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■11992 / inTopicNo.13)  Re[6]: 二重予定説
  
□投稿者/ toll -(2021/04/18(Sun) 11:29:26)
    No11990に返信(勿忘草さんの記事)
    >>予定説に選ばれた人たちって
    >>イエスを神と信じる人たちということですか
    >>神の国に入れるようなクリスチャンとしての生活を
    >>既にしていると思うのですが
    >>更に後押しをしようとしているのですねー
    >
    >>どういう切欠で そうなったのですか?
    >>良かったら教えていただけないでしょうか
    >
    > イエス様の十字架の贖罪によって三位一体の愛の神を信じたからです。
    > 全ては、聖霊様の働きによるもので、自分の力ではどうしようもありませんが、
    > 選ばれた人に早く神の恵みを気づかせたいと思うからです。



    こちらも宜しくお願いします

    キリスト教の神を信じているのですね
    三位一体説 難しいですね

    選ばれた人とはどういう人なのですか?


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■11995 / inTopicNo.14)  Re[7]: この話題、終了。
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/18(Sun) 14:28:43)
    マジカルモンキーさんへ

    > 話がこじれそうなので、この話題は持ち越しとします。

    了解です。

    > 私は読書は、普遍的ではなく、霊的な愛だと思いますよ。

    間違いなく、最も多くの人間に読まれてきた書物、ダントツのベストセラーである聖書についていえば、霊的な愛の他は何もいっていないといって極論にはならないでしょう。
引用返信/返信 削除キー/
■11996 / inTopicNo.15)  Re[6]: 二重予定説
□投稿者/ パニチェ -(2021/04/18(Sun) 14:48:21)
    2021/04/18(Sun) 15:14:15 編集(投稿者)

    No11989に返信(勿忘草さんの記事)
    > ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」に影響されたところが大きいです。

    > 「2. 012 論理では、なに ひとつ偶然 な もの は ない。
    >  事物 が 事態 の なか に 登場 する 可能性 が ある なら、
    >  事物のなかに事態の可能性がすでに先取りされているにちがいない。」

    上記は前期(論理哲学論考)の言語を世界の写像として考察した写像理論の文脈にあり後期(哲学探究)では破棄されたと私は解釈しています。

    > この辺が、影響されたところです。
    > 勿論、スピノザもエチカ第一部定理29で
    > 「自然のうちには何一つ偶然的なものはなく」
    > 「一切は神の本性の必然性から一定の存在と作用へと定められ,
    > すべての存在者において何一つ偶然的なものはない」
    > と述べてるところから世界は、全て論理出てきていて、
    > 微塵も偶然なものはないところから、予定説にひかれていきました。

    以下の私の横レスは不躾だとは思いますがこの手のレス交換は忖度や気遣いなどは棚上げしてレス交換したいので、ご寛容のほどを。。。

    先のニーチェに関する投稿も含めて、上記は確証バイアスとか牽強付会的なカキコだと思います。
    どういうことかと言うとはじめに結論(予定説)がありきで、これに合致するような他者の言葉や自己流解釈をした上でこれらを集めることで、予定説の確証としているのではないか?ということです。

    救済される人と救済されない人は人間には分からないにもかかわらず予定説(二重予定説も含めて)にどのような意味や価値を認められるのでしょうか?

    PS.言うまでもないとは思いますが私は個人の信仰を否定したり批判するつもりは全くありません、念のため。。。。
引用返信/返信 削除キー/
■11998 / inTopicNo.16)  Re[4]: 二重予定説
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/18(Sun) 14:51:16)
    勿忘草さんへ

    > なかなか、三位一体は、難しいですが、カルヴァンにおいて予定論は出発点ではないのだとか。後世のカルヴィニストは予定論あるいは聖定論を神学体系の公理のように、これを先ず確定して、そこから他の教理条項を導き出そうとしたのですが。
    >
    > カルヴァンはそうではない。予定論の位置も最初ではなく、救いについて論じた後である。これだけの神からは、豊かな救いが差し出されているのに、なお滅びのうちに留まる人があるのは何故か。
    >
    > それは、予定があるからである、と考えるほかないというロジックのようです。
    >
    > では、予定論は経験的事実から割り出した理論であるかと言えば、カルヴァンはそのような推論による教理の定立はしないものであり、これは聖書の神の言葉からの帰結であるというようです。
    >
    > やはり、knowing itselfさんの仰るように、神が積極的にある人を滅びに定めているとしたわけではないようです。
    >
    > 自分としては、二重予定説として、宇宙の初めから、救済は定まっていると思っていたのですが、滅びを定めていたのではないのですね。

    アメリカで最も読まれていて定評のある神学書の一つ、Systematic theology 著者Wayne Grudemが手元にあります。著者はカルバン的な福音派の人です。

    「二重予定説」は誤解を招く、不正確なフレーズなので注意を要すると書いてあります。救済と滅びのそれぞれで、予定の意味が違うからだそうです。第一に救済の原因は神にあるが、滅びの原因は人間にあると。第二に救済の根拠は神の恵みだが、滅びの根拠は神の正義だと。
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■12002 / inTopicNo.17)  Re[5]: 二重予定説
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/18(Sun) 15:10:15)
    二重予定説を救いも永遠の滅びも神が予め選んで決定している(覆すことは絶対に不可能)と理解する説への批判。それだと、イエスの十字架による贖罪は、天地創造以前に前もって選ばれた少数者のための十字架贖罪であって、全人類のためのものでもなんでもなくなる。

    どう再反論するのでしょうね。

引用返信/返信 削除キー/
■12007 / inTopicNo.18)  三位一体の喩え
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/18(Sun) 17:18:51)
    喩えの一つとしてこういうのがあります。

    私たちの人生は、キリストという舟に乗り、聖霊という川を下って、御父の愛という海に至る人生です。

    滅びに関しての自由意志とは、舟の外にでるか、海に至らないような漕ぎ方をするとか、そういうことでしょう。
引用返信/返信 削除キー/
■12008 / inTopicNo.19)  Re[7]: 三位一体の喩え
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/04/18(Sun) 17:26:27)
    knowing itselfさんこんばんは。

    > 喩えの一つとしてこういうのがあります。
    >
    > 私たちの人生は、キリストという舟に乗り、聖霊という川を下って、御父の愛という海に至る人生です。

    なんて、爽やかで清々しく素敵な譬えなのでしょう。
    このような視点を持てることが、素晴らしい点だと感服します。

    > 滅びに関しての自由意志とは、舟の外にでるか、海に至らないような漕ぎ方をするとか、そういうことでしょう。

    自分自身、いつまでも、その舟から放り出されないように信仰を持ち続けたいと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■12015 / inTopicNo.20)  Re[8]: 選ばれた人
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/04/18(Sun) 21:02:22)
    悪魔ちゃんのささやきで〜す

    ■11992、toll さんの質問、わたしも知りたいところね。

    選ばれた人ってどういう人なの?


    おそらく、この問いには人間は答えられない。だって、神じゃないんだから。
    そのわりには、■11990、>選ばれた人に早く神の恵みを気づかせたいと思う<
    は、「神の恵みを気づかせたいと」勿忘草さんは「思う」よね。わたし知っちゃてる〜、みたいな?

    ■12008、あ、
    >自分自身、いつまでも、その舟から放り出されないように信仰を持ち続けたいと思います。<
    勿忘草さんは選ばれた人だったのね。すごいじゃ〜ん。

    toll さん、「選ばれた人」っていうの勿忘草さんのような人みたいよ。
    もっともわたし勿忘草さんがどういう人なのかわたし知らないけど。







引用返信/返信 削除キー/
■12056 / inTopicNo.21)  Re[6]: 二重予定説
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/04/20(Tue) 19:46:15)
    knowing itselfさんこんばんは。

    > 二重予定説を救いも永遠の滅びも神が予め選んで決定している(覆すことは絶対に不可能)と理解する説への批判。それだと、イエスの十字架による贖罪は、天地創造以前に前もって選ばれた少数者のための十字架贖罪であって、全人類のためのものでもなんでもなくなる。
    >
    > どう再反論するのでしょうね。

    実は、同じカルバン派といってもその議論には、大きく異なる予定説があったようです。

    @カルバン派のあるグループは,人間が罪を犯す前に,神は選ばれた少数の者たちがキリストを通して救われるよう決定し,そのほかの者たちは滅びに定められたと唱えました。

    このグループの考えによれば,救いは神の定めによるのであり,人はみな平等というわけではありません。

    A別のカルバン派の人々は,救いの機会はすべての人に開かれており,それを受け入れるか否かは個々の人の選択次第であると考えました。

    この考えによると,救いは人の自由意志にかかっています。

    カルバンの死後かなりたってからも,同じカルバン派の中でも神の定め,人の自由意志,人間の機会均等といった論題の扱いで互いに一致が見られず苦慮したようです。

    これを、私とknowing itselfさんとで比較すると、私が@の立場で、knowing itselfさんは、Aの立場と言う事になるのでしょうか。

    はたして、正解は、@なのかAなのか。

    500年が経っても未だに興味が尽きないカルバンです。


引用返信/返信 削除キー/
■12058 / inTopicNo.22)  Re[7]: 二重予定説
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/04/20(Tue) 19:55:10)
    ただ、二重予定説だと、この世のすべての不平等に納得がいきます。

    つまり、全ての人類は、同じようには創造されておらず、美人とそうでない人や
    金持ちと貧乏という分かりやすい区別も、予め決められているとしたら、人には
    どうにもならないことなので、違っていて良いんだと思えることです。

    もちろん、神は愛の三位一体なのですが、人の違いは、個性を含めて、違うことが前提されているように感じます。

    ただ、あまり二重予定説を推進すると南アフリカのアパルトヘイトを擁護したカルバン派のオランダ改革派教会の二の舞を踏む事になるような心配もありますが。

    現実は、平等ではないことが真実なのだと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■12061 / inTopicNo.23)  Re[9]: 選ばれた人
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/04/20(Tue) 20:31:26)
    悪魔ちゃんこんばんは。

    > ■11992、toll さんの質問、わたしも知りたいところね。
    >
    > 選ばれた人ってどういう人なの?
    >
    >
    > おそらく、この問いには人間は答えられない。だって、神じゃないんだから。
    > そのわりには、■11990、>選ばれた人に早く神の恵みを気づかせたいと思う<
    > は、「神の恵みを気づかせたいと」勿忘草さんは「思う」よね。わたし知っちゃてる〜、みたいな?
    >
    > ■12008、あ、
    > >自分自身、いつまでも、その舟から放り出されないように信仰を持ち続けたいと思います。<
    > 勿忘草さんは選ばれた人だったのね。すごいじゃ〜ん。
    >
    > toll さん、「選ばれた人」っていうの勿忘草さんのような人みたいよ。
    > もっともわたし勿忘草さんがどういう人なのかわたし知らないけど。


    いいえ、私がはたして救われているか、滅びに定められているかは、神のみぞ知るで人間には、分からないことなんです。

    だから、その結末は、最後の審判が来ないと誰もわからないと言う事なんです。

    ただ、もし、救われているのなら、それにふさわしい行いをするはずだと
    予定説を信じると、こうした焦燥感にかられて、まじめな生活を送るはずなので、仕事に精を出すと言う事になり、それが資本主義の原動力にもなると言う事のようです。
引用返信/返信 削除キー/
■12065 / inTopicNo.24)  Re[7]: 二重予定説
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/21(Wed) 18:52:30)
    勿忘草さん こんばんは

    > @カルバン派のあるグループは,人間が罪を犯す前に,神は選ばれた少数の者たちがキリストを通して救われるよう決定し,そのほかの者たちは滅びに定められたと唱えました。
    >
    > このグループの考えによれば,救いは神の定めによるのであり,人はみな平等というわけではありません。
    >
    > A別のカルバン派の人々は,救いの機会はすべての人に開かれており,それを受け入れるか否かは個々の人の選択次第であると考えました。
    >
    > この考えによると,救いは人の自由意志にかかっています。
    >
    > カルバンの死後かなりたってからも,同じカルバン派の中でも神の定め,人の自由意志,人間の機会均等といった論題の扱いで互いに一致が見られず苦慮したようです。
    >
    > これを、私とknowing itselfさんとで比較すると、私が@の立場で、knowing itselfさんは、Aの立場と言う事になるのでしょうか。

    Aは、私の立場というより、カルバン派の外のほとんどすべてのキリスト教の立場だと理解しています。どんな論争でも決着は難しいものですが、何がなんでも@が正しいとしなければという動機がわかりません。


    > はたして、正解は、@なのかAなのか。
    >
    > 500年が経っても未だに興味が尽きないカルバンです。

    カルバンはキリスト教と聖書が生まれてから約1500年後に生まれた一人の人間です。一人の人間が考える論説を、そこまで過大に考えることには、率直にいって違和感を覚えます。

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