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■12269 / inTopicNo.73)  Re[21]: 第三の天
  
□投稿者/ toll -(2021/04/29(Thu) 20:14:13)
    No12265に返信(愛満開さんの記事)
    > パウロの第三の天ですが、第一の天は地球を取り巻く大気圏内であり、
    > 第二は宇宙。第三は霊的世界と思います。
    >
    > そして第三の天をイエス様が十字架上で言われたパラダイスと
    > 見なしてよいでしょうか。




    こういう事なんですねー
    おベンキョさせて頂きました^^

    パウロの天

    使徒パウロは、「第三の天にまで引き上げられました。」しかし、そこでの体験を明らかにすることは禁じられていました。(第2コリント12章1-9節)

    もし、第三の天が存在するのなら、他にもう二つの天が存在するはずです。第一の天は旧約聖書で一番多く「空」とか「大空」として出てくるものです。これは、雲があり、鳥が飛ぶ区域の天のことです。第二の天は星と星との空間/地球の大気圏外の宇宙、つまり星、惑星、その他の 天体物質の宿る場所のことです。(創世記1章14-18節)

    第三の天は、その場所がどこか示されてないのですが、神の住み家です。イエスは、本当のクリスチャンの住む場所を天に準備すると約束されました。(ヨハネ14章2節)天国は、神の救い主の約束を信じて死んで行った旧約時代の聖徒たちの行き先でもあります。(エペソ4章8節)キリストを信じる者はだれでも、滅びることなく永遠のいのちを持っています。(ヨハネ3章16節) .

    使徒ヨハネは、天にある都を見てそれを記録するという特権に預かりました。(黙示録21章10―27節)ヨハネは、天(新しい地)には神の栄光(黙示録21章11節)、つまり神ご自身の臨在があるということを目撃しました。天国には、夜がなく、主ご自身が光なので、太陽も月も要らないのです。(黙示録22章5節)

    天の都は高価な宝石と混じりけのないガラスのような碧玉の輝きで満ちています。天には十二の門(黙示録21章12節)と十二の土台石があります。(黙示録21章14節)エデンの園の楽園が復旧されて、いのちの水の川が流れ、いのちの木ももう一度その実を毎月実らせるようになります。その木の葉は諸国の民を癒します。(黙示録22章1-2節)ヨハネの天国の叙述がどんなに雄弁であっても、天国の現実を表現するのは有限な人間の能力をはるかに超えたことです。(第1コリント2章9節)

    ttps://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-heaven-like.html


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■12274 / inTopicNo.74)  Re[21]: キリスト教の外の救い 愛満開様へ
□投稿者/ 愛満開 -(2021/04/29(Thu) 21:27:43)
    tollさんこんばんは。

    「救済に関するカトリック教会本来の教えを私は知りたい。」
    のサイトの御紹介、大変、参考になりました。

    カトリックやプロテスタントもユダヤ教も所詮は人間が営む不完全な組織なのだと思います。
    とは言え、今は、神を信じて愛し続けることが幸福なのではないのかなと思っているところです。
引用返信/返信 削除キー/
■12275 / inTopicNo.75)  Re[22]: 第三の天
□投稿者/ 愛満開 -(2021/04/29(Thu) 21:38:34)
    tollさん、第三の天こちらの疑問にもお答えいただきありがとうございます。

    御紹介のサイト「天国とはどんなところ?」ホントに素晴らしい回答だと思いました。

    特に最後の「私達はその神の子羊に顔と顔を合わせて会えるのです。その神の子羊は、私達を愛し、私たちが永遠に天にてご臨在を楽しむことができるようにと、ご自分を犠牲にされたのです。」

    というところが、イエス様の十字架の贖罪の意味が読み取れるようで大変分かりやすかったです。

    これからも、いろいろお教えくださいね。
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■12276 / inTopicNo.76)  バチカン公会議
□投稿者/ パニチェ -(2021/04/29(Thu) 21:57:13)
    横レス失礼します。

    No12261に返信(knowing itselfさんの記事)

    > 動画でバロン司教がいっているのは、↑上記を前提にした上で、第2バチカン公会議ではキリスト教を信仰していない、キリスト教の外でも、救われる可能性を認めたということです。無神論者も救われうる。良心や善意思をもって真摯に生きた場合ですが。

    上記のような見解あるいは聖書解釈?の正誤は何を根拠、あるいは判断基準としてなされるのでしょうか。
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■12285 / inTopicNo.77)  Re[23]: 第三の天 愛満開 様へ
□投稿者/ toll -(2021/04/30(Fri) 18:24:03)
    No12275に返信(愛満開さんの記事)
    > tollさん、第三の天こちらの疑問にもお答えいただきありがとうございます。
    >
    > 御紹介のサイト「天国とはどんなところ?」ホントに素晴らしい回答だと思いました。
    >
    > 特に最後の「私達はその神の子羊に顔と顔を合わせて会えるのです。その神の子羊は、私達を愛し、私たちが永遠に天にてご臨在を楽しむことができるようにと、ご自分を犠牲にされたのです。」
    >
    > というところが、イエス様の十字架の贖罪の意味が読み取れるようで大変分かりやすかったです。
    >
    > これからも、いろいろお教えくださいね。



    “ 聖書の事は聖書に聴け ” が座右の銘になりましたので
    こういう感じかなとチョイスしてみました
    気に入って頂けて 嬉しいです^^
    引用しなかった箇所は
    信仰によらなければ判らないかなと引用しませんでした
    聖書が語るとおりに思えませんから^^


    こちらこそ
    知らないことばかりですか
    愛満開 様には信仰とはどういうものか
    お話の中で教えていただければと思います

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■12286 / inTopicNo.78)  Re[22]: キリスト教の外の救い 愛満開様へ
□投稿者/ toll -(2021/04/30(Fri) 18:33:17)
    No12274に返信(愛満開さんの記事)
    > tollさんこんばんは。
    >
    > 「救済に関するカトリック教会本来の教えを私は知りたい。」
    > のサイトの御紹介、大変、参考になりました。
    >
    > カトリックやプロテスタントもユダヤ教も所詮は人間が営む不完全な組織なのだと思います。
    > とは言え、今は、神を信じて愛し続けることが幸福なのではないのかなと思っているところです。



    カトリックさんの問題みたいですからね
    何百年ぶりかの公会議が開かれて
    現在に則した教義になればいいのかもしれませんね
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■12288 / inTopicNo.79)  Re[23]: 第三の天
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/30(Fri) 19:06:17)
    愛満開さん こんばんは

    > 特に最後の「私達はその神の子羊に顔と顔を合わせて会えるのです。その神の子羊は、私達を愛し、私たちが永遠に天にてご臨在を楽しむことができるようにと、ご自分を犠牲にされたのです。」
    >
    > というところが、イエス様の十字架の贖罪の意味が読み取れるようで大変分かりやすかったです。

    https://youtu.be/5l-Lv9tGQwI

    最後の方で、三位一体の神の喩えとして、神が鏡に映る自分自身の完璧な像を見ていることを挙げています。神が鏡をみて愛のため息をもらす。神が父で、像が子=イエス、愛のため息が聖霊です。天とは、この三位一体の神の交わりのど真ん中に招き入れられることだと思います。パウロに限らず、そこしかゴールはないでしょう。

    天とは何処かという問いを別にしても、バロン司教のこの動画は三位一体の説明として秀逸だと思います。

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■12289 / inTopicNo.80)  Re[22]: バチカン公会議
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/30(Fri) 19:53:50)
    パニチェさん こんばんは

    >>動画でバロン司教がいっているのは、↑上記を前提にした上で、第2バチカン公会議ではキリスト教を信仰していない、キリスト教の外でも、救われる可能性を認めたということです。無神論者も救われうる。良心や善意思をもって真摯に生きた場合ですが。
    >
    > 上記のような見解あるいは聖書解釈?の正誤は何を根拠、あるいは判断基準としてなされるのでしょうか。

    聖書を制定したキリストの意思という他ないと思います。人間にキリストの意思がわかるのかという疑問もありますが、キリストの弟子ならある程度キリストの意思がわかる、そのキリストの弟子の直系がカトリック教会なのだから、カトリック教会にはその権限があるという立場だと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■12291 / inTopicNo.81)  Re[23]: バチカン公会議
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/30(Fri) 20:10:17)
    > 聖書を制定したキリストの意思という他ないと思います。人間にキリストの意思がわかるのかという疑問もありますが、キリストの弟子ならある程度キリストの意思がわかる、そのキリストの弟子の直系がカトリック教会なのだから、カトリック教会にはその権限があるという立場だと思います。

    憲法解釈における、憲法制定権者と憲法典の関係とのアナロジーが成り立つかもしれません。
引用返信/返信 削除キー/
■12293 / inTopicNo.82)  Re[24]: バチカン公会議
□投稿者/ パニチェ -(2021/04/30(Fri) 20:29:23)
    こんばんは、knowing itselfさん

    No12289に返信(knowing itselfさんの記事)

    > >>動画でバロン司教がいっているのは、↑上記を前提にした上で、第2バチカン公会議ではキリスト教を信仰していない、キリスト教の外でも、救われる可能性を認めたということです。無神論者も救われうる。良心や善意思をもって真摯に生きた場合ですが。

    >>上記のような見解あるいは聖書解釈?の正誤は何を根拠、あるいは判断基準としてなされるのでしょうか。

    > 聖書を制定したキリストの意思という他ないと思います。人間にキリストの意思がわかるのかという疑問もありますが、キリストの弟子ならある程度キリストの意思がわかる、そのキリストの弟子の直系がカトリック教会なのだから、カトリック教会にはその権限があるという立場だと思います。

    なるほど、そういうことですね。ありがとうございました。

    No12291に返信(knowing itselfさんの記事)
    >>聖書を制定したキリストの意思という他ないと思います。人間にキリストの意思がわかるのかという疑問もありますが、キリストの弟子ならある程度キリストの意思がわかる、そのキリストの弟子の直系がカトリック教会なのだから、カトリック教会にはその権限があるという立場だと思います。

    > 憲法解釈における、憲法制定権者と憲法典の関係とのアナロジーが成り立つかもしれません。

    面白い例えですね。
    旧約聖書と新約聖書は大日本帝国憲法と日本国憲法くらいの差があるようにも思えますが。。。^^
    これについてのレスはお気遣いなく。

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■12294 / inTopicNo.83)  Re[23]: キリスト教の外の救い 愛満開様へ
□投稿者/ 愛満開 -(2021/04/30(Fri) 21:45:24)
    tollさんこんばんは。

    > カトリックさんの問題みたいですからね
    > 何百年ぶりかの公会議が開かれて
    > 現在に則した教義になればいいのかもしれませんね

    第2バチカン公会議は、なかなか大変だったみたいですね。
    Wikipediaに出ていましたが、何か、聖書を解釈することの難しさを感じます。


引用返信/返信 削除キー/
■12295 / inTopicNo.84)  Re[24]: 第三の天
□投稿者/ 愛満開 -(2021/04/30(Fri) 21:56:54)
    knowing itselfさん こんばんは

    >>特に最後の「私達はその神の子羊に顔と顔を合わせて会えるのです。その神の子羊は、私達を愛し、私たちが永遠に天にてご臨在を楽しむことができるようにと、ご自分を犠牲にされたのです。」
    >>
    >>というところが、イエス様の十字架の贖罪の意味が読み取れるようで大変分かりやすかったです。
    >
    > https://youtu.be/5l-Lv9tGQwI
    >
    > 最後の方で、三位一体の神の喩えとして、神が鏡に映る自分自身の完璧な像を見ていることを挙げています。神が鏡をみて愛のため息をもらす。神が父で、像が子=イエス、愛のため息が聖霊です。天とは、この三位一体の神の交わりのど真ん中に招き入れられることだと思います。パウロに限らず、そこしかゴールはないでしょう。
    >
    > 天とは何処かという問いを別にしても、バロン司教のこの動画は三位一体の説明として秀逸だと思います。

    なるほど、ありがとうございます。

    神様はお一人だが、唯一の神でありながら父と子と聖霊でもあり父と子と聖霊は、永遠に愛し合っているということでしょうか。

    神様は、愛に出会うために他の相手を必要としない。神様は完全だから、私たち人間とか被造物を全然必要としないのでしょう。

    神様が宇宙万物を創られたのは、それを必要とされたからではなく、父と子と聖霊の愛が溢れ出て、三位一体以外の相手を創ろうとされたからかもしれません。

    そして、その相手である人間も愛のために創られたと言えると思います。

    「神はその一人子をお与えになるほど、世を愛された」。

    人間の本当の充実というか完成は愛のうちにあるのであり、実際、経験でも、人間は深く愛し愛される時こそ、本当の特別な喜びを感じます。

    それは、人間存在の目的をそこで達しているということの表れですが、それは人間どうしの愛だけではなく、神様ご自身、父と子と聖霊が愛し合って、その交わりの中へ人間を招き入れようとされているのだと思います。

    そう考えてみると、これは凄いことだと思う。親しい友達のグループ仲間に入れてもらって、皆と同じように親しく交わるのは大きな喜び。

    でも人間どうしがそうだったら、神様ご自身の交わりに招き入れられるというのは、なんという素晴らしいことでしょう。私たちの理解だけではなく、想像をはるかに超えることだと思います。

    その意味では、聖ヨハネが言っている「神は愛である」というのは、人間を捉えるためにも重要なこと。愛である神様に創られた人間は、愛のために創られたのですから。

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