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■18045 / inTopicNo.37)  Re[36]: 実存
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/28(Thu) 18:50:03)
    「実存」っていう言葉が出てきたから、
    わたしの参考書を見返して見たら、

    〔実存existence
    今、ここにいる人間の現実存在を意味する。実存は、客観的な抽象的思考では把握し得ない、個別者としての人間の現実的・具体的なあり方をさし、抽象的な「ひと」に解消し得ない、個別的・具体的な「この私」である。実存は、物事の客観的な知識とは異なり、「私」の主体的自覚に基づき、客観的な事物へ散っている精神を自分自身の内に集中させることによってめざめる。語源的には、実存(existence)は「外に」(ex)「立ち出る」ことを意味し、実存主義では、現在をこえて未来の可能性の中へと立ち出でること、また、自己を脱出して世界の存在の中に開かれていることなどと解釈される。歴史的には、中世のスコラ哲学で、物が「何であるか」をあらわす本質(essentia〔ラ〕)に対して、物が「存在する事実」をあらわす現存(esxistentia〔ラ〕)をさす言葉で、実存主義はこれを人間存在の事実をあらわす言葉として用いた。〕

    ってあった。

    ここに書いてある「ひと」っていの、ハイデガーのいう[Das Man]のことなのかわかんない。
    雰囲気的にわたしの言う「実存」のとはなんか違う感じ。

    ちょっと書き留めて置くことにした。




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■18110 / inTopicNo.38)  Re[37]: 「私」と「わたし」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/31(Sun) 09:22:45)
    ちょっと思ったんで書いとくことにしま〜す。

    No11447
    【フッサールが自分自身を理解するのに長い時間を要した問題はない、――また、この問題ほど彼が繰り返し繰り返し問い直した問題もない。】ってメルポンは言ってたのを想い出してる。

    日常的に使われてる「人」、これをわたし「私」ってしてる。
    そして「私」と「わたし」を区別して見てるんだけど、ちょっとここんところ、わたしに見えるようにしとく。

    ここ、文字だけでの表現だから、意味的に異なるものを表言するのに語を違えないとごちゃごちゃになっちゃうから、ちょっとここで、口語のばあい、「ワタシ」って言うのを使って区別して置く。
    わたし、いろんな人に「私」っていうのあると思ってて、いろんな人が「ワタシは…と思う」とか「ワタシは…が好き」みたいに「ワタシ」を使ってるよね。このようなときの「ワタシ」は「わたし」に近いかな。

    No18045の、
    〔個別的・具体的な「この私」〕を、わたし「わたし」って表言することにしてるんだけど、わたしの表言する「私」っていうの、それとは違う感じのものとして区別してる。

    No17618の、訳注〔7〕に、
    〔ハイデガーのめざすものは、個別の具体的な実存の振る舞い方の記述ではなく、実存一般を「構成している」「存在論的な諸構造の連関」、すなわち「実存性」の解明にあり、しかも、それは存在了解を含み、存在の意味(真理)と深くかかわっている。自分の思索は、実存哲学というよりは、むしろ当初から一貫して、存在の思索であったのだと〕
    ってあって、ハイデガーの場合、〔個別の具体的な実存の振る舞い方の記述〕じゃなくて、〔実存一般(実存性)〕の解明みたいだけど、どちらかというと、わたしの言う「私」っていうのは、こんな感じのみたい。
    もっともわたしのは「解明」とか「存在論」っていうそういうんじゃないけどね。

    わたし前に「実存哲学」と「実存哲学の形式」の区別、ってしたけど、言い方を変えて、前者を「個別的実存」、後者を「一般的実存」ってすることにする。
    でね、「実存」として「私」を見るとき、「一般的実存」として「私」を見ようしているとき「実存私」、「個別的実存」として「私」を見ようとしているとき「実存わたし」って表言して区別することにした。

    「わたし」と「私」って区別して見たんだけど、そうすると次のようなことが問題となってくるのかな。(メルポンは分けたものの関係性を見ることってしてる見たいだから)

    (1)「私」と「他者」との関係性
    (2)「私」と「わたし」との関係性

    (1)は他我問題?ん、あまり難しく考えないで、〈「私」のうちに、fremdがどのように「他者」として現れてくるのか〉っていう問題かな。 フッサールのは、
    No15221にあるようなもの。『デカルト的省察』の第50節の題は「他者経験は、「共現前」(類比による統覚)として、間接的な志向性をもつ」。

    (2)についてなんだけど、現象学のを読んでるなかで、わたしに思いついたのが「志向性」。
    No15250に、〈自〉(わたしが勝手にそうしっちゃものね)について書いて見たけど、
    「私」の〔身体と、〈自〉(身体と直接キアスムしている、原初的で固有の、志向的生の主体)〕によって「わたし」(個別的・具体的な「この私」)ならしめてる、ってして見たよ。
    簡単に言っちゃうと、
    「私」の志向性が「わたし」。

    ひとまずこんな感じにしとく。


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■18115 / inTopicNo.39)  Re[38]: カオス
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/31(Sun) 19:43:36)
    ニーチェクラブはカオスがお好み?

    ドゥルーズ&ガタリの『千のプラトー』のなかに、
    【私たちが若干の秩序を要求するのは、カオスから自分の身を守るためでしかない。私たちは、自分が手にしている諸観念を絶えず失う。だからこそ私たちは、いくつかの揺るぎないオピニオンというものに、こんなにもしがみついているのだ。】
    っていうのがあったかな?

    あ、わたしにとってD&Gのは”ただ言ってるだけ”だから、どうでもいいんだけど、
    ふと、浮かんできたから、つい、ね。
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■18116 / inTopicNo.40)  Re[39]: カオス
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/31(Sun) 20:02:15)
    あ、ついでに、

    もしカオスがお好みなら、
    デカルトの第一省察、
    【私は、すでに幾年か前のことになるが、こう気づいたのである。幼少の頃にどれほど多くの偽なるものを真なるものとして私が受け入れてしまっていることか、そしてそのようなものの上にその後私の積み重ねてきているものがどれほど疑わしいものであることか】
    って思って見るのもいいかも?
    ほら、こうすると、私のがカオスになっていかない?
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■18141 / inTopicNo.41)  Re[40]: カオス
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/11/01(Mon) 12:12:13)
    悪魔ちゃんの脳はカオスが売り。ま、それで俺は助かったんだが。
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■18152 / inTopicNo.42)  Re[41]: カオス
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/01(Mon) 19:03:39)
    ■18141、
    あら、マジモンさん、
    少しは素直になってきたみたいね。

    ん?わたしの脳はカオス?
    もしそう見えるんだったら、あなたの脳は規定ね。
    ん〜?文化的存在に俗されちゃった脳っていう感じかな?
    だから、そう見えるだけなんじゃい?




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■18162 / inTopicNo.43)  Re[42]: カオス
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/11/01(Mon) 22:19:55)
    悪魔ちゃんへ

    貴女のカオス閃きに感謝するのは、メビウスリングを含めて三度目 (笑)
    規定ではなく、法則だね。
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■18184 / inTopicNo.44)  Re[43]: カオス
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/02(Tue) 20:29:53)
    ■18162、マジモンさんへ、

    >規定ではなく、法則だね<
    あら!わたしから見たら、だいそれた脳なのね。
    とりあえず、了解しとく。
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■18218 / inTopicNo.45)  Re[44]: 世界と私との関係性
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/03(Wed) 08:50:27)
    No18110に関連して、
    No11426で、メルポンは、
    【私は絶対的な根源である。私の実存は、私の経歴、私の自然的・社会的環境から由来するのではない。私の実存はこれらに向かってゆき、これらを支える】
    って言ってる。

    わたしの「私」や「わたし」の意味が書けたので、これからは括弧をはずして書くことにするよ。

    「私の実存はこれらに向かってゆき」、これわたし〈私の志向性〉って見てる。

    けっきょく、わたし何しようとしてるの?
    世界や私(人)、そして、世界と私との関係性を見ようとしているのかな。
    その手引きとして、現象学の、ね。
    メルポンは、
    No11345で、「人間考察」とか
    No11411で、「世界や人間を理解するには」って言ってる。
    そして〈世界と私の関係性〉を、現象学では「世界内存在」とか「世界における(への)存在」として私を見て、わたしもこのように見て見ることにしてる。

引用返信/返信 削除キー/
■18220 / inTopicNo.46)  Re[45]: 世界と私との関係性
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/03(Wed) 09:26:28)
    ■18218、間違えちゃった、

    No11345で、「人間考察」とか<
    のところ、No11345じゃなくて、
    No11365でした。
    あと、>世界や人間を理解する<じゃなくて、
    「人間と世界とを理解するには」でした。

    なおしとく。

引用返信/返信 削除キー/
■18236 / inTopicNo.47)  Re[46]: 世界と私との関係性
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/03(Wed) 16:33:53)
    ちょっと思ったんだけど、

    〈私と世界の関係〉について思うとき、
    (1)わたしの生き方(人間はいかに生きるべきか的なこと)へと向かうのと、
    (2)原初的な関係性へと向かうのと、
    の二つの志向があるんじゃないかって。
    区別するために(1)を〈私と世界との関係〉、(2)を〈私と世界との関係性〉ってすることにする。

    私が暮らす世界の外に別の世界があるって見てるばあいもあるかもしれない。ひとまず前者を「世界内」、後者を「世界外」ってして区別しておこっかな。世界外存在についてわたしあまり考えてない。わたしのは世界内存在としての私(正確には世界内部的存在者かな?)として見ようとしてるかもね。

    ちなみに、ハイデガーは『存在と時間』のなかで、【そもそも世界というものが存在しているのかどうか、また、世界の存在が証明されうるのかどうかという問いは、世界内存在としての現存在が設定する問いとしては――だが、そのほかの誰がこうした問いを設定するのであろうか――無意味である。】って言ってる。

    現象学のはやっぱ(2)の方だとわたし見てる。
    たとえば、乳幼私は〈私は人間としていかに生きるべきか〉なんて思ったりしないと思う。そういうことでなくて、〈乳幼児はどのようにして世界を知ってゆくのだろう?〉みたいな問いへと向かっていく見たいな志向かな?でもそのとき、現象学の場合、〈乳幼児はどのようにして世界を知ってゆくのだろう?〉を“外から”見ようとしてるんじゃなくて、“内において”見ようとしてるんだと思う。外から見ようとしているのは科学的な見方なんかな?


引用返信/返信 削除キー/
■18241 / inTopicNo.48)  Re[47]: 世界と私との関係性
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/11/03(Wed) 17:54:35)
    はい、こんばんわ、悪魔ちゃん
    私は文章を読むのが苦手なんだが、
    何とか読めましたので、コメントつけようと思います。
    口が悪い男なので、そんところは許してくださいね。



    No18236に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ちょっと思ったんだけど、
    >
    > 〈私と世界の関係〉について思うとき、
    > (1)わたしの生き方(人間はいかに生きるべきか的なこと)へと向かうのと、
    > (2)原初的な関係性へと向かうのと、
    > の二つの志向があるんじゃないかって。
    > 区別するために(1)を〈私と世界との関係〉、(2)を〈私と世界との関係性〉ってすることにする。

    はい、そのように私も感じております。

    > 私が暮らす世界の外に別の世界があるって見てるばあいもあるかもしれない。

    はい、別世界に飛んで行っている事は確かで、そこから分析しております。

    >ひとまず前者を「世界内」、後者を「世界外」ってして区別しておこっかな。世界外存在についてわたしあまり考えてない。わたしのは世界内存在としての私(正確には世界内部的存在者かな?)として見ようとしてるかもね。
    >
    > ちなみに、ハイデガーは『存在と時間』のなかで、【そもそも世界というものが存在しているのかどうか、また、世界の存在が証明されうるのかどうかという問いは、世界内存在としての現存在が設定する問いとしては――だが、そのほかの誰がこうした問いを設定するのであろうか――無意味である。】って言ってる。

    その通りだと思います。
    迷路を上から観察するのと、迷路の中を実際に歩くのは違うと感じます。
    無意味であるというのは、迷路の中を歩いている時は、
    自分の体の集中している箇所が違うと感じます。

    > 現象学のはやっぱ(2)の方だとわたし見てる。
    > たとえば、乳幼私は〈私は人間としていかに生きるべきか〉なんて思ったりしないと思う。そういうことでなくて、〈乳幼児はどのようにして世界を知ってゆくのだろう?〉みたいな問いへと向かっていく見たいな志向かな?でもそのとき、現象学の場合、〈乳幼児はどのようにして世界を知ってゆくのだろう?〉を“外から”見ようとしてるんじゃなくて、“内において”見ようとしてるんだと思う。外から見ようとしているのは科学的な見方なんかな?

    カブトムシを外から観察するのと、
    カブトムシの腹の中から観察するのは違う結果が出ると思います。
    腹の中から、分析しても、カブトムシに辿り着けないと感じます。




    こんなんでどうでしょうか(笑)
    お役に立てれば幸いです。
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