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Re[46]: 世界と私との関係性
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/03(Wed) 16:33:53)
| ちょっと思ったんだけど、
〈私と世界の関係〉について思うとき、 (1)わたしの生き方(人間はいかに生きるべきか的なこと)へと向かうのと、 (2)原初的な関係性へと向かうのと、 の二つの志向があるんじゃないかって。 区別するために(1)を〈私と世界との関係〉、(2)を〈私と世界との関係性〉ってすることにする。
私が暮らす世界の外に別の世界があるって見てるばあいもあるかもしれない。ひとまず前者を「世界内」、後者を「世界外」ってして区別しておこっかな。世界外存在についてわたしあまり考えてない。わたしのは世界内存在としての私(正確には世界内部的存在者かな?)として見ようとしてるかもね。
ちなみに、ハイデガーは『存在と時間』のなかで、【そもそも世界というものが存在しているのかどうか、また、世界の存在が証明されうるのかどうかという問いは、世界内存在としての現存在が設定する問いとしては――だが、そのほかの誰がこうした問いを設定するのであろうか――無意味である。】って言ってる。
現象学のはやっぱ(2)の方だとわたし見てる。 たとえば、乳幼私は〈私は人間としていかに生きるべきか〉なんて思ったりしないと思う。そういうことでなくて、〈乳幼児はどのようにして世界を知ってゆくのだろう?〉みたいな問いへと向かっていく見たいな志向かな?でもそのとき、現象学の場合、〈乳幼児はどのようにして世界を知ってゆくのだろう?〉を“外から”見ようとしてるんじゃなくて、“内において”見ようとしてるんだと思う。外から見ようとしているのは科学的な見方なんかな?
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