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カント哲学内での限界の話題の部分はほとんど未勉強で、今回2回目に目を通した(一回目は無理矢理目を通して内容は上滑りで頭に入れる努力をしていなかった)御子柴善之先生の本に載ってたカントの言葉がいいなぁと感じたので引用します。
『カント哲学の核心『プロレゴーメナ』から読み解く』御子柴善之先生著、p251-252
カントの文章の和訳 『感性界はもっぱら現象のみを含む。 現象はけっして物それ自体ではない。 悟性は物それ自体(ヌーメノン)を想定しなければならないが、それは悟性が、経験の対象はたんなる現象なのだと認識するからである。 私たちの理性においては、現象と物それ自体との両方がともに包括されている。 問題なのは、双方の領野について悟性を限界づけるために、理性がどのように振舞うかである。(Ak360、中公174-175、岩波230-231)』 『経験の領野を、他の点では理性に知られないものによって限界づけることは、それでも、このような立ち位置にある理性に残された、一つの認識である。 この認識によって理性は感性界の内部に閉じ込められず、また感性界の外部でまどろむこともない。 むしろ、理性は限界を知っているものにふさわしく、もっぱら、限界の外部に存するものと限界の内部に含まれるものとの関係に自己規制するのである。(Ak361、中公175、岩波231-232)』 引用終了
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