| > 【補足】 > わかりますか?この違い。奥先生の訳文では、私が自分の魂と呼ぶ世界霊魂がただ一つ存在し、他者の魂も、この世界霊魂として把握する、と読めます。 > しかし、永井は、これを「私が他者の魂と呼ぶものもただそのようなものとしてのみ把握する」と訳しています。つまり、他者の魂も、その唯一同一の世界霊魂として把握するのではなく、「そのようなものとしてのみ」把握する、と訳すことによって、世界の霊魂が主体によって別々のものが存在することになってしまっているわけです。 > 明らかに永井は「世界霊魂」を一般的自我と解釈しており、上のパロディー文章のNと同じことを述べていることがわかります。
> さて、ここの原文はどうでしょうか? > Es gibt wirklich nur eine Weltseele,welche ich vorzüglich meine Seele nennne, und als welche allein ich das erfasse, was ich die Seelen anderer nenne. > Google翻訳: > 私が主に自分の魂と呼んでいる世界の魂は本当に1つだけであり、それだけで私が他の人の魂と呼んでいるものを把握しています。
> DeepL翻訳: > 世界にはただ一つの魂があり、私はそれを特に自分の魂と呼び、それだけで他の人の魂と呼ぶものを把握しているのです。
> E.Anscombeによる英訳 > There really is only one world soul, which I for preference call my soul and as which alone I conceive what I call the souls of others.
> 翻訳は、永井訳以外は、私の魂=世界霊魂=他者の魂として解釈しています。米澤訳は省略しますが、同じです。 > 明らかに永井は、「世界の魂」を一般的自我とするために、このように訳していることがわかると思います。これは意図的な誤訳と言うべきでしょう。
パニチェは上記の魂とは独我論的主体(その核心は〈私〉であるが『論考』では純化されていない)と読みます。 他者が哲学的ゾンビでないと自分(ウィトゲンシュタイン)が推論するのは、この魂の存在(ミクロコスモス)をもって他者の魂(ミクロコスモス)を読み取るからである。 1915年5月23日の草稿(同書P.212)【世界霊魂がただ一つ現実に存在する】とは(【5.641自我は延長を欠いた点にまで縮退】する以前の)【5.63私は私の世界である】の言い換えであり、他者の霊魂はただ一つある〈私〉の世界霊魂の部分であるという意味です。
> 【蛇足の言い訳】 > 当初、『ウィトゲンシュタイン入門』を持っている初学者も念頭において、わかりやすく詳しい説明をしようと思って書き始めたのですが、すぐにその方針は無理だとわかりました。長大になりすぎて、解説書でも書くつもりか?ってなりそうなので(笑) > それに議論についてきている人もあまりいそうにないので、最低限、パニチェさんがわかればいいやと思って書いたらこうなりました。それでも長いしね。すんませんm(__)m。 > もし、質問等ある方がいらっしゃれば、遠慮なくどうぞ。
丁寧な返信をありがとうございました。パニチェの思うところを遠慮なく返信させてもらいました。
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