(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■14753 / inTopicNo.25)  Re[52]: 命長ければ恥多し
  
□投稿者/ アートポット -(2021/07/07(Wed) 16:33:15)
    No14752に返信(田秋さんの記事)
    > 2021/07/07(Wed) 15:46:30 編集(投稿者)
    >
    > こんにちは、アートポットさん
    >
    > 今回のお題は《命長ければ恥多し》、出典は荘子/外篇/天地篇です。この成語が出てくるエピソードに登場するのは堯(ぎょう)と封人(ほうじん)の二人です。尭は古代の君主の一人。封人は防人(さきもり)のことで辺境の守備をしている人です。平時はヒマな職業なので世を避ける人向けの仕事だったようです。
    >
    > 話は、「堯が華に行った時のことである」と始まります。華は地名で古代の王朝《夏》と同じ「カ」と読みます。「中華」というのはこの夏を同じ音の《華》に置き換えたという説があります。
    > 防人が堯を見て
    > 「ああ、聖人がいらした。あなたを祝福し、長寿にしてあげたい」と申し出ます。しかし尭は断ります。そこで防人は
    > 「では、あなたをお金持ちにしてあげたい」
    > といいますが、やはり尭は断ります。
    > 「それでは、男の子がたくさん産まれるようにお祈りしましょう」
    > と申し出ますが、それも辞退します。
    > そこで防人は
    > 「長寿と冨と男の子が多いことは誰でも望むことなのに、どうしてあなたは望まないのですか」
    > と尋ねた処、尭は
    > 「男の子が多ければそれだけ心配事も増える。金持ちになればそれはそれでうるさいことが多くなる。長生きすればそれだけ恥をかくことも増えるからです。」
    > そう答えました。この「長生きすればそれだけ恥をかくことも増える」が《命長ければ恥多し》の出典です。原文では「命長ければ」を「寿」の1字で表し、《恥》は《辱》となっています。
    > ま、出典はわかりましたが、話はまだ続きます。
    >
    > 最後に尭は
    > 「これら三つは徳を養うのには役立ちません。それでお断りしたのです」
    > と結んだところ防人、
    > 「最初あなたを聖人だと思っていたが、今話を聞いて君子程度だと分かった」
    > と言います。君子は聖人の下なんですね。
    > 「命が天から与えられたものなら、天は必ず一人ひとりに天職を与えるものだ。男の子にそれぞれ天職を与えられたなら心配の種になることもないし、富もみんなで分ければうるさいことも起こらない。長生きすれば恥が多いというがそれもおかしいよ。天下に道が行われ、太平の世ならみんなと生活を楽しめば良いし、もし天下に道が行われないときは自分の身の徳を守って野に下り静かな生活をすれば良い。長生きし世の中に退屈してきたら、この世を去り白雲に乗って天帝の住む楽園にいけば良い。」
    > と言い、
    > 「このようにすれば心配もめんどうや恥に見舞われることもないし不幸がおとずれることもないから長生きしても恥をかくこともないよ」
    > そう言い捨てて立ち去ろうとします。尭はあわてて後を追い
    > 「もう少し話をしてください」
    > と頼みましたが防人は
    > 「さっさと帰れ」
    > とどなりつけたのでした。
    > これがこのエピソードの全貌です。
    >
    > 成語のことは少し置き、このエピソードの言わんとしていることは何でしょうか?これを所収している外篇というのは後世の荘子学派の手によって書かれたもので、内篇で荘子が主張した絶対無差別の考えからは変化してきています。思想的哲学的に考察することは私の手に余りますが、一つ、儒教への接近ということは挙げることが出来ると思います。というのはエピソード中、「天下に道が行われ、太平の世ならみんなと生活を楽しめば良いし、もし天下に道が行われないときは自分の身の徳を守って野に下り静かな生活をすれば良い」の部分は論語・泰伯編(13)に似た表現があります。
    >
    > 先生がいわれた。
    > 「かたい信念をもって学問を愛し、死にいたるまで守りつづけて道をほめたたえる。危機にのぞんだ国家に入国せず、内乱のある国家には長く滞在しない。
    > [天下に道義が行なわれる太平の世には、表にたって活動するが、道義が失われる乱世には裏に隠れる。]
    > 道義が行なわれる国家において、貧乏で無名の生活をおくるのは不名誉なことである。道義が行なわれない国家において、財産をもち高位に上るのは不名誉なことである」
    >
    > 閑話休題
    > 《命長ければ恥多し》に戻ります。これは尭が言った言葉ですが結局防人に否定されてしまいます。このエピソードでは「恥は多くならない」という結論になっています。が、現在この成語は堯の意図した《恥は多くなる》という意味で使われていることは頭に留めておいてよいと思います。
    >
    > さてこの成語は日本の有名な書物にも登場します。
    >
    > つづく
    >
    > 参考文献 森三樹三郎:荘子・外篇、貝塚茂樹:世界の名著「孔子・孟子」
    >

    こんにちは、田秋さん

    防人のひと凄く聡明なかたですね。
    平和な時代には表にでて、乱世の時代には隠れる、勉強になります。
    命長ければ恥多し、を否定してくれた防人に感謝です。

    確かに道家に儒家が入ってきた感覚がします。
    道なら開かれてる時にもマッタリ寝てそうですが、ちょっと政治に関与する感じが濃くなりましたね。

    田秋さんの書き込みを何度も読んで、自分の血と肉にします。
    ありがとうございます。
    続きも楽しみです。
引用返信/返信 削除キー/
■14752 / inTopicNo.26)  命長ければ恥多し
□投稿者/ 田秋 -(2021/07/07(Wed) 15:45:19)
    2021/07/07(Wed) 15:46:30 編集(投稿者)

    こんにちは、アートポットさん

    今回のお題は《命長ければ恥多し》、出典は荘子/外篇/天地篇です。この成語が出てくるエピソードに登場するのは堯(ぎょう)と封人(ほうじん)の二人です。尭は古代の君主の一人。封人は防人(さきもり)のことで辺境の守備をしている人です。平時はヒマな職業なので世を避ける人向けの仕事だったようです。

    話は、「堯が華に行った時のことである」と始まります。華は地名で古代の王朝《夏》と同じ「カ」と読みます。「中華」というのはこの夏を同じ音の《華》に置き換えたという説があります。
    防人が堯を見て
    「ああ、聖人がいらした。あなたを祝福し、長寿にしてあげたい」と申し出ます。しかし尭は断ります。そこで防人は
    「では、あなたをお金持ちにしてあげたい」
    といいますが、やはり尭は断ります。
    「それでは、男の子がたくさん産まれるようにお祈りしましょう」
    と申し出ますが、それも辞退します。
    そこで防人は
    「長寿と冨と男の子が多いことは誰でも望むことなのに、どうしてあなたは望まないのですか」
    と尋ねた処、尭は
    「男の子が多ければそれだけ心配事も増える。金持ちになればそれはそれでうるさいことが多くなる。長生きすればそれだけ恥をかくことも増えるからです。」
    そう答えました。この「長生きすればそれだけ恥をかくことも増える」が《命長ければ恥多し》の出典です。原文では「命長ければ」を「寿」の1字で表し、《恥》は《辱》となっています。
    ま、出典はわかりましたが、話はまだ続きます。

    最後に尭は
    「これら三つは徳を養うのには役立ちません。それでお断りしたのです」
    と結んだところ防人、
    「最初あなたを聖人だと思っていたが、今話を聞いて君子程度だと分かった」
    と言います。君子は聖人の下なんですね。
    「命が天から与えられたものなら、天は必ず一人ひとりに天職を与えるものだ。男の子にそれぞれ天職を与えられたなら心配の種になることもないし、富もみんなで分ければうるさいことも起こらない。長生きすれば恥が多いというがそれもおかしいよ。天下に道が行われ、太平の世ならみんなと生活を楽しめば良いし、もし天下に道が行われないときは自分の身の徳を守って野に下り静かな生活をすれば良い。長生きし世の中に退屈してきたら、この世を去り白雲に乗って天帝の住む楽園にいけば良い。」
    と言い、
    「このようにすれば心配もめんどうや恥に見舞われることもないし不幸がおとずれることもないから長生きしても恥をかくこともないよ」
    そう言い捨てて立ち去ろうとします。尭はあわてて後を追い
    「もう少し話をしてください」
    と頼みましたが防人は
    「さっさと帰れ」
    とどなりつけたのでした。
    これがこのエピソードの全貌です。

    成語のことは少し置き、このエピソードの言わんとしていることは何でしょうか?これを所収している外篇というのは後世の荘子学派の手によって書かれたもので、内篇で荘子が主張した絶対無差別の考えからは変化してきています。思想的哲学的に考察することは私の手に余りますが、一つ、儒教への接近ということは挙げることが出来ると思います。というのはエピソード中、「天下に道が行われ、太平の世ならみんなと生活を楽しめば良いし、もし天下に道が行われないときは自分の身の徳を守って野に下り静かな生活をすれば良い」の部分は論語・泰伯編(13)に似た表現があります。

    先生がいわれた。
    「かたい信念をもって学問を愛し、死にいたるまで守りつづけて道をほめたたえる。危機にのぞんだ国家に入国せず、内乱のある国家には長く滞在しない。
    [天下に道義が行なわれる太平の世には、表にたって活動するが、道義が失われる乱世には裏に隠れる。]
    道義が行なわれる国家において、貧乏で無名の生活をおくるのは不名誉なことである。道義が行なわれない国家において、財産をもち高位に上るのは不名誉なことである」

    閑話休題
    《命長ければ恥多し》に戻ります。これは尭が言った言葉ですが結局防人に否定されてしまいます。このエピソードでは「恥は多くならない」という結論になっています。が、現在この成語は堯の意図した《恥は多くなる》という意味で使われていることは頭に留めておいてよいと思います。

    さてこの成語は日本の有名な書物にも登場します。

    つづく

    参考文献 森三樹三郎:荘子・外篇、貝塚茂樹:世界の名著「孔子・孟子」

引用返信/返信 削除キー/
■14727 / inTopicNo.27)  気長に
□投稿者/ 田秋 -(2021/07/06(Tue) 05:38:58)
    おはようございます、アートポットさん

    >次の道家儒家が楽しみだけど、気長に待つにょ
    ありがとうございます。気長にお待ちください。
    知っていることでもいざ文字にしようとすると大変なんです。それにアートポットさんの教養が中々侮れないこともわかってきたのでボクも一所懸命です。

    次回の予告
    荘子から始まり、その影響は・・・


引用返信/返信 削除キー/
■14726 / inTopicNo.28)  Re[49]: 珈琲時間にょ
□投稿者/ アートポット -(2021/07/06(Tue) 00:39:11)
引用返信/返信 削除キー/
■14725 / inTopicNo.29)  珈琲時間にょ
□投稿者/ アートポット -(2021/07/05(Mon) 23:23:22)
    こんばんは

    田秋さんの次の道家儒家が楽しみだけど、気長に待つにょ。

    眠いけど、もう片方のミニタブレットの充電が完了するまで起きてないとにょ。

    珈琲飲んで、マッタリにょ

    アイスクリームも食べるにょ

    UQモバイルっていうネット契約、最近、気になってる。
    機械をポンッと置けば、デイケアでもネットできるのだろうか?
    診察待ちでも? 調剤待ちでも?

    うーん、気になる。
引用返信/返信 削除キー/
■14608 / inTopicNo.30)  Re[47]: 田沼意次
□投稿者/ アートポット -(2021/07/01(Thu) 11:12:10)
    こんにちは、田秋さん

    No14605に返信(田秋さんの記事)
    >
    > 白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき

    訂正ありがとうございます。

    >
    > 今朝気がついたのですが、これ田沼意次からの連想で浮かんだのですか?

    そうです。

    >
    > 素晴らしい!本当に素晴らしいです!!

    ありがとうございます!!

    >
    > 学校では田沼意次の腐敗政治を松平定信が糺したと習い、田沼=悪人と長い間思い込んでいましたが、池波正太郎の《剣客商売》を見て、それまでのボクの田沼感が変わりました。池波は田沼を高く評価していました。それで色々調べてみると一方的に田沼意次=賄賂政治=悪徳政治家と断定するのは誤った(偏った)判断だとわかりました。

    松平定信というと確か、質素倹約、ですね。

    藤田まことさんが「田沼様が、」って劇中で話してたのが耳に残っています。
    息子キャラ役の俳優さんが続編でキャスト交代した記憶もあります。

    僕は、鬼平のほうが好きです。鬼平「おめえ、若い頃に修行したな?」
    大滝の五郎蔵も好きです。

    梅安も好きです。

    田沼意次さんも尾びれせびれで酷い人物像にされてしまったのでしょうね。

    僕の父親も「尾びれせびれに気を付けろ」って言います。
引用返信/返信 削除キー/
■14605 / inTopicNo.31)  田沼意次
□投稿者/ 田秋 -(2021/07/01(Thu) 06:23:52)
    おはようございます、アートポットさん

    白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき

    今朝気がついたのですが、これ田沼意次からの連想で浮かんだのですか?

    素晴らしい!本当に素晴らしいです!!

    学校では田沼意次の腐敗政治を松平定信が糺したと習い、田沼=悪人と長い間思い込んでいましたが、池波正太郎の《剣客商売》を見て、それまでのボクの田沼感が変わりました。池波は田沼を高く評価していました。それで色々調べてみると一方的に田沼意次=賄賂政治=悪徳政治家と断定するのは誤った(偏った)判断だとわかりました。
引用返信/返信 削除キー/
■14602 / inTopicNo.32)  Re[45]: 尾曳於塗中
□投稿者/ アートポット -(2021/06/30(Wed) 22:57:10)
    こんばんは、田秋さん

    とても勉強になります。

    うろ覚えですが、

    白川の
    清き水にも
    棲みかねて
    元の濁りの
    田沼恋しき

    清らかな人も、濁っている人も、清濁合わせ飲む人も、みんな苦労があるような気もします。

    生きていくのに必要なのは社会であって、何も国家である必要はないのかもしれませんね。
    独立国家である利点もありますがね。
    先進国に生まれたら勝ち組ってツイッターか何かで聞いたなあ。

    重用される役職に就く辛さ、ワタクシは、のんびり寝るほうがいいです。

    珈琲飲んで、マッタリにょ
引用返信/返信 削除キー/
■14580 / inTopicNo.33)  尾曳於塗中
□投稿者/ 田秋 -(2021/06/30(Wed) 21:43:07)
    2021/07/01(Thu) 07:27:32 編集(投稿者)

    こんばんは、アートポットさん

    今日のお題は《尾を泥中に曳く》です。
    史記の《老子・韓非子列伝 第三》に荘子についての記載があります。

    「荘子というのは、蒙の人である。名は周。(中略)梁の恵王や斉の宣王と同じころである。」

    荘子の項はこのように始まります。蒙(もう)は地名で今の商丘辺りです(地図参照)。梁というのは魏のことで恵王の生年月日は紀元前400〜319とわかっています。斉の宣王の死亡年月日はBC301とわかっています(生年は不明)。荘子は彼らと同じころだというのですから、大雑把に紀元前4世紀の人だということになります。史記は大体紀元前90年頃完成しているので、それから約250年前前後の人という事になります。ですから司馬遷から見た荘子というのは、現代のボク達から見た田沼意次ぐらいの人だということになります。

    書物《荘子》にも触れ、10余万字としています。現行の《荘子》が6万字強ですから、当時はかなりの大部だった訳です。内容にも触れ、寓言が多く、孔子の弟子をそしり、老子の思想を明らかにしたとあります。そして具体的な話を一つ紹介しています。

    楚の威王は荘周を賢者だと聞き、使者をたて手厚い贈り物を与えて迎え、宰相にすると約束した。荘周は楚の使者に向かい、笑いながら言った。「千金の利益は重く、卿・相は尊い位だが、おぬしは郊の祭に生贄にされる牛を見たことはないか。何年も飼育して、縫い取りの着物をきせて、大廟(おたまや)へ引き込む。その時になって、小さな豚になりたいと思っても、それができようか。おぬしはすみやかに去れ。わしをけがしてくれるな。わしはきたない溝の中でゆるゆると泳ぎまわるのが愉快なのだ。国をもつ者にしばられることなく、一生つかえず、わしの心のままにしているまでだ」

    これと全く同じ話は現行の《荘子》にはありません。が、似た話はあります。《雑篇・第三十二 列禦寇篇》に

    ある人が荘子を召しかかえようとして使者をやった。すると荘子はその使者に応対していった。
    「君はあの祭の犠牲になる牛をみたことがあるかね。なるほど美しい刺繍をした衣服を着せてもらい、まぐさや大豆を食わせてもらうが、いざ引かれて祖先の廟に入ろうとするだんになってから、ただの子牛になりたいと願っても、もはや手おくれではないか」
    とあります。

    史記に載る話の最後、「ゆるゆると泳ぎまわる」というところがしっくりきません。その前で「小さな豚になりたい」と書いているので子豚が溝の中で泳ぐのかなと頭の中が???となります。この部分、《列禦寇篇》にはありません。
    もう一つ、よく似たエピソードが《外篇・第十七 秋水篇》にあります。

    荘子が濮水で釣りをしていた。すると楚王はふたりの大夫に命じて荘子のところに行かせ、前もってその意向を伝えさせた。
    「願わくば、あなたをわずらわし、国内の政治をつかさどる宰相になっていただきたいと存じます」
    すると荘子は、竿を手にしたまま、ふりかえりもしないでいった。
    「わしが聴いているところでは、楚の国には霊験あらたかな亀がおり、死んでから三千年になるが、王はこれを絹で包み、箱に入れて、祖先の廟堂のなかでたいせつに保存しておられるそうだ。だが、この亀は、死んでからこのように骨を残してとうとばれることを願っているだろうか。それとも生きのびて、泥のなかで尾をひきずっていることを望んでいるだろうか」
    ふたりの大夫は答えた、
    「それはやはり生きのびて泥のなかで尾をひきずることを望んでいるでしょう」
    すると、荘子はいった。
    「では帰ってくれ。わしも泥のなかで尾をひきずることにしよう」

    註:古代中国では亀の甲羅を焼いてその罅(ヒビ)で占いをして大事なことを決めていました。

    この話では牛が亀になっていて、そうすると史記の最後の「溝の中でゆるゆる泳ぎまわる」と辻褄が合います。史記の話は《雑篇・列禦寇篇》と《外篇・秋水篇》に出てくる話がミックスされている訳で、《荘子》が当時まだ十分に整理されていなかった名残りかもしれません。

    ここに載せた三つの話で荘子は、高い位や尊ばれる地位よりも市井に埋もれて暮らす方を選ぶと言っています。
    ここは解釈の分かれるところで、見方によっては保身、或いは生を重んじる、とも解釈できます。しかし荘子の中心思想である《万物斉同》の立場からすると生死は等しいはずですから、生贄の牛になっても構わないはずです。ここで荘子は名誉などは相対的なものであり、本質とは何の関係もない取るに足らないものなのだということを主張しているのだと思います。

    最後の亀が泥の中で尾を曳く話が《曳尾於塗中》(尾を塗中に曳く)の出典となります。「塗」は「泥」のことで「と」と読みます。

    参考文献:岩波文庫《史記列伝(一)》、中公文庫《荘子 外篇》及び《荘子 雑篇》、地図は中央公論社《世界の名著4『老子・荘子』》より


800×533 => 600×399

soujimap.jpg
/128KB
引用返信/返信 削除キー/
■14558 / inTopicNo.34)  真夜中の訪問者
□投稿者/ アートポット -(2021/06/29(Tue) 22:08:49)
引用返信/返信 削除キー/
■14433 / inTopicNo.35)  Re[44]: 司馬遷と司馬懿
□投稿者/ アートポット -(2021/06/25(Fri) 19:12:10)
    こんばんは、田秋さん

    ありがとうございます。

    田秋さんの造詣の深さのおかげで、アートポットの造詣も深くなれるように色々調べます。
    勉強します。
引用返信/返信 削除キー/
■14431 / inTopicNo.36)  Re[42]: 宋襄の仁
□投稿者/ flora -(2021/06/25(Fri) 19:02:09)
    No14424に返信(田秋さんの記事)
    > 2021/06/25(Fri) 17:45:52 編集(投稿者)

    こんにちは田秋さん、お返事ありがとうございます。

    > >ここに書かれている「中華の国々」とは何をさすのでしょうか? 中華と言われる地域を制圧した民族の国々のことでしょうか?

    > 先に載せた文章は岩波文庫・史記世家[上]のうち、宋微子世家第八から写したものです。この本には原文は載っていません。以下のURLに宋微子世家の原文が載っています。

    > https://ctext.org/shiji/song-wei-zi-shi-jia/zh
    >
    > 《中華》に該当する部分はこれの最後の部分、原文左に記されている段落番号58です。そこの「傷中國闕禮義」の部分、中華ではなく中国となっています。《中華》と言うのは訳者の訳語であることがわかりました。

    訳者にとっては中華=中国なのでしょうね。いずれにしても漢民族が、周りの劣性の民族に対して自分たちは「世界の中心」という意味合いで使ったとどこかで読んだことがありました。
    当時から現在に至るまで優勢を誇示するのは彼らの血なのでしょうか・・・

    > このことから司馬遷の時代(前漢)には既に中国が使われていたことがわかります。さらにウィキペディアで中国を検索すると

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

    > 書物では西周の頃から、青銅器ではBC11世紀には使われていたとあります。

    > 今は司馬遷がどのような意識で《中国》を使ったが焦点になります。ご指摘の通り司馬遷は前漢の人間であり、彼が生きた武帝の時代の領土がそれまでの中国諸国の中で最大のものなので、これが司馬遷の思い描いた《中国》ではないかと思います。

    どうもありがとうございます。私も同感です。司馬遷の中国ー最大の領域と文化度/文明度の非常に高い、世界(当時の感覚での)中心の国ーということなんでしょうね〜。

引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -