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■20357 / inTopicNo.1)  意識のハード・プロブレム
  
□投稿者/ pipit -(2022/01/10(Mon) 23:01:45)
    wikiより
    『意識のハード・プロブレム(いしきのハード・プロブレム、英:Hard problem of consciousness)とは、物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、どのようにして主観的な意識体験(現象意識、クオリア)というものが生まれるのかという問題のこと。意識のむずかしい問題、意識の難問とも訳される。』

    というものがあるそうですが、

    それに対する山下先生なりのオートポイエーシス論に沿った説明を挑戦されていくようですが、
    pipitには難しいので、また明日以降に。。。

    おやすみなさーい
    (^ω^)
引用返信/返信 削除キー/
■20356 / inTopicNo.2)  読書日記
□投稿者/ pipit -(2022/01/10(Mon) 22:51:15)
    『カントとオートポイエーシス』p17読んだ。

    複雑系という言葉が頭に浮かぶ。

    『この視覚野へのニューロンの連鎖を見ると実は、視細胞から繋がっているものよりも、脳の各部位からのものが、圧倒的に多い。つまり喩えるなら、視細胞からの神経電位パルスはコーラスの中の一つの声にすぎないのである。要するに、視覚野での処理はまさに生命システムの構成素における攪乱として生じるのであり、身体外部からの光刺激に厳格に対応したものではない。』

    『脳では「並列分散システムが自発的に機能していて」(ガザニカ:六〇)』

    ともにp17より引用。

    で、ここから
    No20329で引用した箇所に進んでいくのですね。

    > p18に、
    『問題はここからである。ここまでは、生命システムの構造である身体内部で法則に拠らないにせよ物理化学的に起きる現象にすぎない。
    認識にはこの先がある。
    すなわち意識の問題である。』
    とありました。
    生命システムの一階言及システムとして「意識システム」に記述が進んでいくようですね。<

    意識システムについての最初らへんを引用します。
    『脳における感覚刺激の処理の結果として、意識に視覚像である色と形、聴覚像である音、嗅覚像である匂い、味覚像である味、触覚像である手触りや温度などが現れる。』
    p18より引用

    仏教用語で言えば、
    色と形・・・眼識
    音・・・耳識
    匂い・・・鼻識
    味・・・舌識
    手触りや温度・・・身識

    の五識ですね。

    生命システムの攪乱により、意識に五識が現れる、と。

    んー、意識システムの構成素を五識とするのかな??(予想)
    読んでいってみまーす
    o(・x・)/




引用返信/返信 削除キー/
■20355 / inTopicNo.3)  見つけた日記
□投稿者/ pipit -(2022/01/10(Mon) 21:57:35)
    むつきさっち さんのサイト
    『趣味で学問』というページを今日はじめて見つけたのですが、
    オートポイエーシスのことがいっぱい載ってました。 
    また参考にさせていただこうと思います。

    https://nora-scholar.net/autopoiesis/autopoiesis-summary1/
引用返信/返信 削除キー/
■20342 / inTopicNo.4)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/01/09(Sun) 23:08:54)
    みなさまこんばんは☆

    No20332
    > ここらへんに関連して、『トラウマ』という現象の概念が頭に浮かんできました。
    自分で自分に組み込み自分の行為がなされる。
    このあたりについてまた書き込みしようと思ってます。<

    リベラルアーツガイドさんのサイトに、オートポイエーシスについての解説が載ってて、

    https://liberal-arts-guide.com/autopoiesis/
    【オートポイエーシスとは】定義・意味・理論をわかりやすく解説

    その中で、

    pipitの言葉の感覚で言っちゃいますね、、

    毎瞬輪廻している(毎瞬生まれている、そして滅している)、みたいなイメージがpipitに生じる、説明箇所の一例を引用します。

    引用開始
    『ここでは、マトゥラーナがオートポイエーシス理論を構想したきっかけをご紹介します。
    マトゥラーナはもともと生物の視覚の研究者でした。1964年にハトの色覚の神経活動を研究している時、ハトの目にいろいろな波長の光を当てて脳の視神経の興奮パターンを調べていると、いくらデータをとっても因果関係が明らかにならないことに気がつきます。
    つまり、
    * 同じ波長の光を当てても、異なる反応が現れた
    * もしハトが機械のように他律的な開放系システムであれば、作動の仕方が決められているため、入力(光)と出力(神経の興奮パターン)に関するはっきりとした因果関係があるはず
    * この瞬間、マトゥラーナはハトの反応が過去の記憶に基づきながら内部的に決まってくることに気づいた
    のです。
    つまり、ハトの神経系システムがただ過去の反応を再現するだけの機械的なものではなく、時々刻々と世界を認知し、自分の記憶を更新し続けていく自律的かつ閉鎖的な存在であることに気づいたのです。』
    引用終了

    過去の、と言っても、そこはいろいろ考えられて、全てが今に(過去の像として)生まれてる、と、考えられたり、過去は物質の変化として今に内在されてたり、と、複雑かもしれませんけど、

    知るという行為、についての複雑さを思います。
    けど、ワンくんには複雑さはないかもで、
    複雑さは考えるから生じるものなのか
    なんなのかなー。。。

    おやすみなさーい(_ _).。o○ケッコウアルイタヨ

引用返信/返信 削除キー/
■20339 / inTopicNo.5)  Re[45]: 入出力の不在
□投稿者/ pipit -(2022/01/09(Sun) 15:38:14)
    2022/01/09(Sun) 15:50:12 編集(投稿者)

    ただいまー
    美味しいお蕎麦は食べられませんでしたが、
    美味しいオムライスとミネストローネと、苺とフレンチトーストを食べられました
    o(^-^)o

    また用事ででかけるのですが、
    少し思ったことを。

    No20332
    > 上記のような電流回路(感じて行為する)は、一般的には、入力と出力、で理解されることが多いと思うのですが、
    オートポイエーシス・システムの特徴の一つは、『入力・出力の不在』なので、
    【攪乱】は起きるけど、システムは自律的に何かを行為する、というふうに捉えるのかな、と思いました。<

    オートポイエーシスの場合、
    感じる、も、行為とするのかも(感じる=行為)、と。


    またきちんと調べようと思うけど、
    マトゥラーナさんとバレーラさんの『知恵の樹』にのってたアフォリズムを引用します。

    『この本の鍵となるアフォリズム
    「すべての行為は認識であり、すべての認識は行為である」
    「いわれたことのすべてには、それをいった誰かがいる」』
    『知恵の樹』p29より引用

    それではいってきもーす
引用返信/返信 削除キー/
■20332 / inTopicNo.6)  入出力の不在
□投稿者/ pipit -(2022/01/09(Sun) 09:13:26)
    No20329
    No20330

    『カントとオートポイエーシス』山下和也先生、p16より引用
    『さらに、感覚器官の感覚細胞に生じた攪乱は神経電位のパルスとなって、人間をはじめとする脊椎動物の場合、脳に集約される。
    すると、神経細胞あるいはニューロンのネットワークをもつ脳は、やはり電位的にそれを処理して、今度は自分以外の生体器官を動かす電位パルスとして神経系に放出する。
    もっとも、ニューロンを含め、生体器官を構成するすべての細胞システムはオートポイエーシス・システムとして自律性を保っているから、その作動は一〇〇パーセント連鎖しているわけではない。この典型が「睡眠麻痺(sleep paralysis)、いわゆる「金縛り」である。』
    引用終了

    上記のような電流回路(感じて行為する)は、一般的には、入力と出力、で理解されることが多いと思うのですが、
    オートポイエーシス・システムの特徴の一つは、『入力・出力の不在』なので、
    【攪乱】は起きるけど、システムは自律的に何かを行為する、というふうに捉えるのかな、と思いました。

    =============
    入出力不在についてのmemo
    No20254(オートポイエーシスの四つの性質)より
    >入力・出力の不在
    【作動の閉域であるオートポイエーシス・システムを出入りするものは存在しないということである。(略)システムとその構造が区別されることを思い出してほしい。システムの作動に巻き込まれて構造を形成する環境は、しかし、産出プロセスという作動から成るネットワークに入り込んではいない。作動とは存在する位相が異なるからである。】<
    =============

    ここらへんに関連して、『トラウマ』という現象の概念が頭に浮かんできました。
    自分で自分に組み込み自分の行為がなされる。
    このあたりについてまた書き込みしようと思ってます。
    『トラウマ』という言葉と同時的に思い出した、リベラルアーツガイドさんのページを先に載せます↓

    https://liberal-arts-guide.com/autopoiesis/
    【オートポイエーシスとは】定義・意味・理論をわかりやすく解説

    お蕎麦食べに行ってきまーす
    (o^^o)


引用返信/返信 削除キー/
■20330 / inTopicNo.7)  Re[43]: 生命システム
□投稿者/ pipit -(2022/01/08(Sat) 23:19:27)
    > 電気が通るか通らないかとかも自己決定してるっていえるのかなぁ、物理法則なんじゃないかなぁ、と思ってたら、<

    おぉ、pipitが引用した箇所の後に、睡眠麻痺、金縛りの例がのってて、
    『脳からの神経電位パルスが各生体器官の細胞システムに攪乱を起こすことができないのである。』
    (p17)とありました。

    私は、大昔ですが、怖い思いをした時に、叫ぼうと思っても声を出せなかった経験があります。


    電気信号かぁ。
引用返信/返信 削除キー/
■20329 / inTopicNo.8)  Re[42]: 生命システム
□投稿者/ pipit -(2022/01/08(Sat) 23:00:21)
    電気が通るか通らないかとかも自己決定してるっていえるのかなぁ、物理法則なんじゃないかなぁ、と思ってたら、

    p18に、
    『問題はここからである。ここまでは、生命システムの構造である身体内部で法則に拠らないにせよ物理化学的に起きる現象にすぎない。
    認識にはこの先がある。
    すなわち意識の問題である。』

    とありました。

    生命システムの一階言及システムとして「意識システム」に記述が進んでいくようですね。

    また読んでみようと思います。
    おやすみなさい(_ _).。o○ ネムイヨー

引用返信/返信 削除キー/
■20328 / inTopicNo.9)  Re[41]: 生命システム
□投稿者/ pipit -(2022/01/08(Sat) 22:49:13)
    No20312の続き。

    『カントとオートポイエーシス』山下和也先生、p16より

    『さて、生命システムが自分の構造である身体を通じて環境からの影響を受けるところから、認識は始まる。
    無論、それによって起きうるのは生命システムの攪乱のみであり、自律性のため、その在り様はシステム自身によってのみ決められる。
    言い換えればすでにこの時点で、認識は環境の反映になっていない。
    例えば視覚である。
    周知の通り、人間に見える色、すなわち光の波長には制限がある。
    見えるのは一定の幅の可視光のみであり、赤外線と紫外線を見ることはできない。
    攪乱であるから、環境のいかなる影響に反応するかを決めるのは生命システム自身である。
    これが、すべての知覚に共通する「閾値(threshold)」という現象に他ならない。
    また、目は光ではない圧力もやはり光刺激として受け取ってしまう。
    (略)。攪乱の在り様もまた、生命システムが自律的に決めるのである。
    もちろん、その根底にはまず視細胞などの感覚細胞システムの自律性がある。

    引用終了

    ===========
    ここで『攪乱』を復習。

    No20252
    >攪乱
    【相互浸透を介して環境がシステムに、システムが環境に引き起こす変化】<
    ===========

    山下先生は、

    pipitが現在見てるこの景色、この景色(表象)は、pipitの生命システムが環境の攪乱を受ける《ところから始まってる》と言うんだね。
    この景色(クオリア?)はまだ、pipitの生命システムの構成素ではないと言ってるんだと思う。

    No20312
    >【生命システム】
    『認識を考える場合、その出発点は生命システムとなる。生命システムとは生体器官を構成素とし、身体を構造とするオートポイエーシス・システムである。当然、目や耳、鼻や舌、さらに皮膚のような感覚器官は生命システムの構成素に含まれるし、脳をはじめとする神経系もまた同じであるから、認識論はここから始めなければならない。』
    (『カントとオートポイエーシス』山下和也先生著、p15より引用)<

    とあるように、
    生命システムの構成素は生体器官だからね。
引用返信/返信 削除キー/
■20327 / inTopicNo.10)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/01/08(Sat) 22:25:48)

    うましかさん、新年明けましておめでとうございます(^○^)
    今年もよろしくお願いします!

    No20320
    再度、最初から最後まで読ませていただきました。
    勉強になりますー
    ありがたやー p(^_^)q
引用返信/返信 削除キー/
■20320 / inTopicNo.11)  謎沼探検記(;´・ω・) − 8
□投稿者/ うましか -(2022/01/08(Sat) 14:45:15)
    2022/01/08(Sat) 14:47:35 編集(投稿者)

    pipitさん、新年、沼っす!(`・ω・´)ゞ

    *******

    -------  山下和也『カントとオートポイエーシス』、晃洋書房 -------

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス

    -------

    ◇第一章 オートポイエーシス論 ・・・ p.1〜p.14
    ■第一節 経緯
    ・1960年、マトゥラーナは生物の起源について講義していたなか医学生から受けた「35億年前に生命が始まったとき何が起きたのか」という質問を機に、生命のシステムの特徴について考察しはじめ、思いついたのが、生命システムの、すべてが自身との関連について起きるという自律性であった。
    ・1961年からは、マトゥラーナは生命システムを自己言及(self-referring)と呼んだ。ただし、彼はシステム自体とシステム・環境関係を区別する必要を感じていたのでこの表現に満足できなかった。
    ・1963年、マトゥラーナは微生物学者との対話により、DNAがタンパク質の合成に関与し、タンパク質はDNAの合成に関与するという生命システムの循環性に気づく。
    ・1964年から、マトゥラーナは生命システムを「その内ではそれを構成する産出以外、すべてが変化しうる分子産出の循環的システムとして、相互作用の単位あるいは存在者として構成されたシステム」と定義し始める。その一方で、ハトの色覚の実験を通じて、いわゆる神経システムが閉じたネットワークであることに気づく。
    ・1967年、マトゥラーナは分子産出システムとしての生命システムも神経システムも閉じていることを発見。
    ・1968年、マトゥラーナはネオ・サイバネティクスの権威であるフェルスターから招待され、1969年に「認知の神経生理学」を主題に発表するよう依頼される。この中で、生命システムは分子産出の循環的システムとして単位として構成されたシステムであるという構想を発表。
    ・1972年、マトゥラーナは共同研究者のヴァレラから形式化への示唆も受けて、マトゥラーナがこの構想を完成させスペイン語の論文「生命の機構と性質について」を発表。この論文を執筆中、マトゥラーナは友人との会話を通じて「オートポイエーシス」という造語を思いつく。
    ・1980年、マトゥラーナはヴァレラと『オートポイエーシスと認知』を出版。「生命の機構と性質について」の英訳を添えた。
    ・1987年、マトゥラーナとヴァレラは、入門書的な意味合いをもつ『知恵の樹 − 人間知性の生物学的根源』を英語で出版。

    ■第二節 定義
    ・オートポイエーシスを原理として成立するシステムを「オートポイエーシス・システム」(※以下、うましかは引用以外をAPシステムと略します。)という。
    ・APシステムの定義とは、「構成素(component)を産出する構成素を産出(変形あるいは破壊)するプロセスのネットワークとして組織された(単位体として定義された)マシンであり、構成素は(@)その相互作用と変形を通じ、自身を産出するプロセス(関係)のネットワークを再生し実現する、そして(A)それ(マシン)を、自身(構成素)が存在する空間において、そうしたネットワークとしてのその実現の位相的領域を特定することで、構成する」〔p.4〕
    ・上記の定義は、山下によれば一見して分かりづらく、しかも言いたいことの内実が表現しきれていない。「産出」「連鎖」「循環」「閉鎖」というキーワードを使った山下による定義とは、「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕
    ・APシステムの対概念とは、「他のものに作られる」という意味のアロポイエーシス・システム
    ・APシステムの分かりやすい例とは、細胞システム(※ただし細胞そのものではない)。

    ■第三節 基本概念
    ・「コード」 ・・・ APシステムにおいて産出される構成素のタイプと順序を決める規則。何が構成素となるのかが決まるのがシステム実現のときなので、コードもシステム実現と同時創発される。
    ・「構造的ドリフト」・・・ コードの書き換えを伴うシステムの変化
    ・「構造変動」・・・ コードの書き換えを伴わないシステムの変化で、ネットワーク形状自体が不変のまま構成素の変化によって起きるもの
    ・「メタモルフォーゼ」・・・コードの書き換えを伴わないシステムの変化で、時間的推移によってコードの読み取りが変化し、ネットワーク形状自体を変えるもの
    → 例) 細胞システム: 成長に伴う細胞拡大が「構造変動」、幹細胞から特定の内臓細胞への変化が「メタモルフォーゼ」、細胞のガン化が「構造的ドリフト」
    ・「システムの環境」
    ・「相互浸透」
    ・「攪乱」
    ・「構造的カップリング」
    ・「カップリング・システム」
    ・すべてのAPシステムに共通な性質・・・@個体性、A単位性、B自律性、C入力・出力の不在
    ・「言及システム」・・・ (元のシステムに対する新しいシステムとして)一階言及システム、二階言及システム〜

    -------

    ◇第二章 理性と認識システム ・・・ p.15〜p.34
    ・オートポイエーシスの認識論の基本となる三つのシステム、生命システム、意識システム、認識システムと、カントのあげる三つの認識能力、感性、悟性、理性との対応を考える。
    ・この図式が山下の展開する認識論の基礎となる。〔p.15〕

    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ・生命システムとは、認識を考える場合の出発点。
    ・生命システムとは、生体器官を構成素とし、身体を構造とするAPシステム。
    ・意識システムとは、脳における自己言及に基づく生命システムの一階言及システム。表象を構成素とするシステム
    ・認識システムとは、生命システムからは二階言及、意識システムからは一階言及のシステム。
    ・認識システムとは、認識表象を構成素とし、認識を構造とする。

    ■第二節 感性・悟性・理性
    ・カントによる人間の認識(能力)
    「すべての我々の認識は感官に始まり、そこから悟性に進み、理性で終わる、理性を超えて、直観の素材を加工し、思惟の最高の統一の下へともたらす、より高次のものは我々のうちに見いだされない」(B355)
    「人間の認識には、おそらくは共通の、しかし我々には未知な根から生える二つの幹がある、すなわち、感性と悟性である。前者によって我々に対象が与えられ、後者によってしかし思惟される」(B29)
    ・山下のイメージでいえば、感性と悟性とによって個別の認識が成立し、理性によってそれが体系化される。

    -------

    ◇第三章 批判と二つの視点 ・・・ p.35〜p.52
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ・河本によれば、オートポイエーシス論を認識論的にみたときに決定的な区別とは、@システムそのものにとって(fuer sich)の視点と、A観察者にとって(fuer uns)の視点である。

    ■第二節 カント認識論の構図
    ・『純粋理性批判』とは、文字通り、「理性批判」
    ・「純粋理性を批判するのが純粋理性自身」ということが重要。
    ・理性批判とは、自己認識という仕事、言いかえれば、「認識する主観の自己主題化」(クレメ)
    ・純粋理性は、超越論的認識を行う自身でもある。ここでいう超越論的とは、「対象にではなく、それがアプリオリに可能な限りで対象についての我々の認識のあり方にそもそも従事すべき全ての認識」に名づけられるのであり、超越論的認識を行うものは、アプリオリに認識する原理を含む純粋理性自身でもあるということ。⇒ 『純粋理性批判』において純粋理性の批判を行うのは、著者カント自身の純粋理性である(ブフナー:「超越論的議論の自己関係化」)
    ・上を言いかえるならば、『純粋理性批判』を執筆し、その中で主語として「私(Ich)」と言っているカントの「私」となり、現代の認知科学でいうなら「メタ認知」に相当する。

    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ・カントは内官の対象である主観と、外観の対象である外的現象に関して、現象としてのあり方とそれ自体としてのあり方を区別する。
    ・後者(外観の対象)に対しては、現象と物自体の区別となる。
    ・ここで、区別している、いわば「カントの私」は、いかなる資格の私なのか?… 純粋理性としての私?純粋統覚としての私?自体的な私?内官の対象である主観としての私?
    ・現象と物自体の区別は、我々にとって認識されうるものと認識されえないものの区別である。
    ・あるものが認識されえないと言えるためには、少なくともそのものが存在することは知られていなければならない。しかし、「認識不可能な物自体の存在をカントはいかにして語ることができるのか?」
    ・上の問いに対する解釈二例。カウルバッハのパースペクティブ論とアディッケスの議論 → 両者とも、二世界解釈ではなく二側面解釈であり、物自体というあり方の事実性を否定しない。

    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点

    -------

    ◇第四章 自我とシステム ・・・ p.53〜p.68
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論

    -------

    ◇第五章 感覚と攪乱 ・・・ p.69〜p.92
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論

    ■第二節 感覚の主観性
    ・カントはロックとヒュームが主張した感覚の主観性を否定していない。
    ・感覚の主観性が主題となるのが、『プロレゴメナ』における「知覚判断」についての議論
    ・カント曰く「すべての経験判断は経験的である、・・・ それでも逆にすべての経験的判断が(それゆえに)経験判断であるわけではない。」
    ・カントによれば、経験的な判断は、@客観的な妥当性をもつ経験判断 A主観的にしか妥当しない知覚判断に区分される。
    ・フリーマンによる感覚sensationと知覚perceptionの区別は、カントの議論におそらく対応している。
    ・意識において綜合された感覚が知覚である。(山下)〔p.78〕

    ■第三節 感覚の客観性

    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚
    ・外的な物理的刺激によっては神経システムの活動は決定されず、むしろシステム自身によって決定されている(オートポイエーシス論の着想をえたマトゥラーナのハトの視覚神経の実験より)。ただし、神経システム自身は単独のAPシステムではなく、生命システムの部分ネットワークである。〔p.84〜p.85〕
    ・神経の反応は閾値をもち、自分が反応する外的刺激の強さや種類を自律的に自分で決定するが、強力すぎる刺激は神経の反応を不可能にする。明るすぎる光では何も見えず、大きすぎる音は耳鳴りにしかならない。

    -------

    ◇第六章 カテゴリーと概念コード ・・・ p.93〜p.114
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −

    -------

    ◇第七章 物自体と認識システムの環境 ・・・ p.115〜p.130
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体

    -------

    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義 ・・・ p.131〜p.150
    ・この章では、カント超越論的観念論とAP論的構成主義の認識論の比較しカントの記述通りに理解することを試みる。
    ・エルンスト・フォン・グレーザーズフェルドのラディカル構成主義をカントの議論と比較する。

    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ・グレーザーズフェルドによれば、ラディカル構成主義とは、「知識をどのように定義したところで、知識は人の頭の中に存しており、思考自体は自らの経験を基礎として自ら知っていることを構成する以外に他にないという前提から出発する。」
    ・「われわれが経験を用いて構成しているものは、われわれが意識しながら生きている唯一の世界をなす。それは、事物、自我、他者などのような多くの種類に分類することが可能だ。」
    ・「しかしあらゆる種類の経験は本質的に主観的なものである。」〔p.139〜p.140〕
    ・山下によれば、ラディカル構成主義の基本的な主張とは、「我々が経験している世界は我々が構成したもの」である。〔p.139〜p.140〕

    ■第四節 超越論的観念論再考

    -------

    ◇第九章 超越論的自由と自律性 ・・・ p.151〜p.170
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由

    -------

    ◇結 論 認識論の完成に向けて ・・・ p.171〜p.175

    *******

    No.18527,18608,18670,18758,19219,19242,19480,20320


引用返信/返信 削除キー/
■20318 / inTopicNo.12)  Re[43]: 生命システム
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/01/08(Sat) 14:18:50)
    pipitさま、
    ■20316、ありがと
    了解で〜す。
引用返信/返信 削除キー/

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