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■20756 / inTopicNo.73)  Re[16]: AはBである
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/02/10(Thu) 18:16:25)
    pipitさま、
    No20718で、わたしヘンなこと言っちゃた?ごめんね。
    わたしふと思ったことをつい言っちゃうみたい。
    わたしのはマジモンさんが言ってくれたんとだいたい同じで〜す。

    わたし「A」「B」を「名」ってして見たんかも。
    たとえば、「A」を「猫」、「B」を「犬」ってしたとき、
    「猫は犬である」ってなっちゃうよね。これってへんじゃん?って。
    たしかあのときはこんな感じのだったかも?

    〈What〉のところで田秋さんにご指摘しただいたので、このつづきはそこで。
引用返信/返信 削除キー/
■20753 / inTopicNo.74)  概念
□投稿者/ pipit -(2022/02/10(Thu) 12:41:30)
    食パンならば食べ物
    鹿せんべいならば食べ物
    ライオンならば逃げる物
    チーターならば逃げる物

    神経回路つくったなら、あるいはできてるなら、

    そこに論理ははたらいているのだろうか ?
引用返信/返信 削除キー/
■20752 / inTopicNo.75)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/02/10(Thu) 12:29:31)
    マジモンさん、こんにちは!

    No20750
    おもしろい話題をありがとうございます!
    言葉とか、概念とかの考察にもつながる話題かと思うのですが、

    たとえば、鹿にとっては、食パンも、鹿せんべいも、欲の対象で
    鹿にとっては、ライオンとかチーターは、逃げる対象、じゃないですか。

    この時、鹿の認識って、
    食パン→好き
    鹿せんべい→好き
    ライオン→恐い
    チーター→恐い

    みたいかなと想像するのですが、

    これって、A=Bには当てはまらないとマジモンさんは思いますか?

    pipitは、考察中でまだわからないです。
    論理と感情は、別問題かなぁ
    でも、感情はなぜ生まれるかといえば、判断が関わってるんじゃないかなぁと思ったり。
    わからないなぁ。

    悪魔ちゃんは、どう思ってるかな???(悪魔ちゃんはどんなふうに考えてるのか教えてほしいなー)

    マジモンさん、書き込みありがとうです
    (*^▽^*)


引用返信/返信 削除キー/
■20750 / inTopicNo.76)  Pipitさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/02/10(Thu) 08:24:05)
    はい、Pipitさん、おはようございます。
    どうしても気になるので、再度、投稿いたします。

    NO20718の悪魔ちゃんの問いかけは、結構、有名です。
    そして、ヒトが一番健康でなければいけないのは、
    『 感覚 』だとニークラでもカキコしました。

     A=B

    これはヒトにとっては至極当たり前のことです。
    しかも、左辺と右辺の交換

     B=A

    も理解できるのがヒトです。
    しかし、これがチンパンジーになってしまうと、

     A=A、B=B

    しか理解できません。



    ネコは生き物である

    A=B

    文字A、数字、文字B

    『 あ 』、『 1 』、『 わ 』… @



    A=A、B=B

    ネコはネコ、生き物は生き物

    『 文字A、数字、文字A 』、『 文字B、数字、文字B 』

    『 あ 、1、 あ 』、『 わ、1、わ 』



    ★ 人間は感覚が正常でなければいけない ★という証拠です。

    @の『 あ 』、『 1 』、『 わ 』を感覚で受け入れる事ができるのが、人間なのであります。

引用返信/返信 削除キー/
■20742 / inTopicNo.77)  (第三章 批判と二つの視点)再び
□投稿者/ pipit -(2022/02/09(Wed) 11:11:03)
    みなさまこんにちは (^ ^)

    むむむ、No20590 に引用した山下先生の文章(下段に再掲します)では、1ー4の規定がカントによる規定に思ってたけど、
    実際のカントの文章見てみたら、
    それはそうなんだけど、事情は少し複雑で、
    パラロギスムス(誤謬推論)を考察する章の中で、『私は考える』という命題を【経験的命題】と受け止めた場合、(それ以外の場合分けも載ってます)
    人間がどのように考えてるのか、について考察するために、カントのカテゴリー表にあてはめて論筋を追ってみたっぽい規定かもです。

    経験的命題ということで、現実性のカテゴリーを含む[様相]から思考を主発点として、
    1[様相]

    2[関係]

    3[質]

    4[量]
    と、御子柴善之先生は解説されていました。
    (『カント純粋理性批判』p443参照)

    まあ、でも、カントの思考回路でもあるわけだから、
    山下先生の

    >この私は、私の思惟のすべての状態において同一的な、単純な主観として思惟する私である。
    もちろん、こうした規定からこの私が独立した実体であると結論するような推論はパラロギスムスであって許されない。
    しかしながら、カントの与えている規定だけですでに十分である。
    カントはこの規定をどこから得たのだろうか?
    それについてカントは何も述べていない。
    それは「単純な自己意識によって」(B420)と言われるにとどまっている。<

    は、きちんと記述されてるといえばされてますか、ね。
    結局、pipitが勝手に勘違いしてただけですね
    m(_ _)m

    山下先生本の読解続けてみます!

    その前に
    No20590の再掲です↓
    =================
    No20590 の再掲
    >なんか構成がわたしには把握しずらいんだよね。。。
    そのうち慣れてくるかな??(期待)

    p42で、山下先生は、
    純粋統覚の「私は・・・と考える」の「私」は何なのか?
    と問いかけ、続いて、カントの第二版でのパラロギスムスに出てくる規定を引用されます。
    パラロギスムスって?
    また明日カント事典でも見てみます。。。(ー ー;)

    んー、わからん。
    とりあえず引用だけでもしておきます。

    『カントとオートポイエーシス』山下和也先生、p 43
    『この純粋統覚における私について、第二版のパラロギスムスは次のような規定を与えている。
    「1.私が考える。2.主観として。3.単純な主観として。4.私の思惟の全ての状態において同一的主観として」(B419)。
    この私は、私の思惟のすべての状態において同一的な、単純な主観として思惟する私である。
    もちろん、こうした規定からこの私が独立した実体であると結論するような推論はパラロギスムスであって許されない。
    しかしながら、カントの与えている規定だけですでに十分である。
    カントはこの規定をどこから得たのだろうか?
    それについてカントは何も述べていない。
    それは「単純な自己意識によって」(B420)と言われるにとどまっている。
    その上、そうでありながらも、我々はカントのこの議論を否定できない。
    それはなぜなのだろうか?』

    で、次の『第三節 現象と物自体を区別する者』に続いていきます。

    どのような道筋で記述されていくのかなー?<
    =================
    再掲終了

引用返信/返信 削除キー/
■20730 / inTopicNo.78)  思いついた日記
□投稿者/ pipit -(2022/02/08(Tue) 07:33:15)

    > しかし、「だからこの命題は、直観のうちに、そして時間の像のうちに直接に含まれているものなのである。」これが分からない。この総合的な命題自体は、「時間の像のうちに直接含まれている」、、とは?<

    あ!

    三角形の内角の和は180度という命題は、直観のうちに、そして空間の像のうちに直接含まれている。

    みたいに考えるとか ?!

    仕事行ってきまーす (^○^)
引用返信/返信 削除キー/
■20728 / inTopicNo.79)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/02/07(Mon) 23:04:54)
    うましかさん、こんばんはー (^_^)

    No20725

    概念についてのカントの考え方が、(中山元先生独自番号044・概念ではなく、直観としての空間)B40あたり、に、少し記述されてるのをみつけました。
    関連した中山先生の訳注(26)p257もありますが、ややこしいですね(^^;;

    > 「さまざまに異なる時間は、同時に存在することはできない」という命題は、カントによれば総合的な命題であるということ。pipitさんが言及されていましたが、じつは私も昨夜、それに注目してみようとおもっておりました。
    >
    > 以下の分析が適切か私には分かりませんが、主語概念「さまざまに異なる時間」(Aとする)と述語概念「同時に存在することはできない」(Bとする)の関係は、AのうちにはBが含まれず、AとBが"何か"によって結合しているとカントは考えているということですかねー?(;´・ω・)
    >
    > したがって、(この命題は総合的なものであり)、「概念だけからは導けないのである」と。
    >
    > しかし、「だからこの命題は、直観のうちに、そして時間の像のうちに直接に含まれているものなのである。」これが分からない。この総合的な命題自体は、「時間の像のうちに直接含まれている」、、とは?
    >
    > もしかして、ア・プリオリな総合命題を暗示しているのかなあ?
    > あーこれ的外れだきっと( ノД`)シクシク…
    >
    >
    > 今夜はここまで沼〜(/ TωT)/<

    ややこしいですよね。

    直観、時間の像に、
    「さまざまに異なる時間は、同時に存在することはできない」という命題が含まれている。
     
    カント沼ー 
    (/ _ ; )

    でも、考えたからこそ発見や発展もあったかも、と、思える時が私はあるので、うましかさんに大感謝です(^○^)
引用返信/返信 削除キー/
■20726 / inTopicNo.80)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/02/07(Mon) 22:12:23)
    マジモンさん、こんばんわー (^○^)

    No20724
    > Pipitさん、こんばんわ。
    >
    > 悪魔ちゃんに変わって、私が説明します。
    > 前に私はヒトは正常な感覚が一番である、それが健康であるとカキコしました。
    >
    > 『 猫は生き物である 』と考えるのは、ヒトとして正常な感覚です。
    >
    > しかし、これがチンパンジーになってしまうと、
    >
    > 『 ネコはネコ、生き物は生き物 』としか理解できないのである。
    > 数学が苦手な方も、実はここに引っ掛っている。
    >
    > ネコ = 生き物
    > ネコ、生き物は『 文字 』ですが、『 =(イコール) 』は数字なんです。
    >
    > すなわち、文字 数字 文字を人間は正常な感覚で納得しているという事です。
    >
    > さらに、文字A 数字 文字Bも成り立ってしまうのも人間の正常な感覚です。<

    おぉ、確かに、
    『猫は生き物である。』という言語化は、、、うちのワンくんはしてないと思うけど、
    (どうしても推測になるなー)

    マジモンさん、興味深い視点をありがとうございます!


引用返信/返信 削除キー/
■20725 / inTopicNo.81)  pipitさんへ (;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2022/02/07(Mon) 21:37:27)
    2022/02/07(Mon) 21:48:23 編集(投稿者)

    こんばんはー

    沼柱pipitさん(`・ω・´)ゞ

    歩みののろい、うましかに歩調をあわせてくださってありがとうございますー
    (´;ω;`)ウッ…

    *******

    再び、、 No.20699 より。

    >4 時間は、いかなる論弁的概念、ないしは、よく名づけられているように、一般的概念でもなく、感性的直観の一つの純粋な形式である。様々の諸時間は同一の時間の諸部分に過ぎない。しかし、たった一つの対象を通じてのみ与えられ得る表象は、直観である。また、「様々の諸時間は同時的に存在し得ない」という命題も、或る一般的概念からは導き出され得ないであろう。この命題は綜合的であり、だから概念からだけでは生じ得ない。それゆえ、この命題は時間の直観や表象の内に直接含まれている。<

    中山元訳1を久々に参照します。p.98

    >(四) 時間は論証的な概念ではないし、一般的な概念と呼ばれるものでもなく、感性による直観の純粋な形式である。異なった時間とは、同じ時間の異なった部分に過ぎない。唯一の対象によってしか与えられない像は、[概念ではなく]直観である。「さまざまに異なる時間は、同時に存在することはできない」という命題は、一般的な概念からは導くことはできないだろう。この命題は総合的なものであり、概念だけからは導けないのである。だからこの命題は、直観のうちに、そして時間の像のうちに直接に含まれているものなのである。<

    *******

    ちょっと、うましかしてみます〜(;´・ω・)


    まず、カントにとって「時間」は、「一般的な概念」ではないし、「論証的な概念」でもない。(順番かえてみた(;´・ω・))

    カントによる「論証的な」概念の説明は、pipitさんがいくつか挙げてくださいました。他方「一般的な概念」については、どこかの誰かさんによってそう呼ばれるものがあるようですが、それはどういうものか、少なくとも私には明らかではありませんのでこれ以上立ち入りません。

    (とはいえ、pipitさんが例示してくださったような、「フルーツ」でもよいような気もします(そうおもえる根拠はありませんが。))

    次に、「異なった時間とは、同じ時間の異なった部分に過ぎない。唯一の対象によってしか与えられない像は、[概念ではなく]直観である。」(中山元訳による)

    異なった時間を、例えば、t1,t2,t3…とか、あるいは、2022.2.7, 2021.1.1,とかてきとうに考えてみます。それらは同じ、というか、一連の「時間」の流れのどこかある一点、一範囲を示していると考えることはできるかなーと。ただ、私がこう考えるのが可能なのはなぜか、ここを深める必要があるのかなー、、、でもこれ以上はスルー、つづく「唯一の〜」もよく分からないのでスルー(;´・ω・)

    続いて「「さまざまに異なる時間は、同時に存在することはできない」という命題は、一般的な概念からは導くことはできないだろう。この命題は総合的なものであり、概念だけからは導けないのである。だからこの命題は、直観のうちに、そして時間の像のうちに直接に含まれているものなのである。」(中山元訳より)ですが、

    「さまざまに異なる時間は、同時に存在することはできない」という命題は、カントによれば総合的な命題であるということ。pipitさんが言及されていましたが、じつは私も昨夜、それに注目してみようとおもっておりました。

    以下の分析が適切か私には分かりませんが、主語概念「さまざまに異なる時間」(Aとする)と述語概念「同時に存在することはできない」(Bとする)の関係は、AのうちにはBが含まれず、AとBが"何か"によって結合しているとカントは考えているということですかねー?(;´・ω・)

    したがって、(この命題は総合的なものであり)、「概念だけからは導けないのである」と。

    しかし、「だからこの命題は、直観のうちに、そして時間の像のうちに直接に含まれているものなのである。」これが分からない。この総合的な命題自体は、「時間の像のうちに直接含まれている」、、とは?

    もしかして、ア・プリオリな総合命題を暗示しているのかなあ?
    あーこれ的外れだきっと( ノД`)シクシク…


    今夜はここまで沼〜(/ TωT)/









引用返信/返信 削除キー/
■20724 / inTopicNo.82)  pipitさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/02/07(Mon) 21:36:52)
    No20722に返信(pipitさんの記事)
    > ■No20718に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    >>お邪魔しま〜す。
    >>「AはBである」こういうの、へんじゃない?誰が言い出したのかしら?
    >>〈AはA〉、〈BはB〉なのであって、〈AはBである〉はありえないんじゃなの?
    >>
    >
    > おこんばんわ
    >
    > 猫は生き物である。
    >
    > この文章は変ですか??


    Pipitさん、こんばんわ。

    悪魔ちゃんに変わって、私が説明します。
    前に私はヒトは正常な感覚が一番である、それが健康であるとカキコしました。

    『 猫は生き物である 』と考えるのは、ヒトとして正常な感覚です。

    しかし、これがチンパンジーになってしまうと、

    『 ネコはネコ、生き物は生き物 』としか理解できないのである。
    数学が苦手な方も、実はここに引っ掛っている。

    ネコ = 生き物
    ネコ、生き物は『 文字 』ですが、『 =(イコール) 』は数字なんです。

    すなわち、文字 数字 文字を人間は正常な感覚で納得しているという事です。

    さらに、文字A 数字 文字Bも成り立ってしまうのも人間の正常な感覚です。
引用返信/返信 削除キー/
■20723 / inTopicNo.83)  Re[11]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/02/07(Mon) 20:38:03)
    仮に、

    AはBである。は、変で、

    猫は生き物である。は変ではない、とするなら、

    A
    B

    生き物

    の、言葉の意味が、変か変じゃないか、の判定に関わるのかな ??
引用返信/返信 削除キー/
■20722 / inTopicNo.84)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/02/07(Mon) 20:30:12)
    No20718に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > お邪魔しま〜す。
    > 「AはBである」こういうの、へんじゃない?誰が言い出したのかしら?
    > 〈AはA〉、〈BはB〉なのであって、〈AはBである〉はありえないんじゃなの?
    >

    おこんばんわ

    猫は生き物である。

    この文章は変ですか??

引用返信/返信 削除キー/

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