| こんばんは。
少なくともカントが《無》をどう認識するのか、を説いてるところが あることは知っていますが、 そこは全然不勉強なところですので、今は置かせてください。 どうしても知りたい、というなら、解説本を読んでみますので 知りたい、と、おっしゃってください。
私が理解できなかった文章を、分解しながら聞いていきますね。 そうすれば理解できるかな?
> そもそも物心ついた頃に、お寺に行き、「仏像に手を合わせている事」に違和感がある。<
違和感の原因を言葉で表現することできますか? 仏像に手を合わせる、を、自然にできる人もいるし、 強要される人もいるかと想像します。 マジモンさんは、どう思いますか? そして違和感って、もう少し言葉で説明できますか? 例えば、普通なら手を合わせるはずないのに手を合わせてしまうから違和感がある、 ということですか? または違うことですか?
>お寺には、仏像があり、この仏像は過去の誰かが作製し、私が死んでも仏像は遺っているはずだ。とてもじゃないが、過去や未来を相当理解しなければできない行為と感じる。< 幼児がそういうことを理解していると思ってるのですか? 仏教徒の中にはそういうことではなく、仏像を通して釈尊を思い手を合わせる方もいます。 そういう過去生を現在に引き継いで、今手を合わせるという意味ですか?
>自分の人生は、誰かの人生に、時を越えて、つながっているのではないか?と思います。<
輪廻転生のことをおっしゃってるのですか?
>そして、どんな人生を送るべきかという判断はいかにして決められるかが相当難しいと感じる。<
正解があるはずということ? その正解の選択が難しいということですか? それとも別のことですか?
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