| 録画した番組を見た感想というか、今回は少し批判や疑問を…。
カントは分析的判断や経験的総合判断に対してアプリオリな総合判断としての共通規格をあげている。共通規格として公理や因果律があるとし、これらが自然科学や数学が万人に共通する土台つまり基礎づけるものとしているが、公理や因果律も経験によるものではないか?という疑問。
共通規格というのは脳や五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)の構造、認識プロセスが人類共通であることに他ならず、仮に複眼でも1+1=2とする公理が成立する世界となるのか疑問。また因果律に関しても窓から入ってきた風によってロウソクの火が消えるというのは経験からくる知識であって、酸素がなくなることによって火が消えるという知識と同じである。そもそも一つの原因から一つの結果が生じているというのは人間の経験からくる想像であり、経験上最も多かったケースをもって原因と結果としているだけの後天的な思考傾向ではないか?
ピストルを撃って相手が死ぬという事象も引き金を引たことが原因で相手が死んだという結果だけではなく、原因としてはピストルを手に入れる、ガンショップで購入したとすればガンショップを開業したこと、ピストルを作った人がいるなどなど無数に原因とすることが可能で、弾丸が到達する前に相手は心臓発作で死亡していたとも考えることができる。「ピストルを撃って相手が死ぬ」という因果律は、経験上あるいは自分がこれまで知り得た知識のうち、最も多かったケースをもって原因と結果としているだけの後天的な思考でるとも言える。
但し、脳科学の知見がなかった時代、または現象学をはじめとしたその他の哲学の先駆けや踏み台としてカントの仕事は偉大であったことには揺るぎないとは思う。
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