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■17951 / inTopicNo.73)  クルターグ
  
□投稿者/ 田秋 -(2021/10/24(Sun) 13:08:56)
    2021/10/24(Sun) 15:30:28 編集(投稿者)

    こんにちは、tollさん

    tollさんご紹介の「89歳の老作曲家夫婦」のクルターグ夫妻はハンガリーの作曲家です。ダンナさんのジョルジュ・クルターグに写真のような作品があります。これは「遊び」という名が付いた曲の第3楽章なのですが、実はビオラソロのための曲なのです。

    3段ですよ、3段!

    高校生の時にこの楽譜を買って、弾き方が分からず、「こんなん、弾けへん!」
    で、そのままお蔵入りになってしまいました。

    今はyoutubeで演奏を聴くことができます。
    https://www.youtube.com/watch?v=tV4ZAuif1KU

    2'05"辺りからこの楽章です。

    そうか、こうやって弾くのか!・・・でも今更さらう気にもなりまへ〜ん\(^o^)/
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julek.jpg
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■17947 / inTopicNo.74)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2021/10/24(Sun) 09:51:16)
    時さん、おはようございます
    (o^^o)

    No.17933
    わたしが読んだ解説書とはちょっと違うような解釈ですが、経典ではそう書かれてあるのかもしれませんね。
    実際に、自らの内で起きることを見て、納得することができたら最高だな、と思います。
    とても勉強になります、ありがとうございます
    m(_ _)m(^人^)

    今、思うのは、
    『知る』ことにより、衝動(サンカーラ)が変化していくのかな、って。
    完全に無明が滅すると、行も滅するのかなと想像してます、が、想像は思考ですね。
    でも、複雑に絡み合う縁起の世界では、思考も含めいろんなものがいろんな作用を及ぼすのだろうな、と、思いました。

    感謝です!


引用返信/返信 削除キー/
■17940 / inTopicNo.75)  バッハ
□投稿者/ みのり -(2021/10/24(Sun) 08:05:43)
    バッハの「G線上のアリア」という曲がありますね。
    本当のタイトルはそれとは違う、とも聞いたこともありますけど。

    この曲、とても美しくて最高に癒されると思うのです。(個人的には)
    こんな美しい曲を作れる人というのは、その人自身のなかに美しい部分が
    あるからなんだろうな、と感じます。

    芸術は何でも多分そうなんだと思います。
    その人のなかにある美しさが表現されれば、人にその美しさが伝わり、
    悲しみが作者のなかにあれば、それが人に伝わり・・・
    絵画などもそうですよね。
    言葉以外の方法で、自分の想いを人に伝えることができる、こうしたことは
    人間にしかできない素晴らしさだと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■17937 / inTopicNo.76)  Re[11]: バッハ
□投稿者/ toll -(2021/10/24(Sun) 07:53:30)

    おはようございます 田秋さん


    No17922に返信(田秋さんの記事)
    > こんばんは、tollさん
    >
    > 記事の紹介、ありがとうございます。紹介記事にもあるように、バッハへの評価は「オルガニストとしては一流だけど、作曲家としては今ひとつ・・・」というものだったようで、息子のクリスチャン・バッハの方が人気があったそうです。当時の人々の多くは、まさかこのセバスチャンが後世の演奏家の《基礎》となり、《一生の課題》とするような作曲家になるとは思っていなかったでしょうね。バッハ自身は自分のことをどう評価していたんでしょう、興味あるところです。
    >
    > >駄作と呼ばれる作品が生まれるのもいたし方ありません。
    > この記事を書いた方がどの曲を聴いてそう感じたのかわかりませんが、自分の経験ではまだバッハの駄作に会ったことがないので
    > 「あ、このバッハ(の曲)、駄作じゃん(^^♪」
    > と言ってみたい!?。・・・カンタータにあるんでしょうかねえ?毎週新しいカンタータを書いていたようですから。
    >
    >



    他愛もない話題にお付き合いいただいて
    ありがとうございます。
    どなたも偉大なバッハ大先生には敵わないですよね。
    才能を発揮されて、後世での評判も良しですし。
    しかも、今で言うエンジニアではなかったという
    評判には、大先生への認識が新たにされますし。
    (因みに、私は聴くだけです^^)


    knowing itself さん ご紹介くださった
    https://youtu.be/H3ygA12-ABo

    これ、とても良いですね。
    晴れ晴れ、高尚とした気持ちになります。



    代わり映えどころを狙った訳ではないのですが
    バッハを捉えに行ったのではなく
    そこにバッハが居たという感じでしょうか。
    こんなんがありました。


    こういう場面にも合う
    Víkingur Ólafsson – Bach: Prelude & Fugue, BWV 855a: 1. Prelude No. 10 in B Minor (Transcr. Siloti)
    https://youtu.be/rtT__umjFVY

    フーガの技法
    Bach’s Beer Bottles: The Art of Fugue, Contrapunctus 1
    https://youtu.be/SNqds1vHZ34

    89歳の老作曲家夫婦
    Márta and György Kurtág play Bach-transcriptions by Kurtág
    https://youtu.be/Z8lTh58jhA8

引用返信/返信 削除キー/
■17933 / inTopicNo.77)  pipitさんへ
□投稿者/ 時 -(2021/10/24(Sun) 00:43:20)
    pipitさんへ

    > とてもわかりやすい喩えですね。
    > 解説本も同じように喩えられてたので、経典にもその喩えがあるのかな、と、思いました。

    経典内にこのような譬えがあったのかどうか、定かではありません。その瞬間に思い付きました。

    > >智慧を背景とした有尋有伺定、無尋有伺定等で泥自体を根こそぎ排除していくといったイメージが観瞑想です。<
    >
    > 違うかもですが、やはり、理解能力として『伺』くらいの心の論理思考能力はオンになってなくてはいけないのかな?と思いましたけど、全然勘違いかもです

    四禅定の初禅に至った時には、有尋有伺ですね。
    初禅(尋伺を伴い欲と不善の法から遠離し、その遠離より生じた喜楽のある処)(諸欲の滅尽)です。

    尋伺を伴い・・ですから、尋と伺がある状態での定ということになりますね。ですので、有尋有伺定です。経験則ですが、初禅に至るまでは、頭の中でフル回転で教えを繰り返すと同時に、心を静める無尋無伺も行っていたように思います。

    次に、欲と不善の法から遠離し・・ですから、それまでには智慧としての不善の諸法とは?とか、欲とは?等を尋伺しつつということになりそうですね。

    そこでめでたく遠離できれば、そこが初禅です。この処では、ようやく欲がらみの苦から解放された感覚になり、喜びと楽な感覚に至ります。ですので、この初禅の到達で「緒欲の滅尽」となります。

    同じく禅定が進むと、二禅で瞋が捨てられ、三禅で喜が捨てられ、四禅で不苦不楽の境地により、無明が捨てられます。

    無明とは、苦に関する無知・苦の生起に関する無知・苦の滅尽に関する無知・苦の滅尽へ導く道に関する無知のことですので、四禅で無明が捨てられるということは、この時点で四聖諦を知っていることになります。

    涅槃(貪欲の滅、瞋恚の滅、愚痴の滅)ですので、先ほどの初禅で(貪=緒欲)二禅で(瞋)が、四禅で(無明)が捨てられますので「貪・瞋・無明」の滅尽となりますね。

    涅槃の定義の中の一つの愚痴ですが、愚痴(無明、迷妄のこと)ですので、この愚痴の中の無明は四禅で捨てられています。残る迷妄は、(物事の道理を知らず、誤りを真実と思い込む事。心の迷いの事)ですので、それまでの学びや智慧で物事の道理を知り、誤りを真実と思い込まず、心の迷いがない事に変化します。つまりは、貪・瞋・痴の滅尽で涅槃の定義と合致しますね。

    ですので、四禅定のマスターで涅槃体現ということができると思われます。とまぁ、このようなことを知っているからとて、心の平安は訪れないと思いますが。

    > >ですので、仏典内に記載がある、慧解脱(段階的な慧解脱の最初)は、四禅定の初禅であり、同時に緒欲の滅尽した彼岸は、ここ(初禅)より始まるという理解です。<
    >
    > 実体験で理解したいです
    > (とほほー(ノ_<)) 

    ぜひぜひ、実体験しましょう。(^^)v

    > インターネットで無料で拝見できる光明寺さまの経典訳のページは、本当はわたしにとって宝物なのに、怠け心で、全然読んでないです。

    基本的に物に対する対価を支払うのは、現代社会では当然のことだと思いますが、こと仏教関係では、法を説いての対価は受け取らないというのが基本だと私は理解しています。法を説かずとも、それを金品に変える(引き換え)というのは、個人的には賛成しかねるのですね。支払うのはまだよいのですが、受け取るというのが少し引っかかっています。

    > 決めてるのは自分ですね。

    自分=私 ということで、本当に決めているのは、pipitさんご自身なのでしょうか?pipitさんの自由意志で?(笑)哲学の範疇に入りそうですね。私自身は門外漢ということでご理解ください。

    では、この辺で。ご返信をありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■17931 / inTopicNo.78)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2021/10/23(Sat) 21:47:46)
    返信ありがとうございます。とても嬉しいです。

    No17929
    > はい、そうですね。私の理解では、例えば、泥の舞い上がる泥水の泥が鎮まるのが止瞑想で、その泥そのものを根こそぎ排除するのが観瞑想といったイメージです。ですので、止瞑想だけでは再度泥(漏)が舞い上がりますね。<

    とてもわかりやすい喩えですね。
    解説本も同じように喩えられてたので、経典にもその喩えがあるのかな、と、思いました。

    >智慧を背景とした有尋有伺定、無尋有伺定等で泥自体を根こそぎ排除していくといったイメージが観瞑想です。<

    違うかもですが、やはり、理解能力として『伺』くらいの心の論理思考能力はオンになってなくてはいけないのかな?と思いましたけど、全然勘違いかもです
    (><)

    >ですので、仏典内に記載がある、慧解脱(段階的な慧解脱の最初)は、四禅定の初禅であり、同時に緒欲の滅尽した彼岸は、ここ(初禅)より始まるという理解です。<

    実体験で理解したいです
    (とほほー(ノ_<))


    >>時さんは、直接経典読まれててすごいですね
    >
    > 全くすごくないですよ。(笑)パーリを基本とした日本語訳で、その中に記載がある自灯明法灯明を心掛けているだけで、自らを州とし、仏陀の言葉(法)を拠り所としようとしているだけです。
    >
    > 自らを島とし依り所とし、他を依り所とせずに、法を島とし依り所とし、他を依り所とせずというやつですね。そして、原文の翻訳が私にはできませんので、百人いれば百通りの解釈が生まれる中、それらを全く参考にはしないという意味ではありませんで、可能な限り金銭が絡まず、最低限の人数(一人)の感覚で訳されての原文対比ができるような訳文を、個人的には選んではいるつもりです。<


    インターネットで無料で拝見できる光明寺さまの経典訳のページは、本当はわたしにとって宝物なのに、怠け心で、全然読んでないです。

    決めてるのは自分ですね。

    ありがとうございます。感謝です。
    m(_ _)m
引用返信/返信 削除キー/
■17929 / inTopicNo.79)  pipitさんへ
□投稿者/ 時 -(2021/10/23(Sat) 21:07:40)
    pipitさんへ

    お久しぶりです。こんにちは。返信をありがとうございます。

    > 時さんにお役に立てる情報か否かわからないのですが、わたしの手元にある『仏法』ポーオーパユットー師、野中耕一先生訳、サンガ、p336-
    > から、止観や、心解脱、慧解脱、倶舎論解脱などについての記述を引用します。(何かのお役に立てれば嬉しいな、と思い^ ^)

    引用をありがとうございます。このような解釈をされる方もおられるのだなぁと大変興味深く拝見しました。

    > ブッダ、阿羅漢、最勝の人になるのは、漏尽智通により、漏、煩悩を滅尽しなければならない。それは慧解脱も倶解脱も同じようにある。
    > (略)
    > 』
    > 引用終了

    > 『止』だけでは、心が解脱しても元に戻る可能性があるから、智慧によって解脱することをブッダは教えられたとされてるのかな、と、引用しながら思いました。

    はい、そうですね。私の理解では、例えば、泥の舞い上がる泥水の泥が鎮まるのが止瞑想で、その泥そのものを根こそぎ排除するのが観瞑想といったイメージです。ですので、止瞑想だけでは再度泥(漏)が舞い上がりますね。智慧を背景とした有尋有伺定、無尋有伺定等で泥自体を根こそぎ排除していくといったイメージが観瞑想です。ですので、仏典内に記載がある、慧解脱(段階的な慧解脱の最初)は、四禅定の初禅であり、同時に緒欲の滅尽した彼岸は、ここ(初禅)より始まるという理解です。

    > 時さんは、直接経典読まれててすごいですね

    全くすごくないですよ。(笑)パーリを基本とした日本語訳で、その中に記載がある自灯明法灯明を心掛けているだけで、自らを州とし、仏陀の言葉(法)を拠り所としようとしているだけです。

    自らを島とし依り所とし、他を依り所とせずに、法を島とし依り所とし、他を依り所とせずというやつですね。そして、原文の翻訳が私にはできませんので、百人いれば百通りの解釈が生まれる中、それらを全く参考にはしないという意味ではありませんで、可能な限り金銭が絡まず、最低限の人数(一人)の感覚で訳されての原文対比ができるような訳文を、個人的には選んではいるつもりです。
引用返信/返信 削除キー/
■17924 / inTopicNo.80)  Re[11]: バッハ
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/23(Sat) 19:38:07)
    https://youtu.be/H3ygA12-ABo

    聴いたことがない人に。「人生にまだそんな大きな喜びがまっているあなたが羨ましい」

    ピアノ版ならグールドをはじめとして、みなさん聴いているかな。
引用返信/返信 削除キー/
■17922 / inTopicNo.81)  Re[10]: バッハ
□投稿者/ 田秋 -(2021/10/23(Sat) 19:00:03)
    こんばんは、tollさん

    記事の紹介、ありがとうございます。紹介記事にもあるように、バッハへの評価は「オルガニストとしては一流だけど、作曲家としては今ひとつ・・・」というものだったようで、息子のクリスチャン・バッハの方が人気があったそうです。当時の人々の多くは、まさかこのセバスチャンが後世の演奏家の《基礎》となり、《一生の課題》とするような作曲家になるとは思っていなかったでしょうね。バッハ自身は自分のことをどう評価していたんでしょう、興味あるところです。

    >駄作と呼ばれる作品が生まれるのもいたし方ありません。
    この記事を書いた方がどの曲を聴いてそう感じたのかわかりませんが、自分の経験ではまだバッハの駄作に会ったことがないので
    「あ、このバッハ(の曲)、駄作じゃん(^^♪」
    と言ってみたい!?。・・・カンタータにあるんでしょうかねえ?毎週新しいカンタータを書いていたようですから。


引用返信/返信 削除キー/
■17918 / inTopicNo.82)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2021/10/23(Sat) 17:40:20)
    2021/10/23(Sat) 23:09:50 編集(投稿者)

    時さん、こんにちは!!
    お久しぶりです
    m(_ _)m((o(^∇^)o))♪♪♪

    時さんにお役に立てる情報か否かわからないのですが、わたしの手元にある『仏法』ポーオーパユットー師、野中耕一先生訳、サンガ、p336-
    から、止観や、心解脱、慧解脱、倶解脱などについての記述を引用します。(何かのお役に立てれば嬉しいな、と思い^ ^)

    『(略)定を使うことに関係する実践方法により二つの道程、あるいは二つの方法に分けることができよう。

    (@)慧の面だけを目指す方法、(略)定は使うが、実践に必要な限り最初の段階だけ、あるいは定は援助役としてだけ使い、念の方を基本として使う。定めたいものを掴むのは、慧に思慮させる。これが「観(ヴィパッサナー)」と呼ばれる実践方法である。

    (A)定を使うことに重点を置く方法。(略)様々な段階の禅定、あるいは等至(Samapatti)と呼ばれる状態まで到達し、(略)様々な煩悩や漏が(略)限られた範囲内に静まるようにコントロールされており、(略)この段階での実践をすべて「止(サマタ)」と呼んでいる。
    ここで止まらずに、次の段階に進んで煩悩(漏)をすべて滅すれば、すなわち、「観」の段階であり、第一の方法と類似する。基本から言えば、心に用意ができているから、よりやさしい。(略)

    第一の道程による実践の成就は慧解脱(Panna-vimutti)と言う。これは慧で解脱(漏のない自由)することである。(略)

    第二の道程による実践の成就の成果は二つの部分に分けられる。
    「止」の成就の成果である最初の部分は、心解脱と呼ばれる。すなわち、心の解脱である。定の力で制御するので、一時 煩悩の力から脱して自由となる。
    最後の部分である第二の部分は最初の道程と同様に慧解脱と呼ばれる。
    慧解脱に達すると、その前に得られていた衰退しうる心解脱は、戻って二度と変わることのない完全な安定した心解脱に変わる。
    (略)
    @慧解脱だけがはっきりと顔を出す最初の道程で完成した人は「慧解脱者」(Panna-vimutta)と呼ぶ。すなわち、慧で解脱した人である。
    A第二の道程で完成した人は、「倶解脱者」(Ubhatobhaga-vimutta)と呼ぶ。すなわち、二つの部分を解脱しているからである。(等至と聖道の二つ)
    (略)
    ブッダ、阿羅漢、最勝の人になるのは、漏尽智通により、漏、煩悩を滅尽しなければならない。それは慧解脱も倶解脱も同じようにある。
    (略)

    引用終了

    『止』だけでは、心が解脱しても元に戻る可能性があるから、智慧によって解脱することをブッダは教えられたとされてるのかな、と、引用しながら思いました。

    時さんは、直接経典読まれててすごいですね
    (#^.^#)

引用返信/返信 削除キー/
■17913 / inTopicNo.83)  バッハ
□投稿者/ toll -(2021/10/23(Sat) 11:43:14)


    はじめまして。田秋さん。



    No17859に返信(田秋さんの記事)


    > それにしてもバッハさん、一生に書いた曲数を考えると1曲にそう長い時間はかけていないと思うのですが、それで何故これほどのものが書けたのか?全く信じられないことなのですが、一つ思うのは主への帰依(仏教以外にもこの言葉使えるのかな?)による強い信念があったからなのかなあと思ったりします(だから迷わずホイホイ書けた???)。



    音楽家は職業音楽家から始まったと
    何かで読んだ記憶があります。
    ↓ 以下に簡単な説明があります。ご参考までに。



    https://www.asanao.com/331.html

    18世紀、バッハの時代、音楽家は芸術家というよりも、宮廷や教会に所属する職人に近い存在でした。バッハは、「眠れない夜の気分を紛らわすことができる、穏やかで、幾分陽気な音楽を作ってほしい」というクライアントの要望に応えて、1つのアリアをテーマに30のバリエーションからなる変奏曲を作曲しました。

    (中略)

    彼の膨大な量の作品の多くは、クライアントありきのものでした。教会に所属する「サラリーマン音楽家」だったので、礼拝のためのミサ曲をコンスタントに作り続けるのが仕事。ですので、駄作と呼ばれる作品が生まれるのもいたし方ありません。

    〜〜〜引用終わり



引用返信/返信 削除キー/
■17901 / inTopicNo.84)  Re[11]: 夢だとしても。
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/23(Sat) 07:37:03)
    2021/10/23(Sat) 07:57:44 編集(投稿者)

    No17899に返信(みのりさんの記事)
    > 宇宙がそもそもなせ存在するのか、なぜ宇宙はそもそもあるのか、私たちはなぜいるのか。
    > こうしたことは誰にもわからない。
    > もしかしたらだけれど、夢、幻想なのかもしれない。
    > そうでは絶対にない、とも言いきれない。

    > しかし、私たちがいる、と感じているのは間違いなくって。
    > そうしたなかで、喜んだり悲しんだりしているのは間違いない。
    > だから、最初に書いたような数々の疑問は、そう深刻に考えずともいいものなんだと私は思っている。(あくまで私は)
    > 一種の娯楽みたいなものだとも思うのだ。

    > もしかしたら夢、幻想かもしれない「生」を楽しんだり悲しんだりして、でも、皆で基本楽しく生きていけたらいいな〜。

    仮にすべてが夢幻であってもそれを体験している〈私〉の存在は揺るがないものだとパニチェは考えています。
    マトリックスの世界で言うと添付した身体性とともにある〈私〉ですし、「桶の中の脳(水槽の脳)」で言えば脳は存在すると同時に〈私〉は存在している。

    そう考えると、パニチェ的には世界や宇宙が存在している以上に〈私〉が存在していることが奇跡的で不可思議です。
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