| おはようございます、アートポットさん
ワクチンの予約は上手くいきましたか?
今日のお題は《杞憂》、出典は列子「天瑞 第一」です。 「取り越し苦労」という意味で使われていますが、この段を通読すると列子の眼目はそれとは少し異なるのでは?と感じます。 話の概要は次の様です。 杞の国の男が、天が落ち地が壊れたらどうしようと心配していた。それを聞いた別の男が、そんな事は起こる筈がないとこんこんと説明したので、心配していた男は安心した。 これを聞いた長廬子という楚の哲学者は「絶対崩壊しないとは言えないし、だからと言って崩壊を心配するのも遠大にすぎる」と笑った。 それを聞いた列子は笑いながら 「天地が崩壊すると主張する者も間違っているし、天地が崩壊しないと主張する者も間違っている。崩壊するかしないかは己に分からないことだからである。しかし崩壊するというのも崩壊しないというのも一つの見識である。将来の人間には過去のことは分からず、過去の人間には将来のことは分からない。天地が崩壊しようと崩壊すまいと、そんなことに心を乱されない無心の境地こそ大切なのだ」と言った。
(小林勝人訳《列子》、福永光司訳《列子》を参照にして記述)
これがこの話の概要です。明らかに主題は「取り越し苦労」ではなく何事にも心を乱されない「無心の境地」です。が、だからと言って「杞憂」を「無心の境地」を表す成語として使ってはいけません。
さて、この取り越し苦労する男が何故「杞の国」の人なのか?これにはちゃんとした(?)理由があります。杞の国の人々は昔は夏の国(商 [殷] の前の王朝)の人たちなのです。夏は商によって滅ぼされたのですが、当時の人は祟りというものを本当に恐れていたので、夏の人たちに夏の王の霊を祀らせていたのです。その人たちが住んでいた所が「杞の国」なのです。いわばこの人たちは亡国の遺民なのです。そういう人たちのことを心の中では軽く見ていたので、こういう取り越し苦労をするというちょっとオマヌケな役柄に杞の国の人を選んだのでした。
《宋襄の仁》(そうじょうのじん)という言葉があります。「宋の国襄公がかけたあわれみ」というのが字面の意味です。 襄公、茲父(じほ)という人物が諸侯に覇を唱えようと楚と戦った。楚軍の陣形がまだ整っていないのをみて子の目夷(もくい)が 「楚軍はまだ陣型が整ってないので今のうちに出撃しましょう」と進言したところ襄公は 「君子とは人が困窮しているときにつけ込んだりしないものだ」 といい、相手の陣形が整うのを待った。 挙句襄公は大敗を喫した。 後世、人はこれを宋襄の仁として笑った、という話です。
出典は春秋左氏伝僖公22年と十八史略・春秋戦国・宋です。
左伝では、相手の陣形が整う前に攻めましょうと進言したのは目夷ではなく司馬(公孫固か?)になっており、また世の人が笑ったという記述は左伝にはありません。僖公22年というのはBC638年で、この戦いは「泓水の戦い(おうすいのたたかい)」と呼ばれています。 説明が長くなりましたが、宋の襄公の《宋》という国は商の遺民に与えられた国なのです。やはり亡国の民が笑いものになっています。
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