| ■14809、田秋さん、ちょっと考えて見ますね。
「この世」「あの世」って言うのわたし”知ってる”。
「この世」っていうのは〈私が生きてる世界〉で、「あの世」っていうのは〈私が死んだ後の世界〉ってわたししてる。
こういうのって、カントの「超越論的」と「超越的」っていうのとちょっと似てる気がする。あ、これは横に置いとくとして。
私の死後はどうなっちゃんだろう?、言いかえると、人は死んだらどうなちゃうの?っていう問いに何か答えが導き出せるのかしらね? おそらくこれに答えられる「人」はいないと思う。
でも、これに答えを出そうとする人たちがいるみたい。 1.死んだら天国か地獄に行くのだよ。このばあい、この世で生することはない、っていうこと。 2.死んだら生まれ変わるのだよ。このばあい、この世にふたたび生するっていうことと(来世が存在する)。 こんな感じなのかな?
1は私が生きている世界しか存在しない。2は死後の世が界この世に存在する。 っていうことになるのかしら?
ん? 1も2も〈死後の世界が存在する〉っていうのが前提にってるよね。
「生」とか「死」をどう見るか、っていうの人それぞれだけど、 ってすると「無」も問題ね。
>死んでも来世があると思うと、生き方の一所懸命さも希薄になるかもしれませんね< 生きるための、生き方のに一生懸命の人たち、うん、そうね、この世で生きることができるために、振り込め詐欺したり、お金を得るために人を殺したりすること、この世で”生きるため”の一つの仕業なんだと思う。だって、自力でこの世界で生きてゆくためにはお金必要だものね。
|