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■3268 / inTopicNo.49)  黒崎政男先生の入門書の読解5
  
□投稿者/ pipit -(2020/06/26(Fri) 23:42:45)
    こんばんは。

    A(第一版)でも、B(第二版)でも、綜合を行うのは構想力、
    ここまではどちらにも書いてあるけど、

    B(第二版)では、
    構想力による綜合までではまだ認識は生まれない、と。(B104参照)
    何が必要か?
    この構想力による純粋な綜合に統一性を与える諸概念(純粋悟性概念)。
    何が与えるのか?
    知性が与える。

    黒崎先生本p149〜

    黒崎先生の意見としては、
    A(第一版)では、綜合は構想力の働き。
    B(第二版)では、綜合は悟性の機能。
    と、カントはしてる、と。

    話は次に、
    第一版での『構想力』についての説明に、進む。
    次はp150から。

引用返信/返信 削除キー/
■3258 / inTopicNo.50)  黒崎政男先生の入門書の読解4
□投稿者/ pipit -(2020/06/25(Thu) 22:40:35)
    えーと、p147からですね。
    黒崎先生は、ここからしばらく、第一版の流れにそって解説するとのこと。
    中心となるのは「構想力」

    第一版の演繹論は、三段階の「綜合」によって論が進められる。

    ※綜合のカント的意味は、
    さまざまな諸表象をたがいに加えあわせて、それらの多様性を一つの認識として包括する働きのこと。(A77=B103参照)
    あるいは、
    多様がある種の方法で貫通され、受容され、そして結合され、一つの認識がつくられる、その働きのこと。(A77=B102参照)

    この【綜合】の機能を担うのはなにか、
    言い換えれば、多様を一つの認識にしあげる機能を何が担っているのか

    第一版(つまり第二版では削除された部分、、、)
    のカント曰く、
    『総じて、綜合というのは、盲目ではあるが、心の欠くべからざる機能である
    構想力の働きによるのである。
    構想力なしではそもそもいかなる認識をも所有することはできないが、
    しかし我々はこのことに気づくことはめったにない。』
    (A78=B103)

    ん?Bも書いてますやん、どうなってるの?

    今、B(第二版)の訳文みたけど、上記の内容書いてありますね。
    んー、でも、ちょっとややこしそうだな。
    ここまでは一緒なんだけど、その構想力の位置づけの違いになってくるのかな。

    今日はここまでにします。
    次はp149頭から。

    おやすみなさい ☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■3257 / inTopicNo.51)  Re[33]: 黒崎政男先生の入門書の読解3
□投稿者/ pipit -(2020/06/25(Thu) 22:00:53)
    メビリンが終わった
    せつない
    でも読解続きがんばろう(ノ_<)*・゜゚
    以下からまた続けます

    ミンナ、モノガタリ、ココロデ、ツヅイテル ?
    ソレゾレガモトメルフウケイミルコトガデキタライイナ

    アリガトウ


    No3179に返信(pipitさんの記事)
    > こんばんは!
    > メビウスリング掲示板に投稿したものです ↓
    >
    > >ハイデッガーが《未知のもの》の表現で示した、カントによる《超越論的構想力》
    > これを主に、みていくみたいです。<
    >
    > p143からの内容
    >
    > 構想力、、、ドイツ語原語はEinbildungskraft
    > 黒崎先生は、英語のimaginationとほぼ同じと考えてよい、っておっしゃってます。つまり、普通に言えば〈想像力〉のことである、って。
    >
    > ※pipitの今の段階で言えば、カント用語の【構想力】って、創造力とか、仏教用語のサンカーラー(形成作用)のイメージを持つんですよね。
    > このイメージが合ってるか間違ってるか、今の段階では私にはわかりません。
    >
    > で、その【構想力】についての話題。
    >
    > p145〜
    > 小タイトルは、『二種類あったカントの「演繹論」』
    > 第一版と第二版の演繹論では内容が違う、という説明。
    >
    > 黒崎先生は、まず書き換え後の第二版の演繹論から説明されます。
    >
    > 第二版演繹論の基本方針
    > ★悟性の側の自発性である超越論的統覚が、結局は、感性の側まで貫き通すという形で、人間認識の最終的で最高の統一機能としての役割を担わせてる。
    > 「与えられた直観における多様なものもまた、必然的にカテゴリーに従う」
    > ことによって、認識の客観的妥当性を確立しようとしている。
    >
    > でも、、、これって、ほんとにいいの?
    > というのが黒崎先生の問いかけ。
    >
    > もともと純粋理性批判の大テーマとして、現象の成立には、感性と悟性の二つの契機が必要であり、この異質なものの合一によって客観的認識が成立する、という構想があったはず。
    > 黒崎先生曰く
    > 『カント以前のような、感性と悟性を峻別し、感性的認識と悟性的認識という二種類の認識を設ける思想とは、人間の認識の本質をとらえるにあたって、根本的にことなっているというのが『純粋理性批判』における初心だったはずだ。』
    > p146
    >
    > 黒崎先生は、初心は感性と悟性の合一こそが肝だったはずなのに、書き換え後の第二版の内容では、あまりに悟性側の力が強くなってないかい?と思われているよう。
    >
    > そして次に、書き換え前の、第一版の演繹論を見ていく、というようです。
    >
    > 今日はここで終わります。
    >
    > おつかれさまです !
引用返信/返信 削除キー/
■3220 / inTopicNo.52)  ななしさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/06/23(Tue) 22:50:18)
    こんばんは
    私も最終回の放送を無事に見ることができました(^_^)v

    カント哲学の基本的な考え方をわかりやすく教えてもらえた気持ちで、
    見ていてとても心が楽しかったです。

    西先生はいかにも、やさしい先生、って感じですね。
    ヘーゲルの本も出版されてるようなので、
    現象学も絡めての講義を聞けるとまた楽しい発見もあったかもしれませんが、
    やっぱり時間が足りなさそうですよね(o^^o)

    あ、そういえば、カントも哲学の先生の1人だったんですもんね。

    やさしかったのかな?
    厳しかったのかな?

    1人の、同じ人間だったんですね(^O^)

    不思議じゃないのに、不思議な感じがするのが、不思議、です

    私もがんばってみようかな ☆彡

    おつかれさまです (^O^)/
引用返信/返信 削除キー/
■3216 / inTopicNo.53)  Re[36]: ななしさんへ
□投稿者/ ななし -(2020/06/23(Tue) 13:00:48)
    見ました!とても噛み砕いていて、よかったです。
    ただ、西先生が伊集院さんの話に合わせ過ぎているかもと
    思いました。

    そこから、現象学までは、時間不足で出来なかったみたいです。

    今回の放送を見て、今更ですが、自分の欲に負けないように
    頑張って生きたいと思いました!
引用返信/返信 削除キー/
■3211 / inTopicNo.54)  ななしさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/06/22(Mon) 21:37:11)
    こんばんは、堀払いおつかれさまでした!!

    私はもうすぐ、勤務先のボランティアという名の強制参加の草取りです。
    にゃ〜

    私は昨日、飲食店で家族とランチしました。
    焼肉屋さんのお得なランチで、昼間やってるとは思わないのか、ガラガラでした、
    けど、
    回転寿しやさんとかはすごく混雑してそうでした。

    みんな動き出しましたね。
    第二波、こないといいんだけどな〜

    今日、いよいよ最終回ですね!
    さみし〜な〜
    でも取り上げられて本当嬉しいです(o^^o)

    傾向性からの自由が本当の自由なんだ、みたいなことかな、
    と、わからないなりに、そうなのかな?と知った時(誤解してたらすみません)
    わたしは、その考え方に、すごく感動しました。

    傾向性に流されるのが因果法則的で、
    人間は因果法則から自由を自らの意志で実行できる

    なんで、感動するのかなぁ

    感動しちゃいます。

    流されてばかりなので、憧れるのかもしれません。
    人間とは思えないもの、としての形に。

    書き込みありがとうございます!
    放送楽しみですね(^○^)

    おつかれさまで〜す(^O^)/



引用返信/返信 削除キー/
■3209 / inTopicNo.55)  pipitさんへ
□投稿者/ ななし -(2020/06/22(Mon) 20:00:53)
    こんばんは。
    お疲れ様です。

    私は、昨日、地元水田の堀払いがあり、その後の慰労会のほうが
    ビールを飲みすぎてグロッキーとなり、家でうだうだしていたのですが
    午後からは、遊びに出かけてしまいました。
    大分、人は出ていてコロナの影響は、少しづづ薄れてきている感じがします。

    そう言えば、今夜が、とうとう最終回となってしまいましたね。

    今日は、「自由 と 道徳 を 基礎 づける 」で
    それでもじゆうはある?です。

    カントは、直感形式の空間・時間の中の物事や自然の法則は、互いに根拠を示しながら「正しさ」を検証して客観的な知を共有できるとする一方、「究極の真理」は、検証できないため答えを知ることは出来ないとしています。
    そして、人間の自由についても、「ある」とも「ない」とも言えないというものでした。

    そこを道徳の話とからめて、どう説明するのか、とても楽しみです。

    実は、実践理性批判により人は、欲望などの因果関係の損得計算の自然法則から自由になるときはじめて自由となり、理論理性が否定した神や魂の不死までも見出すことができるというものでした。つまり、道徳的選択が自由を作るというものです。
    つまり、カントのいう自由とは道徳的な選択であり「勝手気まま」や「欲望の解放」等ではないということです。

    そして、人は道徳的な選択をすることで自由となり、神を見出すというものでした。

    汝の意志の採用する行動原理(格律)が、つねに同時に普遍的立法の原理としても 妥当するように行為せよ。『実践理性批判』

引用返信/返信 削除キー/
■3186 / inTopicNo.56)  理性の2つの関心
□投稿者/ pipit -(2020/06/20(Sat) 18:58:50)
    みなさまこんばんは!
    メビウスリング掲示板に投稿したものです。
    100粉末de名著、と、間違えたところは訂正してあります。。。

    ********



    理性がもつ二つの関心、ということでしたね。

    完全性を求める(全体を知って安心したい)
    問い続ける(真理に近づこうとする探究心)



    私見書きます。↓


    完成した見解を欲求する、推論機能(理性)、と、
    究極的な真理に達することを欲求する、推論機能(理性)

    推論機能が欲を二つ持つ、というよりは、
    欲の方向にそって推論機能を使う、と考えたほうがわかりやすいんではないかと私自身は思いました。

    パッケージングされた見解を欲して、理性が、考えることのみで出した 論。(例えば宇宙の有限論)

    究極最終的な見解への追求を欲して、理性が、考えることのみで出した 論。(例えば宇宙の無限論)

    机上の論なら、どちらも論としての成立の資格は同格なので、
    議題によっては二律背反となる。


    さて、この問題についてカントはどう記述したか、、、

    番組テキストでの講師である西先生の解説を引用してみますね!
    おもしろい考え方だと私は思いました。

    『100分de名著 カント純粋理性批判』
    西研 先生

    p84〜 85より引用。
    『(略)しかしなぜ、アンチノミーが生まれるのでしょうか。世界全体(宇宙全体)について二択で問うている以上、どちらかには答えは決まりそうなものですが。

    カントはいいます。ーーー「世界全体」は、物のような客観的な対象ではない、だから答えが決まらないのだ、と。
    どういうことでしょうか?

    空間・時間のなかで与えられる具体的な客観的対象には、身の回りの物だけでなく、地域や地球や太陽系などを含めることができますね。これらについては、データをもとにした妥当な推論によって、それがどうなっているのかについて答え(共通理解)を出すことができます。

    しかし「世界全体」というのは、それらのような客観的な対象ではありません。

    なんとなく私たちは、世界全体をひとつの「物」のように考え、広大な空間と時間の流れの全体を見渡しているかのようにイメージします。
    しかしじっさいは、空間と時間の流れ全体を見渡すような視点をもつことはできません。
    あくまでも、さまざまな証拠にもとづいて時間を遡ったり、既知の空間からさらに遠い先を推理したりする作業ができるだけなのです。

    空間・時間のなかに位置づけられる対象については、答え(共通理解)がつくれる。
    しかし世界全体はそのような対象ではなく、限りなく時間を遡り、遠くを想像することによって、究極の全体性として思い描かれたものです。
    カントはこのことを次のように言っていますーー世界全体とは「理念」(=思い描かれた完全性)である。
    だから決して認識の対象として与えられることはない。
    そうではなく、決して到達され得ない永遠の目標として、認識に課せられたものとしてあるのだ、と。

    そして、この「決して実現されないが永遠の目標として課せられているもの」という意味で、世界全体のことを「統制的理念」(認識を導く理念)とも呼んでいます。
    物理学者たちは、世界全体という果てしない目標に向かって、いまもこれからも研究を続けていくにちがいありません。
    (略)』
    引用終了

    あたかも、完璧なものがあるかのように、
    それに向かって前進していく。
    見解を置くこと自体に意義を見出す。
    それが理性の2つの関心を2つともに上手に使う方法のひとつなのかな、と、今の段階の私は思いました。

    ********

    以上です。
    おつかれさまで〜す (o^^o)




引用返信/返信 削除キー/
■3179 / inTopicNo.57)  黒崎政男先生の入門書の読解3
□投稿者/ pipit -(2020/06/18(Thu) 23:34:19)
    こんばんは!
    メビウスリング掲示板に投稿したものです ↓

    >ハイデッガーが《未知のもの》の表現で示した、カントによる《超越論的構想力》
    これを主に、みていくみたいです。<

    p143からの内容

    構想力、、、ドイツ語原語はEinbildungskraft
    黒崎先生は、英語のimaginationとほぼ同じと考えてよい、っておっしゃってます。つまり、普通に言えば〈想像力〉のことである、って。

    ※pipitの今の段階で言えば、カント用語の【構想力】って、創造力とか、仏教用語のサンカーラー(形成作用)のイメージを持つんですよね。
    このイメージが合ってるか間違ってるか、今の段階では私にはわかりません。

    で、その【構想力】についての話題。

    p145〜
    小タイトルは、『二種類あったカントの「演繹論」』
    第一版と第二版の演繹論では内容が違う、という説明。

    黒崎先生は、まず書き換え後の第二版の演繹論から説明されます。

    第二版演繹論の基本方針
    ★悟性の側の自発性である超越論的統覚が、結局は、感性の側まで貫き通すという形で、人間認識の最終的で最高の統一機能としての役割を担わせてる。
    「与えられた直観における多様なものもまた、必然的にカテゴリーに従う」
    ことによって、認識の客観的妥当性を確立しようとしている。

    でも、、、これって、ほんとにいいの?
    というのが黒崎先生の問いかけ。

    もともと純粋理性批判の大テーマとして、現象の成立には、感性と悟性の二つの契機が必要であり、この異質なものの合一によって客観的認識が成立する、という構想があったはず。
    黒崎先生曰く
    『カント以前のような、感性と悟性を峻別し、感性的認識と悟性的認識という二種類の認識を設ける思想とは、人間の認識の本質をとらえるにあたって、根本的にことなっているというのが『純粋理性批判』における初心だったはずだ。』
    p146

    黒崎先生は、初心は感性と悟性の合一こそが肝だったはずなのに、書き換え後の第二版の内容では、あまりに悟性側の力が強くなってないかい?と思われているよう。

    そして次に、書き換え前の、第一版の演繹論を見ていく、というようです。

    今日はここで終わります。

    おつかれさまです !
引用返信/返信 削除キー/
■3178 / inTopicNo.58)  ななしさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/06/18(Thu) 22:41:21)
    こんばんは!
    第三回目の放送も無事に観ることができました
    ありがたいことです (^_^)v

    世界は不思議だと、よく考えます。
    カント的には否定的に記述されることも多そうな、感性を超越した世界に
    私自身は憧れの気持ちをいだきます。

    有限性を、現れている有限性のままに、正しく認識することは
    とても大事なことなんじゃないかな、と思います。
    同時に、自ら限定付けるのではなく、自ら確かめていければいいな、と、思っています。

    現象学は(も)難しそうですね。

    ななしさんは、フッサールの著作などに目を通したことありますか?

    私はまだ、一回もないんです (^^;;

    哲学の文章、難しいです (−_−;)



引用返信/返信 削除キー/
■3176 / inTopicNo.59)  pipitさんへ
□投稿者/ ななし -(2020/06/18(Thu) 20:36:12)
    こんばんは。お疲れ様です。

    第三回目の100分 de 名著 カント『純粋理性批判』は如何だったでしょうか。

    私は、改めて人間の有限性を感じました。
    人は、誰でも自分の主観の外にある「 物自体」を直接には認識出来ません。
    それは、超音波や可視光線の事を見れば簡単に理解できます。

    人が認識出来るのは、それぞれ心に映り意識に上った世界カントは「現象界」と呼んでいますが、現象界は感性と悟性で成り立ち得ます。

    それは、感性と悟性には、人間に共通 の 認識する規格(メガネ)特に感性の直感形式である「空間と時間」が生まれながらア・プリオリに備わっているので、他者とも合理的な共通認識が可能なのです。

    科学は、この感性の形式である「 空間・時間」と悟性によって成り立ち、
    理性のように、無限へ飛び出したりしたら、科学の進歩はあり得ません。

    こうなると、やはり、フッサールの現象学によって科学の共通性が保たれるし
    現象学から始めないとダメなのかなと思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■3175 / inTopicNo.60)  pipitさんへ
□投稿者/ ななし -(2020/06/18(Thu) 20:35:49)
    こんばんは。

    第三回目の100分 de 名著 カント『純粋理性批判』は如何だったでしょうか。

    私は、改めて人間の有限性を感じました。
    人は、誰でも自分の主観の外にある「 物自体」を直接には認識出来ません。
    それは、超音波や可視光線の事を見れば簡単に理解できます。

    人が認識出来るのは、それぞれ心に映り意識に上った世界カントは「現象界」と呼んでいますが、現象界は感性と悟性で成り立ち得ます。

    それは、感性と悟性には、人間に共通 の 認識する規格(メガネ)特に感性の直感形式である「空間と時間」が生まれながらア・プリオリに備わっているので、他者とも合理的な共通認識が可能なのです。

    科学は、この感性の形式である「 空間・時間」と悟性によって成り立ち、
    理性のように、無限へ飛び出したりしたら、科学の進歩はあり得ません。

    こうなると、やはり、フッサールの現象学によって科学の共通性が保たれるし
    現象学から始めないとダメなのかなと思いました。
引用返信/返信 削除キー/

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