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■3104 / inTopicNo.73)  Re[21]: ピピットさんへ 2
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/06/11(Thu) 10:54:19)
    No3092に返信(pipitさんの記事)
    > パニチェさん、知識の道を自らの意志で選択して進まれてるでしょう?
    > カント哲学は、私にとっての、私の目標への知識の道となるものだと、思ってるんです。(正否は不明です(^^;;)
    > でも、私にはめちゃめちゃややこしくて、、、理解するのにすごく時間もかかって。。。

    ハイデッガーの「存在と時間」もそうでしたが哲学者は正確な記述を心がけようとするあまり表現がやたら回りくどくて余計に分かりづらくなる傾向がありますね。

    > パニチェさんは、何故、知識の道を選択されたのか、お聞きしたいんです。。。

    〈私〉の探究はそれこそ小学校の低学年くらいからでした。「なんでボクはボクで隣の〇〇ちゃんではないのかな?」みたいな疑問からです。
    この頃には禅定や哲学や仏教の教説などあるこすら知りませんでしたから「考える」ということが唯一の方法でした。

    その後、上記の実践や学問があることを知り、書籍を読むようになりました。
    その後、禅定の真似事もしましたが、やはり師家につかなければ変性意識(オルタードスはテイツ)や野狐禅と正しい禅定の区別がつかないことを知ったのと、禅定で体得した佛智は不立文字とか言語化不能な勝義諦であることから、私(パニチェ)はダメモトでも言葉で説明あるいは表現できるような悟りの境地を目指そうと考えるようになりました。

    また「比類なき先言の<私>」に関して数年にわたってレス交換した密教の修行者であるゴウさん(覚者です)の「逆にくだらない体験に引きずられると、この段階で停滞して足踏み状態に陥ります。そのような修行者が沢山います。ですからパニさんは、対話を通して、限界まで脳を使ってください。体験を求めないでください・・・。掲示板の対話でここから先に進むのは、私(ゴウ)にとっても初めての試みですから、解りづらい点が多々あるでしょうが、そのときは立ち止まって確認しながらゆっくり進めましましょう。」という言葉も指針としています。

    知識と論理(言語)を用いて非言語である<私>や悟りに挑むのは、まるで風車に挑むナンセンスなドンキホーテみたいなもんですが、それでもいいと思っています。^^
    プロセスは目的のためだけにあらず、プロセス自体が目的にもなりえる(修証一等)という発想も指針です。
引用返信/返信 削除キー/
■3101 / inTopicNo.74)  Re[19]: パニチェさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/06/11(Thu) 10:31:48)
    こんにちは、ピピットさん。レスありがとうございます。

    No3091に返信(pipitさんの記事)

    > ご紹介の記事、私は科学音痴ながら、とても面白かったです!
    > 感謝です(^○^)

    それはよかったです。^^

    > 私の子供がゼロ歳児の時、寝転んで手を上にあげて、ヒラヒラさせてるのを、じーっと見てた風景を、思い出しました。
    > あれは手の裏と表が変わるのが面白くて見てたと思うんですけど、その時、手をヒラヒラさせる筋肉の動きへの指令的な思いと、ヒラヒラの視界の切り替わりを、赤ちゃんである息子はどんなふうにとらえてたのかな、って。
    > 赤ちゃんって、欲望と、その欲望がかなうかかなわないか、経験していって、因果関係という概念を獲得していくって道筋も、もちろん自然的な考え方ですよね。

    多分、因果関係を意識するようになるのはエピソード(言語的)記憶が形成されてからだと思います。前後関係や時間的な概念が形成されるのもこの頃のような気がします。
    あと乳幼児は五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)が分離されていない共感覚だとも言われてますね。

    > 私見ですが、カントの考え方は、AIロボットを作るにはどうすればいいか、という思考法と近似してる部分があるように感じています。
    > ・・・でも人間とロボットは違いますからね。
    > とりあえずここまでを投稿します(o^^o)

    AIと人間の学習が根本的に違うのは初期設定が必要か不要かということだと思います。
    事前入力が主のモデルベースに対して学習が主となるビヘイビアベースでも最小限の初期設定は必要です。

    今主となっているディープラーニングが可能なのはごく限られた範囲に限定され、例えば無限定で初期設定がなければ将棋の場合でも「お茶を飲む」という行為がルールなのか否かも判定できません。人間がこれを将棋のルールではないと判定できるのは日常生活での経験が蓄積されたことによって判断が可能となるってことだと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■3096 / inTopicNo.75)  Re[23]: 欲
□投稿者/ pipit -(2020/06/10(Wed) 19:44:33)
    パニチェさんにありがとうございますは、変わらないです !!
引用返信/返信 削除キー/
■3095 / inTopicNo.76)  Re[22]: 欲
□投稿者/ pipit -(2020/06/10(Wed) 19:44:01)
    いや、、、

    でも、

    うーん、???

    とりあえず置いときます 〜 !?(・_・;?


引用返信/返信 削除キー/
■3093 / inTopicNo.77)  
□投稿者/ pipit -(2020/06/10(Wed) 19:33:54)
    そうかぁ

    最初に欲があると

    因果関係って後天的に理解を形成でき得ますね!

    深いなぁ

    パニチェさん、ありがとうです !
引用返信/返信 削除キー/
■3092 / inTopicNo.78)  パニチェさんへ 2
□投稿者/ pipit -(2020/06/10(Wed) 17:27:22)

    >私(パニチェ)のことを言えば、仏教、哲学、脳科学などなどの諸科学(一般教養レベル)は〈私〉を探究するための道具としてます。
    ピピットさんが目指す悟りが苦を滅した涅槃寂静の境地ということなら、その目的に沿った学習を優先されればいいと思いますが、カントがそれに適しているかどうかまで判断できるカントに関する知識が私にはありません。
    でも、考えてみたらニーチも自己探究の道具にもなっていますし、大袈裟に言えば仏教と並ぶ生の指針にもなってます。カントを学ぶことがピピットさんの生にとって有益なら、価値の遠近法によって判断されたらいいと思います。<

    パニチェさん、知識の道を自らの意志で選択して進まれてるでしょう?

    カント哲学は、私にとっての、私の目標への知識の道となるものだと、思ってるんです。(正否は不明です(^^;;)

    でも、私にはめちゃめちゃややこしくて、、、理解するのにすごく時間もかかって。。。

    パニチェさんは、何故、知識の道を選択されたのか、お聞きしたいんです。。。
引用返信/返信 削除キー/
■3091 / inTopicNo.79)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/06/10(Wed) 17:11:41)
    パニチェさん、こんにちは
    ご紹介の記事、私は科学音痴ながら、とても面白かったです!
    感謝です(^○^)

    https://cbs.riken.jp/jp/public/tsunagaru/fujisawa/01/

    ttps://www.nikkyoko.net/comon/download/2014/medical2014.pdf


    >え〜っと。。。私自身は原因や結果は後天的な経験や学習からもたらされるラベリングだと考えています。
    原因は他の事象の結果でもあるし、結果はその後の事象の原因にもなる。そこにあるのは全体運動であって、その部分をとって原因とか結果とラベリングしているというような考え方です。<

    ありがとうございます。
    後天的概念の可能性ももちろん大いにありますよね。

    私の子供がゼロ歳児の時、寝転んで手を上にあげて、ヒラヒラさせてるのを、じーっと見てた風景を、思い出しました。
    あれは手の裏と表が変わるのが面白くて見てたと思うんですけど、その時、手をヒラヒラさせる筋肉の動きへの指令的な思いと、ヒラヒラの視界の切り替わりを、赤ちゃんである息子はどんなふうにとらえてたのかな、って。

    赤ちゃんって、欲望と、その欲望がかなうかかなわないか、経験していって、因果関係という概念を獲得していくって道筋も、もちろん自然的な考え方ですよね。

    私見ですが、カントの考え方は、AIロボットを作るにはどうすればいいか、という思考法と近似してる部分があるように感じています。

    対象の認識、対象の認識、対象の認識、をー瞬間ずつ記憶に納める、として、その一瞬間ずつの認識を、今度、関連付けるイメージです。
    ロボットの場合、(経験に先んじて)因果関係として関連付ける回路も作っておかなくては、学習ってできないんじゃないかな、と、私は思っています。

    赤信号を渡って事故る。
    赤信号を渡って事故る。
    赤信号を渡って事故る。
    で、学習して、
    赤信号では止まる、というお利口ロボットになる時、
    赤信号と事故るを、原因と結果という結びつけの関係で考察する捉え方を実現する回路を作っておかないと、ロボットは学習できないのではないかと。

    でも人間とロボットは違いますからね。

    とりあえずここまでを投稿します(o^^o)

引用返信/返信 削除キー/
■3090 / inTopicNo.80)  Re[19]: ななしさんへ
□投稿者/ ななし -(2020/06/10(Wed) 12:36:49)
    構想力の図式論は、内在的な言語形式で言語の場なので番組でも取り上げてもらいたかったんですけどね。それでは、また。
引用返信/返信 削除キー/
■3089 / inTopicNo.81)  ななしさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/06/10(Wed) 11:52:47)
    ななしさん、こんにちは!
    書き込み嬉しいです(o^^o)


    > 今回の番組で構想力に触れていないことが、残念でなりません。
    >
    > これは、感性と悟性を結びづける図式によるものですが、ここから発展して
    > シンボルや言葉への働きや性質なども関係してくるところなので
    > 重要だと思いますが、きっと、言葉まで含めると言語ゲームなどの
    > 現代思想にまで触れないとだめなので敢えて控えたのかなと思いました。<

    構想力のこともご存知なのですね!
    私はまだ未勉強と言っていい分野で、実は、メビウスリングという掲示板への投稿の流れで、その辺りを文章にしてみようと思いつつ、気が重くて(ややこしすぎで、繊細すぎですよね!)足踏み停滞している箇所です(^^;;(メビウス掲示板で、引用します、と、コメントして2か月くらいたった今もまだ引用してません。。。)

    図式もややこしいけど、おもしろそうですよね。
    数、の成り立ちも、アニメCGで説明されてる箇所に図式の考え方が提示されてるんだろうけど、それに関してのナレーションはありませんでしたね。

    どうしても様々な制約下での説明になるので、構想力について触れるのは、選択から外されたのかもしれませんね。

    でも、あんなにわかりやすく全体の流れを貫いて説明するのはすごいなぁ
    学校で教わるっていいなあ、と、思いました。

引用返信/返信 削除キー/
■3085 / inTopicNo.82)  Re[17]: ピピットさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/06/10(Wed) 08:45:18)
    こんにちは、レスありがとうございます。

    No3082に返信(pipitさんの記事)
    > カント哲学の解釈は様々に分かれており、番組は先生の深い理解の上で、わかりやすいように作られたものだと思います。
    > カントが本当に、アプリオリに人間に備わっている(この言葉さえ、本当はややこしい問題を省いて表現しています。)のは、知性に関して言えば、ある共通の概念です。
    > そして、公理が共通、というよりは、共通の概念でつくる公理であるゆえに、共有できうる、ということだと私は捉えています。
    > かなり勝手な私見になりますが、本当は死んでいるほんの少し前の過去の情報をエピソード記憶として、現在の顕在意識下に生み出す時の組み立て方がカントの認識論のイメージを、私は持っています。これは自分勝手な私見です。

    なるほど。以下のようなサイトがありました。参考までに。^^
    ttps://cbs.riken.jp/jp/public/tsunagaru/fujisawa/01/

    > まずは、感受した直観が空間と時間のある位置に生じることと、ごく基幹的概念の純粋悟性概念だけが共通と想定してみてください。
    > そして、そこから出すものは、その枠組みだけがみんなに共通で、その中身はみんなで議論しながら変化し得るものだと思います。
    > そう私が思ってることを、下記のパニチェさんの疑問で伝えてみますね。

    > >仮に複眼でも1+1=2とする公理が成立する世界となるのか疑問。<

    > 人間の直観に適合する、ということです。
    > 人間にはそう現れるから、そう合意できる、ということで、
    > そう現れないと、お互いに話し合えるかは、お互いの知能レベルや想像力によるだろうな、と、思いました。人間すべてが同じじゃないかもだし、宇宙人とも?ですね。

    以下のサイトも上記サイトと同様にカントが脳科学に先駆けて空間と時間を認識する能力(機能)が先見的に備わっていることを主張したとありますね。
    ttps://www.nikkyoko.net/comon/download/2014/medical2014.pdf

    > >また因果律に関しても窓から入ってきた風によってロウソクの火が消えるというのは経験からくる知識であって、酸素がなくなることによって火が消えるという知識と同じである。そもそも一つの原因から一つの結果が生じているというのは人間の経験からくる想像であり、経験上最も多かったケースをもって原因と結果としているだけの後天的な思考傾向ではないか?<

    > 上記の意見は、原因と結果、という枠組みでパニチェさんは判断していませんか?
    > 経験から出てる知識、だから、原因と結果という知識は後天的。
    > の、枠組みが、純粋悟性概念の原因と結果という考え方してる。
    > ちなみに、この概念は生まれつき、というより、知性から獲得する、と、カントはしてるみたいです。
    > 原因と結果、が形式で、中身はみんなで確かめていく。

    え〜っと。。。私自身は原因や結果は後天的な経験や学習からもたらされるラベリングだと考えています。
    原因は他の事象の結果でもあるし、結果はその後の事象の原因にもなる。そこにあるのは全体運動であって、その部分をとって原因とか結果とラベリングしているというような考え方です。

    >>ピストルを撃って相手が死ぬという事象も引き金を引たことが原因で相手が死んだという結果だけではなく、原因としてはピストルを手に入れる、ガンショップで購入したとすればガンショップを開業したこと、ピストルを作った人がいるなどなど無数に原因とすることが可能で、弾丸が到達する前に相手は心臓発作で死亡していたとも考えることができる。「ピストルを撃って相手が死ぬ」という因果律は、経験上あるいは自分がこれまで知り得た知識のうち、最も多かったケースをもって原因と結果としているだけの後天的な思考でるとも言える。
    >>但し、脳科学の知見がなかった時代、または現象学をはじめとしたその他の哲学の先駆けや踏み台としてカントの仕事は偉大であったことには揺るぎないとは思う。<

    > 私はまだ全然カント哲学の勉強をしきれてないけど、今の所そのように思いました。
    > 私はカントが大好きだけど、
    > 仏教徒として悟ってみたい、と、思う私にとっては、
    > もう勉強せんでもいいんかな、と、思うこともあります。

    私(パニチェ)のことを言えば、仏教、哲学、脳科学などなどの諸科学(一般教養レベル)は〈私〉を探究するための道具としてます。
    ピピットさんが目指す悟りが苦を滅した涅槃寂静の境地ということなら、その目的に沿った学習を優先されればいいと思いますが、カントがそれに適しているかどうかまで判断できるカントに関する知識が私にはありません。
    でも、考えてみたらニーチも自己探究の道具にもなっていますし、大袈裟に言えば仏教と並ぶ生の指針にもなってます。カントを学ぶことがピピットさんの生にとって有益なら、価値の遠近法によって判断されたらいいと思います。


引用返信/返信 削除キー/
■3084 / inTopicNo.83)  Re[17]: パニチェさんへ
□投稿者/ ななし -(2020/06/10(Wed) 08:03:22)
    pipitさん、お疲れ様です。

    今回の番組で構想力に触れていないことが、残念でなりません。

    これは、感性と悟性を結びづける図式によるものですが、ここから発展して
    シンボルや言葉への働きや性質なども関係してくるところなので
    重要だと思いますが、きっと、言葉まで含めると言語ゲームなどの
    現代思想にまで触れないとだめなので敢えて控えたのかなと思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■3082 / inTopicNo.84)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/06/09(Tue) 19:11:37)
    こんばんは。
    私はカント哲学に詳しいわけではないので、自分勝手な感想を書きます。


    > カントは分析的判断や経験的総合判断に対してアプリオリな総合判断としての共通規格をあげている。共通規格として公理や因果律があるとし、これらが自然科学や数学が万人に共通する土台つまり基礎づけるものとしているが、公理や因果律も経験によるものではないか?という疑問。<

    カント哲学の解釈は様々に分かれており、番組は先生の深い理解の上で、わかりやすいように作られたものだと思います。
    カントが本当に、アプリオリに人間に備わっている(この言葉さえ、本当はややこしい問題を省いて表現しています。)のは、知性に関して言えば、ある共通の概念です。
    そして、公理が共通、というよりは、共通の概念でつくる公理であるゆえに、共有できうる、ということだと私は捉えています。

    かなり勝手な私見になりますが、本当は死んでいるほんの少し前の過去の情報をエピソード記憶として、現在の顕在意識下に生み出す時の組み立て方がカントの認識論のイメージを、私は持っています。これは自分勝手な私見です。


    > 共通規格というのは脳や五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)の構造、認識プロセスが人類共通であることに他ならず、<

    まずは、感受した直観が空間と時間のある位置に生じることと、ごく基幹的概念の純粋悟性概念だけが共通と想定してみてください。
    そして、そこから出すものは、その枠組みだけがみんなに共通で、その中身はみんなで議論しながら変化し得るものだと思います。
    そう私が思ってることを、下記のパニチェさんの疑問で伝えてみますね。

    >仮に複眼でも1+1=2とする公理が成立する世界となるのか疑問。<

    人間の直観に適合する、ということです。
    人間にはそう現れるから、そう合意できる、ということで、
    そう現れないと、お互いに話し合えるかは、お互いの知能レベルや想像力によるだろうな、と、思いました。人間すべてが同じじゃないかもだし、宇宙人とも?ですね。


    >また因果律に関しても窓から入ってきた風によってロウソクの火が消えるというのは経験からくる知識であって、酸素がなくなることによって火が消えるという知識と同じである。そもそも一つの原因から一つの結果が生じているというのは人間の経験からくる想像であり、経験上最も多かったケースをもって原因と結果としているだけの後天的な思考傾向ではないか?<

    上記の意見は、原因と結果、という枠組みでパニチェさんは判断していませんか?
    経験から出てる知識、だから、原因と結果という知識は後天的。
    の、枠組みが、純粋悟性概念の原因と結果という考え方してる。
    ちなみに、この概念は生まれつき、というより、知性から獲得する、と、カントはしてるみたいです。
    原因と結果、が形式で、中身はみんなで確かめていく。



    > ピストルを撃って相手が死ぬという事象も引き金を引たことが原因で相手が死んだという結果だけではなく、原因としてはピストルを手に入れる、ガンショップで購入したとすればガンショップを開業したこと、ピストルを作った人がいるなどなど無数に原因とすることが可能で、弾丸が到達する前に相手は心臓発作で死亡していたとも考えることができる。「ピストルを撃って相手が死ぬ」という因果律は、経験上あるいは自分がこれまで知り得た知識のうち、最も多かったケースをもって原因と結果としているだけの後天的な思考でるとも言える。
    >
    > 但し、脳科学の知見がなかった時代、または現象学をはじめとしたその他の哲学の先駆けや踏み台としてカントの仕事は偉大であったことには揺るぎないとは思う。<

    私はまだ全然カント哲学の勉強をしきれてないけど、今の所そのように思いました。

    私はカントが大好きだけど、

    仏教徒として悟ってみたい、と、思う私にとっては、

    もう勉強せんでもいいんかな、と、思うこともあります。
引用返信/返信 削除キー/

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