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No11447 の記事


■11447 / )  Re[38]: 結びづけ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/18(Thu) 20:27:39)
    「エポケー」とか「現象学的還元」、わたしのを見えるようにしたところで、No No11426を見て見るね。

    (MP-5)で、【さしあたり科学の否認である。】って言ってる。「否認」って言ってるんで、「否定」とは言ってないよね。これって、エポケー的だと思う。

    (MP-5)では、メルポンの「私」と「科学」との関係について言ってるんだと思う。

    そして【私は絶対的な根源である】って言ってる。これを独我主義(真に実在するのは自我とその所産だけであり、他我やその他すべてのものは自己の意識内容にすぎないとする立場)って見るのは違うと思う。どうしてかっていうと現象学は独我論じゃないから。このへんのとこは後で見て見るね。メルポンのは、哲学で出てくる自我論(自我についての研究・学問)っていうこっちの方だとわたし思ってる。
    で、わたしも「私は絶対的な根源である」っていう判断を括弧に入れて(「私は絶対的な根源である」)。ここからわたしの思考が向かうのは、「私」「根源」ってなあに?って。

    「私」で思い出したんだけ、メルポンは、ほかのところで、
    【以上のことからして、かの有名な現象学的還元の真の意味が、明らかとなる。たしかにこの問題についてほど、フッサールが自分自身を理解するのに長い時間を要した問題はない、――また、この問題ほど彼が繰り返し繰り返し問い直した問題もない。というのも、「還元の問題性」はフッサールの未完の文献のなかでも重要な場所を占めているのだから。ながい間、それも最も新しいテキストにおいてもなお、還元は超越論的意識の還帰として提示されている。世界はこの超越論的意識の前では完全に透明なものとして展開され、一連の統覚によってすみずみまで生気づけられている。そして哲学者は、これらの統覚の成果から遡って統覚を再構成する、という仕事を課せられることになろう。…】(MP-6)
    って言ってる。

    (MP-6)で、フッサールは、ってあって、【自分自身】っていうの出てきてるけど、わたし「自分自身」を「私」ってしてる。フッサールはどうやら「私とはなにか?」っていっぱい考えていたんじゃないかしら。

    (MP-6)で、「統覚」っていうの出てきてる。フッサールにおいてNo11366の(FD-3)、No11393の(FD-4)のなかにも「統覚」出てきてる。わたしNo11393で、「統覚」を〈知覚に接近・隣接・接着してるもの〉ってした。――なんか、「知覚」の話題に近づいてきてる?
    No11366(P60)

    (MP-5)に戻って、【まず第一に世界についてのあの経験を呼びまさなくてはならないのである】っていうのは【森林や草原や河川がどのようなものであるかをわれわれに最初に教えた風景】のことだと思う。

    こう言うのって、フッサールのNo11366にあるように、子どものころに遡って見る、というのと、No11365の(MP-3)の【言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるであろう。】に結びつく。
    これ、わたし赤ちゃんのころから三歳ころのこと、って見てる。これがメルポンの言う【起源に遡って】なんだと思う。

    こういうのって、No11411の(MP-4-2)の【世界との、この素朴な触れあいを再発見する】にも結びつく。
    そう、メルポンはこのような世界と私との関係――ん〜ん、わたしこれを〈原初的世界〉って呼ぶことにしてる――に【哲学的資格を与えることに、あらゆる努力を傾注する】ってしてるんじゃないかしら。

    なんか、連関、見えてきた感じ。

    きょうはこのへんでおわりにするね。

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