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No17929 の記事


■17929 / )  pipitさんへ
□投稿者/ 時 -(2021/10/23(Sat) 21:07:40)
    pipitさんへ

    お久しぶりです。こんにちは。返信をありがとうございます。

    > 時さんにお役に立てる情報か否かわからないのですが、わたしの手元にある『仏法』ポーオーパユットー師、野中耕一先生訳、サンガ、p336-
    > から、止観や、心解脱、慧解脱、倶舎論解脱などについての記述を引用します。(何かのお役に立てれば嬉しいな、と思い^ ^)

    引用をありがとうございます。このような解釈をされる方もおられるのだなぁと大変興味深く拝見しました。

    > ブッダ、阿羅漢、最勝の人になるのは、漏尽智通により、漏、煩悩を滅尽しなければならない。それは慧解脱も倶解脱も同じようにある。
    > (略)
    > 』
    > 引用終了

    > 『止』だけでは、心が解脱しても元に戻る可能性があるから、智慧によって解脱することをブッダは教えられたとされてるのかな、と、引用しながら思いました。

    はい、そうですね。私の理解では、例えば、泥の舞い上がる泥水の泥が鎮まるのが止瞑想で、その泥そのものを根こそぎ排除するのが観瞑想といったイメージです。ですので、止瞑想だけでは再度泥(漏)が舞い上がりますね。智慧を背景とした有尋有伺定、無尋有伺定等で泥自体を根こそぎ排除していくといったイメージが観瞑想です。ですので、仏典内に記載がある、慧解脱(段階的な慧解脱の最初)は、四禅定の初禅であり、同時に緒欲の滅尽した彼岸は、ここ(初禅)より始まるという理解です。

    > 時さんは、直接経典読まれててすごいですね

    全くすごくないですよ。(笑)パーリを基本とした日本語訳で、その中に記載がある自灯明法灯明を心掛けているだけで、自らを州とし、仏陀の言葉(法)を拠り所としようとしているだけです。

    自らを島とし依り所とし、他を依り所とせずに、法を島とし依り所とし、他を依り所とせずというやつですね。そして、原文の翻訳が私にはできませんので、百人いれば百通りの解釈が生まれる中、それらを全く参考にはしないという意味ではありませんで、可能な限り金銭が絡まず、最低限の人数(一人)の感覚で訳されての原文対比ができるような訳文を、個人的には選んではいるつもりです。
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