| ディディモさん、こんにちは
>>そうでしたね、愚さんは過激でしたね〜 宗教法人も廃止とか仰っていましたね。。
>彼ならそう言いそうですね〜。^^ ただ愚さんが僧侶を本当に批判したかったのは、仏教(彼の場合は禅)の本分上においての問題点に関してのみ・・の事だったと思います。
救済ではなく、悲しみを金儲けに使うことを否定していたみたいですね〜。
>適当な言葉が見当たらないのですが・・仮に「教学仏教」と「葬祭儀礼仏教」という二つの言葉をここで造語したとすると・・数多くたてた彼のトピでは「教学仏教」に関しては(へだてのなさ・アドヴァイタ・無などなどの教理のこと)はその俎上に上がり、議論もありましたが、後者の「葬祭儀礼仏教」が取り上げられたことは、私の記憶の限りでは一度もありませんでした。
彼のトピに直接質問することが嫌な場合はメールで伺ってみたらいかがでしょうか?^^;
>確かに釈迦も親鸞聖人も葬儀には無関心だったそうで・・ここでひとつ連想! (歴史に揉まれ、すれっからしになった京都人の俚諺「仏様ほっとけ神様かまうな」主義かいな〜と)^^; まぁ偉大なお二人に敬意をはらい、真面目に言いますが・・確かに「教学仏教」を論じるのは正統なのでしょう・・しかし私は「葬祭儀礼仏教」つまり世に葬式仏教と貶称されている、その諸々のものが日本でなぜ生まれてきたか・・このことに興味があり、この話題が何時出てくるか何時出てくるかと興味深く愚氏のトピを眺めていました。まぁインテリゲンチャになればなるほど後者の話題を嫌うようです・・。(;´・ω・)
ご存じのように私は宗教はまったく分かりません。ですから質問内容に対してしかしたらなんだと!、と思われることがあるかもしれませんが、そこはご勘弁くださいませ。
1.教学と儀式と伺い、私はプロテスタントとカソリックのような感じを受けました。あくまでもバイブルによる普及と、教会中心(その中には華麗な儀式を含む)を連想してしまいました。類例には遠いですか?
2.キリスト教においては死は始まり(?)ですよね? 最近は環境問題もあり、キリスト教国でも火葬が多くなったような気がします。 そこでですが、土葬ではなく火葬でも復活は可能だということでしょうか?
3. 日本の場合火葬場までついていき、骨を拾ったりというとても考えられないような過程があると思うんですが(私はしませんでした)これはどんな意味があるんでしょうか? やはり死して骨となり灰となりで、宗教的には死後の世界はないということなのでしょうか? ちなみに私の経験では、英国では、遺族は火葬場にはいかず、後日遺灰が特別の容器に入れられ、遺族に戻ってくるようです。
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