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No33616 の記事


■33616 / )  ウィトゲンシュタインとニーチェ
□投稿者/ パニチェ -(2023/09/30(Sat) 08:40:23)
    まったく接点がないのかな?って思ってたら『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』にニーチェの言葉が引用されていた。

    ******* 以下『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記 P88〜P89』よりの引用 *******

    キルケゴールの著作には人をからかうものがある。そしてもちろんそれは意図的なものである。私に対して彼の著作が及ぼす影響そのものが意図されたものなのかどうか私には定かではないが。そして私をからかう者が、彼の問題に取り組むことを私に強いること、そしてその問題が重要であれば、これがいいことであることに何の疑問もない。──それにもかかわらず私の中には、このからかいを非難する何かが存在する。それは単に私のルサンチマンにすぎないのか。もちろん私はキルケゴールが彼の著作で美的なものの不条理さをその名人芸で示していること、そしてもちろんそれを彼が意図して行っていることを知っている。しかし彼の美学的著作には、言ってみればすでにかすかな苦味が含まれており、まさにそれ自身において詩人の作品とは違った味わいを持っている、というのも事実である。彼は詩人ではないのに、いわば信じられないような名人芸で詩人をまねているのだが、人はその模倣の中に、彼が詩人でないことを気づくのである。
    何かへと私をそそのかすために誰かが策を弄していると考えるのは不愉快なことである。確かにそのため(こういった策を弄するため)には少なからぬ勇気が必要だし、私にそうした勇気は──ほんの少したりとも──ありはしない。しかしそうした勇気があったとしても、それを用いるのが正しいことなのかどうかは疑問である。そうしたことをするためには、勇気に加えて隣人への愛の欠如が必要なのだと私は信じる。君が隣人愛と呼んでいるものは利己心なのだ、と言ってもいいだろう。ところでこれに加えて、私は利己心なき隣人愛というものを知らない。というのも私は他人の永遠の救いには口出しできないからである。私には次のようしか言えない。私、自分の魂を気遣う私、は自分が他人に愛されたいと願っている、そのように他人を愛したい。

    *************** 引用終わり ***************


    「きみたちは、隣人のまわりに押しかけ、そのことを言い表すのに、美しい言葉の数々をもってする。だが、わたしは、きみたちに言う、きみたちの隣人愛はきみたちの不十分な自己愛なのだ、と(ツァラトゥストラ 隣人愛について)」


    「ひとはなお隣人を愛し、隣人をわが身にこすりつける。というのは、暖かさが必要だからである。(ツァラトゥストラ 序説)」

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