□投稿者/ pipit -(2021/11/03(Wed) 09:38:16)
| ■No18219に返信(パニチェさんの記事) > おはようございます、pipitさん。レスありがとうございます。 > パニチェさん、おはようございます 返信ありがとうございます!
> ■No18216 >>(パニチェさんへのご質問) >>私は、『感じたものを考えて』知識を作る、と考えています。 >>感じて→考えて→人間パニチェさんを空間規定できる存在者として設置する。 >>この時、感じて、が最初に来てるでしょう? > > 心の中で自問自答を繰り返す場合はどうでしょうか。例えば内観とかです。感じてが先にくるでしょうか。<
今は、人間パニチェさんを空間規定する過程について話していました。 自問自答は、思考を感じて、だと思いますが、 思考も表象とすると、 内観の場合は、創像(記憶も含む)、が、最初でしょうか。 像の現出連鎖となりますでしょうか。 ですが、今のところ、 とりあえず、パニチェさんの位置規定を軸に書き込みしていきますね。
>>この感じるシステムを、『表象出現システム』とpipitは言っていました。 > > 表象というのは辞書の意味では「現在の瞬間に知覚してはいない事物や現象について、心に描く像。イメージ。」ということでしたからあまりピンと来ていませんでした。^^;<
すみませんm(_ _)m哲学知識に疎いものでm(__)m
>>ですが、よりわかりやすさを目指して、感じて、を『五感出現システム』と変名するのは、パニチェさん的にはどう思われますか? >>さらに、考えて、を『知識製造システム』と名付けるのはいかがでしょう? > > pipitさんが新しい名称を付けようとしている特別な理由はありますか。 > 私はこれらのプロセスは脳科学の知見を参考としています。少し横道にそれますが。。。。 > > 10年ほど前にカントを論じているixtlanさんに「哲学も現代脳科学の知見を積極的に取り込むべきだ、もともと哲学とは学問全体のことなんだから線引きする必要はない。カントが論じていることは全てではないにせよ、脳科学の知見として置き換えられることが多い。逆の言い方をすればカントの偉大な仕事は現代脳科学の知見をもって知りえた認知プロセスをその知見がなかった時代に哲学的な思惟によって、ある特定の結論に至ったことだと思う」と述べたことが思い出されます。なんとixtlanさんとは、その後脳科学本の読書会をしたことがありました。 > > 新しい概念には誤解を生じないように新しい名称が必要だとは思いますが、既にある概念はそれにつけられている名称を利用するというのが私が常々思っていることです。 > 哲学に新しい言葉がたくさん出てきますが、これらは新しい概念であるための区別として名付けられているのだと思います。<
はい。
> 『五感出現システム』は「感じる」ことで「五感が出現」するようなイメージになるような気がします。 > pipitさんも先のレスで投稿されていたように唯識の「五識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識)」とか、脳科学の「五感による知覚」でいいような気がします。<
はい。では、『五識』と呼ばせていただきます。
> 『知識製造システム』は先の唯識の「五識」で知覚した対象(意味付けがなされていない)を第六意識が「それが何であるか」を認識するプロセスであり、脳科学では記憶(既存知識も含む)との照合に当たると思います。<
パニチェさんは、pipitと対話する上で、なんと呼んだらいいと思われますか?
>>感じて→考えて→空間規定された存在物を設置する。 >>を、 >>『五感出現システム』→『知識製造システム』→『知識』 > >>と、pipitが言ったとき、 >>パニチェさんは、 >>人間パニチェさんが位置規定される過程を現したものとして、 >>何か違和感感じますか? > > 違和感があります。人間パニチェの位置(身体全体や、それぞれの部位、例えば手足がどこにあるかも含めて)を特定するのは体性感覚野経由の認識プロセスということになります。 > 常に空間を移動している場合もあり、自分の位置をその都度知識を蓄えるようなプロセスで認識しているようには思えません。<
では、人間パニチェさんの知識として位置規定するプロセスは、 『五識』→『記憶』→『知識』 ではどうですか?
>>もし違和感感じられてたら、またすり合わせできたらいいなと思うのですが、 >>とりあえずパニチェさんにお聞きしたい質問を書いて見ますね。 >>パニチェさんは、『五感出現システム』を空間内に規定可能なシステム実体として見てますか? > > いえ、見ていません。 > >>『五感出現システム』は、空間位置規定可能な、肉体システムとして見てますか? >>それとも全く違うとして、パニチェさんのご自由にご意見を書いて教えていただけますか? > > 仮に視覚に限定してみると、見て、記憶との照合(思考)でもって、新たな知識の蓄積とする意識的なプロセスに対して、空間位置規定プロセスは無意識的なプロセスだと思います。<
最初に言ってたのは、 大阪府を緯度経度で位置規定できるように、 人間パニチェさんの位置規定できますか? でした。
> この二つは別のプロセスとして考えた方がいいように思います。 > 例えば歩行やバランスなんかも普段は無意識的なプロセスでもって保たれています。<
知識としての位置規定を作成するプロセスについてお聞きしていました。
無意識による空間規定は、緯度経度表現まで知識として登れませんよね? 今、話してるのは、知識としての空間規定です。 パニチェさんの考えてることを知りたくて質問してきます。
『五識』→『知性』→『知識』 としたとき、 『五識』は空間規定されるものではない、ということですね。
ですが、『五識』を生じてる主体が有る、と考えられてますか? それは、どういう理由で、そう考えるのですか?
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