| >私(パニチェ)のことを言えば、仏教、哲学、脳科学などなどの諸科学(一般教養レベル)は〈私〉を探究するための道具としてます。 ピピットさんが目指す悟りが苦を滅した涅槃寂静の境地ということなら、その目的に沿った学習を優先されればいいと思いますが、カントがそれに適しているかどうかまで判断できるカントに関する知識が私にはありません。 でも、考えてみたらニーチも自己探究の道具にもなっていますし、大袈裟に言えば仏教と並ぶ生の指針にもなってます。カントを学ぶことがピピットさんの生にとって有益なら、価値の遠近法によって判断されたらいいと思います。<
パニチェさん、知識の道を自らの意志で選択して進まれてるでしょう?
カント哲学は、私にとっての、私の目標への知識の道となるものだと、思ってるんです。(正否は不明です(^^;;)
でも、私にはめちゃめちゃややこしくて、、、理解するのにすごく時間もかかって。。。
パニチェさんは、何故、知識の道を選択されたのか、お聞きしたいんです。。。
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