん、こんばんはー(・∀・)
No.33798(田秋さん)
>まさかボクが「秘密の日記」読んでいることを知っての上でこれを紹介されたのではないでしょうね!?
(;・∀・)
「覗き見趣味と言われてしまうかもしれない。」by 野矢茂樹
それはさておき(;´・ω・)
田秋さんには是非、大修館書店のウィトゲンシュタイン全集1に収められている『草稿1914-1916』と合わせて味わっていただきたいとおもいました(;´・ω・)
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1914年12月8日
真な思想、偽な思想、いずれにせよ我々の思想の背後には暗い根拠が常に存在している。我々は後になってはじめてこの暗い根拠を光の中にもたらし、それを一つの思想として表明できるのである。
※ウィトゲンシュタイン全集1, 奥雅博 訳, p.186
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1914年12月8日
午前中、僕の足のことで「医務室回診」へ。肉離れだった。あまりたくさん仕事をしなかった。ニーチェ[選集]の第八巻を買い、読んだ。彼のキリスト教に対する敵意に強く心を動かされる。というのも、彼の書にも何らかの真理〔Wharheit〕が含まれているからだ。確かに、キリスト教は幸福へ至るただ一つの確実な道だ。しかし、もしある者がこのような幸福をはねつけたとしたらどうだろうか?!外的な世界に対する望みのない戦いの中で不幸にも破滅するほうが勝るということはありえないのだろうか?しかし、そのような生は無意味〔sinnlos〕だ。しかし、意味のない生〔sinnloses Leben〕を送ったってよいではないか?それは[生きるに]値しないのだろうか?それは、厳密に独我論的な〔solipsistischen〕立場とどのように折り合うのだろうか?しかしそれにしても、僕自身の生が自分から失われないようにするために、僕は何をしなければならないのか?僕は常に自分自身の生を −ということは常に霊〔Geistes〕を− 自覚していなければならない−。
※『ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』− 第一次世界大戦と『論理哲学論考』』(春秋社),丸山空大訳, p.72〜p.73 ・〔〕内はうましかによります。
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