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■14973 / inTopicNo.13)  Re[63]: めるへん治療
  
□投稿者/ アートポット -(2021/07/16(Fri) 21:47:20)
    No14969に返信(アートポットさんの記事)
    > ■No14968に返信(田秋さんの記事)
    >>こんばんは、アートポットさん
    >>
    >>タイトルの《めるへん治療》でインターネットで検索してもバチっとヒットしないのですが、これは専門用語ではないのですか?
    >
    > こんばんは、田秋さん
    >
    > 「icdとdsm」や「dsm-5」や「icd10」等の言葉で、ビングやグーグルでサーチしてください。
    > アマゾン上なら「dsm-5」でサーチしてください。
    >
    > これでヒットしないなら、田秋さんのコンピュータが検閲されている可能性も考えられます。

    本の名前は、dsm-5 や icd10 です。
    dsmは、アメリカと日本の診断基準ともいえます。
    icdは、ヨーロッパの診断基準ともいえます。
    ドクターによってどちらを採用してるか異なります。
引用返信/返信 削除キー/
■14972 / inTopicNo.14)  Re[63]: めるへん治療
□投稿者/ 田秋 -(2021/07/16(Fri) 21:47:08)
    こんばんは、アートポットさん

    《めるへん治療》という言葉について聞いています
引用返信/返信 削除キー/
■14969 / inTopicNo.15)  Re[62]: めるへん治療
□投稿者/ アートポット -(2021/07/16(Fri) 21:10:27)
    No14968に返信(田秋さんの記事)
    > こんばんは、アートポットさん
    >
    > タイトルの《めるへん治療》でインターネットで検索してもバチっとヒットしないのですが、これは専門用語ではないのですか?

    こんばんは、田秋さん

    「icdとdsm」や「dsm-5」や「icd10」等の言葉で、ビングやグーグルでサーチしてください。
    アマゾン上なら「dsm-5」でサーチしてください。

    これでヒットしないなら、田秋さんのコンピュータが検閲されている可能性も考えられます。
引用返信/返信 削除キー/
■14968 / inTopicNo.16)  めるへん治療
□投稿者/ 田秋 -(2021/07/16(Fri) 20:58:02)
    こんばんは、アートポットさん

    タイトルの《めるへん治療》でインターネットで検索してもバチっとヒットしないのですが、これは専門用語ではないのですか?
引用返信/返信 削除キー/
■14962 / inTopicNo.17)  icdとdsm
□投稿者/ アートポット -(2021/07/16(Fri) 18:52:11)
    めるへん治療には、icd10、icd11、dsm-5、等の国際診断基準が存在しますが、普通にアマゾンに売ってるね。
    翻訳本。
引用返信/返信 削除キー/
■14813 / inTopicNo.18)  Re[59]: 絶賛
□投稿者/ アートポット -(2021/07/10(Sat) 12:47:12)
    No14810に返信(田秋さんの記事)
    > おはようございます、アートポットさん
    >
    > 何やら悪魔ちゃんのトピで絶賛されてますね^^
    >
    > 素晴らしい。

    こんにちは、田秋さん

    ありがとうございます。

    悪魔ちゃんのトピックでお礼をいうのもちょっと失礼なので
    このトピにて、

    パニチェさん、おくたがわさん、ありがとうございます。


    田秋さんの、あの世の可能性vs現世の一所懸命、論も感動しました。
引用返信/返信 削除キー/
■14810 / inTopicNo.19)  絶賛
□投稿者/ 田秋 -(2021/07/10(Sat) 09:57:53)
    おはようございます、アートポットさん

    何やら悪魔ちゃんのトピで絶賛されてますね^^

    素晴らしい。
引用返信/返信 削除キー/
■14798 / inTopicNo.20)  Re[57]: ちょっと格好良く
□投稿者/ アートポット -(2021/07/09(Fri) 16:43:47)
    No14797に返信(田秋さんの記事)
    > こんにちは、アートポットさん
    >
    > 兼好法師の本名は卜部兼好(うらべかねよし)です。卜部家が吉田家を名乗る様になったのは兼好法師が亡くなった後で、兼好法師自身、吉田姓を名乗ったことはありません。ということで、最近は吉田兼好と呼ばずに兼好とか兼好法師と呼ぶのがトレンドになりつつあります。
    > という訳で、吉田兼好と呼ばないのがちょっと格好いいかも。。。
    >
    >
    >
    >

    こんにちは、田秋さん

    これは凄い知識ですね。
    全然知りませんでした。
    今日、いま、この瞬間から兼好法師って呼びます。
引用返信/返信 削除キー/
■14797 / inTopicNo.21)  ちょっと格好良く
□投稿者/ 田秋 -(2021/07/09(Fri) 14:49:09)
    こんにちは、アートポットさん

    兼好法師の本名は卜部兼好(うらべかねよし)です。卜部家が吉田家を名乗る様になったのは兼好法師が亡くなった後で、兼好法師自身、吉田姓を名乗ったことはありません。ということで、最近は吉田兼好と呼ばずに兼好とか兼好法師と呼ぶのがトレンドになりつつあります。
    という訳で、吉田兼好と呼ばないのがちょっと格好いいかも。。。




引用返信/返信 削除キー/
■14794 / inTopicNo.22)  Re[55]: 命長ければ恥多し(2)
□投稿者/ アートポット -(2021/07/09(Fri) 11:50:12)
    No14793に返信(田秋さんの記事)
    > 2021/07/09(Fri) 09:37:11 編集(投稿者)
    >
    > おはようございます、アートポットさん
    >
    > さてこの成語は日本の有名な書物にも登場します。徒然草です。少し長いですが該当段を全部書いてみます。第7段です。
    >
    > 「もし、化野(あだしの)に置く露が散らず、鳥部山の火葬の煙も消えず、そして我々も永久にこの世に生き続ける習わしであるならば、情趣というものが、どんなに失せてしまうであろうか。この世は不定(ふじょう)であるからこそ価値があるのである。
    >
    > 生命あるものをよく見ると、人間ほど長く生きるものはない。かげろうのように朝に生まれても夕方には死ぬ運命にあったり、蝉のように夏だけの命で春も秋も知らない生き物もあるではないか。人間がたとえ一年間つくねんと過ごすだけでも、それはこの上なく長く安楽な生き方と言えるではないか。それでも寿命に満足せず名残り惜しいと思うならば、たとえ千年を過ごしても、一夜の夢のようにはかない気持ちがするであろう。いつまでも生き続けることのできないこの世に、老醜の姿を晒すまで生きることができても、何の甲斐があろうか。
    >
    > 《長生きすれば恥をかくことも多い》。長くとも四十歳に達しないくらいで死ぬのが見た目もよいようである。その年代を過ぎてしまうと、老醜の姿を恥じる心もなくなり、人前に出たがり、老残の身で子や孫を溺愛し、立身する将来を見届けるまでの余命を願い、俗世に執着する欲心ばかり深くなり、ついに情趣も理解できなくなっていくのが、情けないことである」
    > (段落は原文にはありません。《》もありません)
    >
    > 作者は兼好法師、京都に住んでいたので京都の地名が出てきます。冒頭の「化野」、あだしのと読み、嵯峨野にあります。嵯峨野に念仏寺という寺があり、そこに十三重の石塔があます。十三重の石塔巡りが趣味なので2度行ったことがあります。
    > 次の「鳥部山」は東山方面にある山でどちらも昔は墓地として知られていたようです。ここに枕草子に出てくる中宮定子の御陵があり、ここも2回お参りしたことがあります。化野の露、鳥部山の煙(火葬の煙)、どちらもすぐに消え、或いはいつまでも立ち続けるものではない譬えです。もしそれらがずっと存在するものであれば、「情趣というものが、どんなに失せてしまうであろうか」と兼好は言います。いつまでもないものだからこそ、趣きがあるのだと言っています。
    >
    > 次の段落では人の命は長いと言い、逆に短いものの例を挙げていきます。
    > 「かげろうのように朝に生まれても夕方には死ぬ運命にあったり」これには出典があり、淮南子(えなんじ)・説林訓180の
    > 「鶴は千年の寿命によって、その游(たの)しみをきわめ、蜉蝣(かげろう)は、朝に生まれて暮れに死ぬが、その楽しみをつくす」
    > に依っています。
    > 次の
    > 「蝉のように夏だけの命で春も秋も知らない生き物もある」
    > にも出典があります。荘子・内篇・逍遥篇に
    > 「夏の蝉は春秋を知らず」
    > とあるのに依っています。
    > その後の
    > 「老醜の姿を恥じる心もなくなり、人前に出たがり、老残の身で子や孫を溺愛し、立身する将来を見届けるまでの余命を願い」
    > も源信の《観心略要集》中、「朝露之底貪名利、夕陽之前愛子孫」に依っているとの指摘がありますが、ボクにはよくわかりませんでした。なお源信は日本の僧侶で、件の書物名の前に「伝」が入っているものもあるので、本当に源信が書いたのかどうかはイマイチ不透明です。
    >
    > 色々と出典を挙げてきましたが、ここでボクが言いたいことは、兼好法師という人はかなりの知識人であるということです。悪く取れば、自分の知識をひけらかしているように見えますが、自分の考えの根拠を示すというのは大変大事な事なのです。そしてこういう態度は何も兼好法師だけの事ではなく、普通のことだったのです。
    >
    > 最後にこの段で兼好法師が言いたかったことをボクなりに述べてみたいと思います。最初の段に
    > 「この世は不定であるからこそ価値があるのである。」
    > とあります。
    > 「あの世に人生を引きずらない、この世で人生を尽くす」
    > これが兼好法師の強い主張なのだと思います。
    >
    > 今回は故事成語の説明とはちょっと異なる筆運びになりました。
    >

    こんにちは、田秋さん

    いつも、ありがとうございます。

    ワタクシは、松尾芭蕉と、吉田兼好と、小林一茶が、区別できないくらいなのですが、大変勉強になりました。
    子供の頃は、千利休も区別できませんでした。

    ワタクシも42歳の時に母親が68歳で亡くなって、去年、43歳でツイッターに自撮りを載せました。
    ワタクシ実は白髭でして徐々に老醜になり始めあわてて自撮りをネットに載せたっていう感じです。
    目立ちたくなりました。

    「あの世に人生を引きずらない、この世で人生を尽くす」

    素晴らしい名言ですね!
    仏教の解脱に通ずるものも感じます。

    珈琲飲んで、マッタリにょ
    で済ませられれば良いのかもしれませんが、この世を楽しみ尽くしたいです。(にょ)
引用返信/返信 削除キー/
■14793 / inTopicNo.23)  命長ければ恥多し(2)
□投稿者/ 田秋 -(2021/07/09(Fri) 09:21:20)
    2021/07/09(Fri) 09:37:11 編集(投稿者)

    おはようございます、アートポットさん

    さてこの成語は日本の有名な書物にも登場します。徒然草です。少し長いですが該当段を全部書いてみます。第7段です。

    「もし、化野(あだしの)に置く露が散らず、鳥部山の火葬の煙も消えず、そして我々も永久にこの世に生き続ける習わしであるならば、情趣というものが、どんなに失せてしまうであろうか。この世は不定(ふじょう)であるからこそ価値があるのである。

    生命あるものをよく見ると、人間ほど長く生きるものはない。かげろうのように朝に生まれても夕方には死ぬ運命にあったり、蝉のように夏だけの命で春も秋も知らない生き物もあるではないか。人間がたとえ一年間つくねんと過ごすだけでも、それはこの上なく長く安楽な生き方と言えるではないか。それでも寿命に満足せず名残り惜しいと思うならば、たとえ千年を過ごしても、一夜の夢のようにはかない気持ちがするであろう。いつまでも生き続けることのできないこの世に、老醜の姿を晒すまで生きることができても、何の甲斐があろうか。

    《長生きすれば恥をかくことも多い》。長くとも四十歳に達しないくらいで死ぬのが見た目もよいようである。その年代を過ぎてしまうと、老醜の姿を恥じる心もなくなり、人前に出たがり、老残の身で子や孫を溺愛し、立身する将来を見届けるまでの余命を願い、俗世に執着する欲心ばかり深くなり、ついに情趣も理解できなくなっていくのが、情けないことである」
    (段落は原文にはありません。《》もありません)

    作者は兼好法師、京都に住んでいたので京都の地名が出てきます。冒頭の「化野」、あだしのと読み、嵯峨野にあります。嵯峨野に念仏寺という寺があり、そこに十三重の石塔があます。十三重の石塔巡りが趣味なので2度行ったことがあります。
    次の「鳥部山」は東山方面にある山でどちらも昔は墓地として知られていたようです。ここに枕草子に出てくる中宮定子の御陵があり、ここも2回お参りしたことがあります。化野の露、鳥部山の煙(火葬の煙)、どちらもすぐに消え、或いはいつまでも立ち続けるものではない譬えです。もしそれらがずっと存在するものであれば、「情趣というものが、どんなに失せてしまうであろうか」と兼好は言います。いつまでもないものだからこそ、趣きがあるのだと言っています。

    次の段落では人の命は長いと言い、逆に短いものの例を挙げていきます。
    「かげろうのように朝に生まれても夕方には死ぬ運命にあったり」これには出典があり、淮南子(えなんじ)・説林訓180の
    「鶴は千年の寿命によって、その游(たの)しみをきわめ、蜉蝣(かげろう)は、朝に生まれて暮れに死ぬが、その楽しみをつくす」
    に依っています。
    次の
    「蝉のように夏だけの命で春も秋も知らない生き物もある」
    にも出典があります。荘子・内篇・逍遥篇に
    「夏の蝉は春秋を知らず」
    とあるのに依っています。
    その後の
    「老醜の姿を恥じる心もなくなり、人前に出たがり、老残の身で子や孫を溺愛し、立身する将来を見届けるまでの余命を願い」
    も源信の《観心略要集》中、「朝露之底貪名利、夕陽之前愛子孫」に依っているとの指摘がありますが、ボクにはよくわかりませんでした。なお源信は日本の僧侶で、件の書物名の前に「伝」が入っているものもあるので、本当に源信が書いたのかどうかはイマイチ不透明です。

    色々と出典を挙げてきましたが、ここでボクが言いたいことは、兼好法師という人はかなりの知識人であるということです。悪く取れば、自分の知識をひけらかしているように見えますが、自分の考えの根拠を示すというのは大変大事な事なのです。そしてこういう態度は何も兼好法師だけの事ではなく、普通のことだったのです。

    最後にこの段で兼好法師が言いたかったことをボクなりに述べてみたいと思います。最初の段に
    「この世は不定であるからこそ価値があるのである。」
    とあります。
    「あの世に人生を引きずらない、この世で人生を尽くす」
    これが兼好法師の強い主張なのだと思います。

    今回は故事成語の説明とはちょっと異なる筆運びになりました。

引用返信/返信 削除キー/
■14755 / inTopicNo.24)  Re[53]: 命長ければ恥多し
□投稿者/ アートポット -(2021/07/07(Wed) 16:57:10)
    No14753に返信(アートポットさんの記事)
    > ■No14752に返信(田秋さんの記事)
    >>2021/07/07(Wed) 15:46:30 編集(投稿者)
    >>
    >>こんにちは、アートポットさん
    >>
    >>今回のお題は《命長ければ恥多し》、出典は荘子/外篇/天地篇です。この成語が出てくるエピソードに登場するのは堯(ぎょう)と封人(ほうじん)の二人です。尭は古代の君主の一人。封人は防人(さきもり)のことで辺境の守備をしている人です。平時はヒマな職業なので世を避ける人向けの仕事だったようです。
    >>
    >>話は、「堯が華に行った時のことである」と始まります。華は地名で古代の王朝《夏》と同じ「カ」と読みます。「中華」というのはこの夏を同じ音の《華》に置き換えたという説があります。
    >>防人が堯を見て
    >>「ああ、聖人がいらした。あなたを祝福し、長寿にしてあげたい」と申し出ます。しかし尭は断ります。そこで防人は
    >>「では、あなたをお金持ちにしてあげたい」
    >>といいますが、やはり尭は断ります。
    >>「それでは、男の子がたくさん産まれるようにお祈りしましょう」
    >>と申し出ますが、それも辞退します。
    >>そこで防人は
    >>「長寿と冨と男の子が多いことは誰でも望むことなのに、どうしてあなたは望まないのですか」
    >>と尋ねた処、尭は
    >>「男の子が多ければそれだけ心配事も増える。金持ちになればそれはそれでうるさいことが多くなる。長生きすればそれだけ恥をかくことも増えるからです。」
    >>そう答えました。この「長生きすればそれだけ恥をかくことも増える」が《命長ければ恥多し》の出典です。原文では「命長ければ」を「寿」の1字で表し、《恥》は《辱》となっています。
    >>ま、出典はわかりましたが、話はまだ続きます。
    >>
    >>最後に尭は
    >>「これら三つは徳を養うのには役立ちません。それでお断りしたのです」
    >>と結んだところ防人、
    >>「最初あなたを聖人だと思っていたが、今話を聞いて君子程度だと分かった」
    >>と言います。君子は聖人の下なんですね。
    >>「命が天から与えられたものなら、天は必ず一人ひとりに天職を与えるものだ。男の子にそれぞれ天職を与えられたなら心配の種になることもないし、富もみんなで分ければうるさいことも起こらない。長生きすれば恥が多いというがそれもおかしいよ。天下に道が行われ、太平の世ならみんなと生活を楽しめば良いし、もし天下に道が行われないときは自分の身の徳を守って野に下り静かな生活をすれば良い。長生きし世の中に退屈してきたら、この世を去り白雲に乗って天帝の住む楽園にいけば良い。」
    >>と言い、
    >>「このようにすれば心配もめんどうや恥に見舞われることもないし不幸がおとずれることもないから長生きしても恥をかくこともないよ」
    >>そう言い捨てて立ち去ろうとします。尭はあわてて後を追い
    >>「もう少し話をしてください」
    >>と頼みましたが防人は
    >>「さっさと帰れ」
    >>とどなりつけたのでした。
    >>これがこのエピソードの全貌です。
    >>
    >>成語のことは少し置き、このエピソードの言わんとしていることは何でしょうか?これを所収している外篇というのは後世の荘子学派の手によって書かれたもので、内篇で荘子が主張した絶対無差別の考えからは変化してきています。思想的哲学的に考察することは私の手に余りますが、一つ、儒教への接近ということは挙げることが出来ると思います。というのはエピソード中、「天下に道が行われ、太平の世ならみんなと生活を楽しめば良いし、もし天下に道が行われないときは自分の身の徳を守って野に下り静かな生活をすれば良い」の部分は論語・泰伯編(13)に似た表現があります。
    >>
    >>先生がいわれた。
    >>「かたい信念をもって学問を愛し、死にいたるまで守りつづけて道をほめたたえる。危機にのぞんだ国家に入国せず、内乱のある国家には長く滞在しない。
    >>[天下に道義が行なわれる太平の世には、表にたって活動するが、道義が失われる乱世には裏に隠れる。]
    >>道義が行なわれる国家において、貧乏で無名の生活をおくるのは不名誉なことである。道義が行なわれない国家において、財産をもち高位に上るのは不名誉なことである」
    >>
    >>閑話休題
    >>《命長ければ恥多し》に戻ります。これは尭が言った言葉ですが結局防人に否定されてしまいます。このエピソードでは「恥は多くならない」という結論になっています。が、現在この成語は堯の意図した《恥は多くなる》という意味で使われていることは頭に留めておいてよいと思います。
    >>
    >>さてこの成語は日本の有名な書物にも登場します。
    >>
    >>つづく
    >>
    >>参考文献 森三樹三郎:荘子・外篇、貝塚茂樹:世界の名著「孔子・孟子」
    >>
    >
    > こんにちは、田秋さん
    >
    > 防人のひと凄く聡明なかたですね。
    > 平和な時代には表にでて、乱世の時代には隠れる、勉強になります。
    > 命長ければ恥多し、を否定してくれた防人に感謝です。
    >
    > 確かに道家に儒家が入ってきた感覚がします。
    > 道なら開かれてる時にもマッタリ寝てそうですが、ちょっと政治に関与する感じが濃くなりましたね。
    >
    > 田秋さんの書き込みを何度も読んで、自分の血と肉にします。
    > ありがとうございます。
    > 続きも楽しみです。

    「閑話休題」で理解しました。
    道家版と儒家版と両方のパターンですね!!
    ちょっと政治っぽくなったなあという感覚はこれでした。

    何度も読んで覚えます。
引用返信/返信 削除キー/

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