| [14] 友人について
・・・・・ 2 わたしは、わたしを相手に、いつも対話に熱中しすぎる。 もし誰か友人がいなかったら、どうしてそれに耐えられようか?
3 隠遁者にとって、友人はいつも第三者である。 第三者は、二人の対話が沈み込むのを阻止するコルク製の浮子(うき)なのだ。 ・・・・・『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p101より引用
3 の隠遁者とは、ツァラトゥストラのこと。 そして、ツァラトゥストラのように精神的に自立している人を指すのだと 思います。
自己との対話に煮詰まった時、友人と対話する。 それによって、自分と自分の対話(思索)が煮詰まってしまうのを止めてもらえる。
まずは、自分の中で思索し、行き詰った時に友人と対話するとヒントを もらえる、というようなことだと読みました。
この章はおもしろそうです。 これからニーチェの友人観がわかるかもしれないし、生きる上での参考に なる言葉にも出会いそうです。
というわけで、次回また。
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