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■34968 / inTopicNo.61)  第七章 阿羅漢の章
  
□投稿者/ pipit -(2023/11/08(Wed) 19:26:04)
引用返信/返信 削除キー/
■35051 / inTopicNo.62)  Re[47]: 第七章 阿羅漢の章
□投稿者/ pipit -(2023/11/15(Wed) 18:47:25)
    みなさま、こんばんは。
    ダンマパダ第七章、阿羅漢の章、第一偈です。(ダンマパダ90)
    (Bhikkhu Sujatoさま英訳をpipitが日訳しました。)
    ---------------------

    At journey’s end, rid of sorrow;
    旅の果てに、憂い悲しみを取り除き、

    everywhere free,
    あらゆるところで自由に、

    all ties given up,
    すべての結び紐は解かれ、

    no fever is found in them.
    苦熱は彼らの中には無い。
引用返信/返信 削除キー/
■35080 / inTopicNo.63)  第七章 阿羅漢の章・ダンマパダ91
□投稿者/ pipit -(2023/11/18(Sat) 07:19:53)
    みなさまおはようございます(^ ^)
    ダンマパダ91のThanissaro Bhikkhu様の英訳をpipitが日訳しました。


    The mindful keep active,
    don't delight in settling back.
    They renounce every home,
    every home,
    like swans taking off from a lake.

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/dhp/dhp.07.than.html

    気づきある人は活動的であり続け、
    落ち着くことを喜ばない。

    彼らはあらゆる家々を放棄する、
    すべての家々を、
    湖から飛び立つ白鳥たちのように
引用返信/返信 削除キー/
■35092 / inTopicNo.64)  第七章 阿羅漢の章・ダンマパダ92
□投稿者/ pipit -(2023/11/18(Sat) 18:58:33)
    みなさまこんばんは。
    Bhikkhu Sujatoさま英訳をpipitが日訳しました。
    (アクセス禁止になるので、英訳部分は後で投稿します。)

    (ダンマパダ92)

    何も蓄えず、

    「食」について理解している、

    その領域は無記号と空っぽの解放です。

    彼らの軌跡を辿るのは難しい、

    空を飛ぶ鳥のように。


引用返信/返信 削除キー/
■35093 / inTopicNo.65)  Re[50]: 第七章 阿羅漢の章・ダンマパダ92
□投稿者/ pipit -(2023/11/18(Sat) 19:03:49)
引用返信/返信 削除キー/
■35094 / inTopicNo.66)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/11/18(Sat) 19:17:58)
    おぉ 、 今加筆に気づきました o(^▽^)o

    ありがとうねー♪

    急にめちゃ寒だね!

    この前、実家に帰ったとき、【草鍋】食べに連れて行ってもらいました。

    山盛りの草が出てきたよ、おもしろかったです

    風邪などひきませんように!

引用返信/返信 削除キー/
■35096 / inTopicNo.67)  Animitta・無相 について
□投稿者/ pipit -(2023/11/18(Sat) 22:09:15)
    みなさまこんばんは♪
    ダンマパダ92のパーリ語原文を見てみました。

    https://suttacentral.net/dhp90-99/pli/ms?lang=en&layout=plain&reference=none&notes=asterisk&highlight=false&script=latin
     
    (※記号省略)

    Yesam sannicayo natthi,
    ye parinnatabhojana;

    Sunnato animitto ca,
    vimokkho yesam gocaro;

    Akaseva sakuntanam,
    gati tesam durannaya.

    ===========

    Bhikkhu Sujatoさまが
    「the signless 」(記号が無い)と訳された原語は【animitto】が気になって、検索したら、《Animitto Sutta》が出てきました。

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn40/sn40.009.wlsh.html

    サンユッタニカーヤ40.9かぁ、と、光明寺さまのホームページを探すと、日訳されていました。

    https://komyojikyozo.web.fc2.com/
    「相応部」→「六処篇」→「モッガラーナ相応」→第九経

    光明寺さまは【Animitta】を【無相】と日訳されていました。

    経典文読んで、、、今の私には難しい、、、

    とりあえずwikiさんの「無相」の説明を
    『無相(むそう)とは仏教における用語の一つで、形や特徴がないこと。対義語は有相(うそう)[1]。一切の執著から離れた境地をも指す。三解脱門の一つに数えられる[2]。』

    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%9B%B8

    アニミッタ、で、無相と思うのですが、先のページに、
    Nimitta. The characteristic features of anything.
    という説明が載っていました。
    ニミッタが「相」という意味で、内容は「何かの特徴」みたいな感じかな。
    それが、無い、というのが「Animitta」ですかね。


引用返信/返信 削除キー/
■35104 / inTopicNo.68)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/11/19(Sun) 18:30:08)
    2023/11/19(Sun) 22:25:24 編集(投稿者)



    Animitto Sutta (英訳:The Signless)
    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn40/sn40.009.wlsh.html

    は、今の私には難しすぎて置いておくつもりなんですが、、、
    冒頭が気になります...(※冒頭文は、経典の英訳ではなく、経典内容の説明のようです。)

    ========
    [1] [The Ven. Moggallaana has described how, with the aid of the Buddha, he has passed through all the jhaanas[2] right up to the "sphere of neither-perception-nor-non-perception."]

    pipit日訳
    モッガラーナ尊者は、
    ブッダの助けを借り、
    どのように【"〈知覚がある〉でもなく、〈知覚が無い〉でもない"領域】までの禅定を通過したのかを、述べられました。

    ========
    多分なんですけど、sphere of neither-perception-nor-non-perception.と訳されてる禅定は、日本では「非想非非想処定」と訳されている境地なんじゃないかなと思っています。

    wiki『禅定』より
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E5%AE%9A
    『8. 非想非非想処(ひそうひひそうしょ)- 漢訳で想が非ず非想にも非ずの領域の意味。』
    『〈無所有処〉を全く超越して、〈非想非非想処〉(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)に達して住する。これが第七の境地である。』

    実践しなくてはわからないだろうと、理解は置いておくつもりなんですが、、、
    やっぱり

    sphere of neither-perception-nor-non-perception.

    の説明文は気になります...

    (・・?)ドンナセカイ?
引用返信/返信 削除キー/
■35106 / inTopicNo.69)  SN40.9 Animittapanhasutta
□投稿者/ pipit -(2023/11/19(Sun) 22:22:51)
引用返信/返信 削除キー/
■35113 / inTopicNo.70)  Re[53]: 日記
□投稿者/ 時 -(2023/11/20(Mon) 10:44:56)
    pipitさんへ こんにちは。

    No35104に返信(pipitさんの記事)

    > 多分なんですけど、sphere of neither-perception-nor-non-perception.と訳されてる禅定は、日本では「非想非非想処定」と訳されている境地なんじゃないかなと思っています。

    私もそのように思います。
    知覚と非知覚のどちらでもない領域、境地。想が非ず非想にも非ずの領域という事で、非想非非想処ですね。別の表現では、一に非ず二に非ずで不一不二の境地とも、有の世界の頂点で有頂天とも表現されているようですが、全て同じ領域の別表現です。原始では、非想非非想処(界、定)で良いと思います。

    > wiki『禅定』より
    > https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E5%AE%9A
    > 『8. 非想非非想処(ひそうひひそうしょ)- 漢訳で想が非ず非想にも非ずの領域の意味。』
    > 『〈無所有処〉を全く超越して、〈非想非非想処〉(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)に達して住する。これが第七の境地である。』

    ご紹介していただいたwikiを確認してみました。非想非非想処の第七の解脱の説明の所ではないのですが、

    > 〈空無辺処〉を全く超越して、〈(すべては)無辺なる識である〉と観じて、〈識無辺処〉に達して住する。これが第五の解脱である。

    > 〈識無辺処〉を全く超越して、〈何ものも存在しない〉と観じて、〈無所有処〉(=何も無いという境地)に達して住する。これが第五の解脱である。

    上記(wikiの説明)では、識無辺処、無所有処共にどちらも第五の解脱となっています。

    原始の長部16経「大般涅槃経」の八解脱の説明では、識無辺処に住するのが第五の解脱。無所有処に住するのが第六の解脱の境地だとあります。多分、wikiの説明は誤記・誤植だと思いますが、理解の流れ的にwiki等を参考にする場合には注意が必要ですね。

    > 実践しなくてはわからないだろうと、理解は置いておくつもりなんですが、、、

    仏陀の教えは、頭での道理の理解と実践での体験による理解の2つで構成されているのだろうと思います。この2つが重なった時に体得となるのでしょう。
引用返信/返信 削除キー/
■35116 / inTopicNo.71)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2023/11/20(Mon) 19:53:30)
    2023/11/20(Mon) 19:54:59 編集(投稿者)

    時兄上さま、こんばんはー(^○^)♪

    No35113
    >>多分なんですけど、sphere of neither-perception-nor-non-perception.と訳されてる禅定は、日本では「非想非非想処定」と訳されている境地なんじゃないかなと思っています。
    >
    > 私もそのように思います。
    > 知覚と非知覚のどちらでもない領域、境地。想が非ず非想にも非ずの領域という事で、非想非非想処ですね。別の表現では、一に非ず二に非ずで不一不二の境地とも、有の世界の頂点で有頂天とも表現されているようですが、全て同じ領域の別表現です。原始では、非想非非想処(界、定)で良いと思います。<

    よかったです(o^^o)ホッ

    >>wiki『禅定』より
    >>https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E5%AE%9A
    >>『8. 非想非非想処(ひそうひひそうしょ)- 漢訳で想が非ず非想にも非ずの領域の意味。』
    >>『〈無所有処〉を全く超越して、〈非想非非想処〉(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)に達して住する。これが第七の境地である。』
    >
    > ご紹介していただいたwikiを確認してみました。非想非非想処の第七の解脱の説明の所ではないのですが、
    >
    >>〈空無辺処〉を全く超越して、〈(すべては)無辺なる識である〉と観じて、〈識無辺処〉に達して住する。これが第五の解脱である。
    >
    >>〈識無辺処〉を全く超越して、〈何ものも存在しない〉と観じて、〈無所有処〉(=何も無いという境地)に達して住する。これが第五の解脱である。
    >
    > 上記(wikiの説明)では、識無辺処、無所有処共にどちらも第五の解脱となっています。
    >
    > 原始の長部16経「大般涅槃経」の八解脱の説明では、識無辺処に住するのが第五の解脱。無所有処に住するのが第六の解脱の境地だとあります。多分、wikiの説明は誤記・誤植だと思いますが、理解の流れ的にwiki等を参考にする場合には注意が必要ですね。<

    本当ですね!wikiはすごく便利で重宝していますが、誤記・誤植の可能性も常に頭に入れておかなければいけませんね。


    >>実践しなくてはわからないだろうと、理解は置いておくつもりなんですが、、、
    >
    > 仏陀の教えは、頭での道理の理解と実践での体験による理解の2つで構成されているのだろうと思います。この2つが重なった時に体得となるのでしょう。<

    理論と実践(実験)、、、科学的に思えました。

    ふと、テーラガーターの偈を思い出しまして、
    本を見てみると、テーラガーター24 の スガンダ長老の詩偈でした。
    中村元先生の訳を引用します。

    『わたくしは、雨季の定住修行(安居・あんご)を終えたあとで、遍歴に出かけた。
      
     見よ---教えが真理にみごとに即応していることを!

    (わたくしは)三種の明知を体得し、ブッダの教えを実行した。』

    (岩波文庫『仏弟子の告白 テーラガーター』中村元先生訳、p14.15より引用)

    兄上さま、どうぞご自愛くださいませ (*^◯^*)


引用返信/返信 削除キー/
■35139 / inTopicNo.72)  阿羅漢の章 ダンマパダ93
□投稿者/ pipit -(2023/11/22(Wed) 19:03:17)
    みなさまこんばんは。ダンマパダ93のThanissaro Bhikkhuさまの英訳をpipitが日訳しました。

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/dhp/dhp.07.than.html
    ※英訳略(別投稿します)


    有漏(うろ)は終わり、

    食に依存せず、

    彼らの領域は---

    無記号の、空(くう)と自由 。

    彼らの跡は、

    虚空を飛ぶ鳥たちのように、

    辿ることはできない。

引用返信/返信 削除キー/

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