| 2021/07/07(Wed) 15:46:30 編集(投稿者)
こんにちは、アートポットさん
今回のお題は《命長ければ恥多し》、出典は荘子/外篇/天地篇です。この成語が出てくるエピソードに登場するのは堯(ぎょう)と封人(ほうじん)の二人です。尭は古代の君主の一人。封人は防人(さきもり)のことで辺境の守備をしている人です。平時はヒマな職業なので世を避ける人向けの仕事だったようです。
話は、「堯が華に行った時のことである」と始まります。華は地名で古代の王朝《夏》と同じ「カ」と読みます。「中華」というのはこの夏を同じ音の《華》に置き換えたという説があります。 防人が堯を見て 「ああ、聖人がいらした。あなたを祝福し、長寿にしてあげたい」と申し出ます。しかし尭は断ります。そこで防人は 「では、あなたをお金持ちにしてあげたい」 といいますが、やはり尭は断ります。 「それでは、男の子がたくさん産まれるようにお祈りしましょう」 と申し出ますが、それも辞退します。 そこで防人は 「長寿と冨と男の子が多いことは誰でも望むことなのに、どうしてあなたは望まないのですか」 と尋ねた処、尭は 「男の子が多ければそれだけ心配事も増える。金持ちになればそれはそれでうるさいことが多くなる。長生きすればそれだけ恥をかくことも増えるからです。」 そう答えました。この「長生きすればそれだけ恥をかくことも増える」が《命長ければ恥多し》の出典です。原文では「命長ければ」を「寿」の1字で表し、《恥》は《辱》となっています。 ま、出典はわかりましたが、話はまだ続きます。
最後に尭は 「これら三つは徳を養うのには役立ちません。それでお断りしたのです」 と結んだところ防人、 「最初あなたを聖人だと思っていたが、今話を聞いて君子程度だと分かった」 と言います。君子は聖人の下なんですね。 「命が天から与えられたものなら、天は必ず一人ひとりに天職を与えるものだ。男の子にそれぞれ天職を与えられたなら心配の種になることもないし、富もみんなで分ければうるさいことも起こらない。長生きすれば恥が多いというがそれもおかしいよ。天下に道が行われ、太平の世ならみんなと生活を楽しめば良いし、もし天下に道が行われないときは自分の身の徳を守って野に下り静かな生活をすれば良い。長生きし世の中に退屈してきたら、この世を去り白雲に乗って天帝の住む楽園にいけば良い。」 と言い、 「このようにすれば心配もめんどうや恥に見舞われることもないし不幸がおとずれることもないから長生きしても恥をかくこともないよ」 そう言い捨てて立ち去ろうとします。尭はあわてて後を追い 「もう少し話をしてください」 と頼みましたが防人は 「さっさと帰れ」 とどなりつけたのでした。 これがこのエピソードの全貌です。
成語のことは少し置き、このエピソードの言わんとしていることは何でしょうか?これを所収している外篇というのは後世の荘子学派の手によって書かれたもので、内篇で荘子が主張した絶対無差別の考えからは変化してきています。思想的哲学的に考察することは私の手に余りますが、一つ、儒教への接近ということは挙げることが出来ると思います。というのはエピソード中、「天下に道が行われ、太平の世ならみんなと生活を楽しめば良いし、もし天下に道が行われないときは自分の身の徳を守って野に下り静かな生活をすれば良い」の部分は論語・泰伯編(13)に似た表現があります。
先生がいわれた。 「かたい信念をもって学問を愛し、死にいたるまで守りつづけて道をほめたたえる。危機にのぞんだ国家に入国せず、内乱のある国家には長く滞在しない。 [天下に道義が行なわれる太平の世には、表にたって活動するが、道義が失われる乱世には裏に隠れる。] 道義が行なわれる国家において、貧乏で無名の生活をおくるのは不名誉なことである。道義が行なわれない国家において、財産をもち高位に上るのは不名誉なことである」
閑話休題 《命長ければ恥多し》に戻ります。これは尭が言った言葉ですが結局防人に否定されてしまいます。このエピソードでは「恥は多くならない」という結論になっています。が、現在この成語は堯の意図した《恥は多くなる》という意味で使われていることは頭に留めておいてよいと思います。
さてこの成語は日本の有名な書物にも登場します。
つづく
参考文献 森三樹三郎:荘子・外篇、貝塚茂樹:世界の名著「孔子・孟子」
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