| 2022/02/27(Sun) 21:06:48 編集(投稿者)
*** 以下、大修館書店「ウィトゲンシュタイン全集5 解釈 P161〜P162」よりの引用 ***
もし我々が例えばラッセルの計算を解釈しようと思うならば、そこに出てくる「無限な」とか「(アレフ0の記号(文字化けによって表示されず)」とかの記号は、それが本来有すべき構文法的文脈には適合しない、という事が明らかになるだろう。何故なら、適合するとすれば意味が生ずるから。即ち、「無限な」という語の構文法は、無限に対するラッセルの記号の構文法と全く別のものなのである。・・中略・・計算は、それが応用可能であるところのもの全てに、応用可能なのである。(そしてそれ以上のことを言うことができない。)
*************** 引用終わり ***************
アインシュタインを代表とする古典物理の素朴実在論(物理の対象は我々の意識とは無関係に存在する)に対するボーアらの実証主義(観測結果のみが物理の対象であり、その背後に実在など存在しないし、観測できないものは物理の俎上に載せない)の元となる論理実証主義の原型となる言明。
観測問題を問題とすること自体がナンセス。 波動関数ψは応用可能であるから使用するのであって、それを解釈することはナンセンスということか。 これらの発想は道具主義と揶揄されることもある。
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