| 後期ウィトゲンシュタインでは写像理論を破棄する。 そして形而上学的主体という表現も影を潜める。 以下は後期ウィトゲンシュタインで形而上学について重要であると思える言説を書き出してみる。
『哲学者たちが語──「知識」「存在」「対象」「自我」「命題」「名」など──を用いて、ものの本質を把握しようとしているとき、ひとは次のように問わなくてはならない。いったいこの語は、その元のふるさとである言語の中で、実際いつもそのように使われているのか、と。── われわれはこれらの語を、その形而上学的な用法から、ふたたび日常的な用法へと連れもどす。(大修館書店「ウィトゲンシュタイン全集8 哲学探究116」より)』
『あらゆる形而上学的なものと同様、思考と現実の調和は言語の文法の内に見出される(大修館書店「ウィトゲンシュタイン全集9 断片55 」)』
『哲学探究、概念的探究。形而上学の本質、それは事実的探究と概念的探究の区別を抹殺すること。(大修館書店「ウィトゲンシュタイン全集9断片458 」)』
形而上学を影に追いやったともとれる言説。
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