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■23717 / inTopicNo.61)  うましかさんへ ( ^ω^ )
  
□投稿者/ pipit -(2022/06/04(Sat) 13:45:44)
    2022/06/05(Sun) 12:17:26 編集(投稿者)
    2022/06/04(Sat) 13:54:00 編集(投稿者)
    2022/06/04(Sat) 13:50:15 編集(投稿者)

    No23716
    うましかさん、こんにちはー
    個性的な中山元泉もいいですよねー♪

    (うましかさん)
    >空間が事物そのものに付着する事物の特性だとすると、もし事物がそこに無ければ、私たちは事物が存在する前にその特性である空間を直観することはできないよね! by カント、、、ということでしょうか
    (;´・ω・)?<

    pipitはそのように↑思っています。

    もし、数学とは人間が概念を構成することだと捉えた時、何処において構成するのか?
    という問いへの答えとして、カントは純粋直観(人間にとっては絶対空間的に表象される形式としての純粋直観)を提示したのではないかと思っています。
    1+1=2、あるいは、1=1 でさえ、カント的にはもしかしたら、純粋直観上に概念を構成することで、初めて知識たり得る、と考えたのかも?とも思っています。↓

    中山元先生独自番号018(第一巻p42、B17)より引用します。
    (カントの文章)
    『たとえば a=a、(略)、(a +b)>a、(略)、数学においてこれが許容されているのは、それを具体像[=直観]において記述することができるからである。』

    それで、もし数学が必然性や普遍性を備えたアプリオリな学問として成り立っていると考えるなら、
    事後的にしか直観できない空間に概念を構成しても、アプリオリにならないじゃないか、という方向へ持って行きたいのかなぁ、そういう論調でこの箇所あたりの文章を書いてるのかなぁと思っていました。


    全く違っていたらすみませんー
    ( ;∀;)


引用返信/返信 削除キー/
■23716 / inTopicNo.62)  pipitさんへ (;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2022/06/04(Sat) 13:14:09)
    2022/06/04(Sat) 13:16:05 編集(投稿者)

    おはようございますー

    中山元訳1、p.86より、

    (a) 空間は事物そのもの[=物自体]の特性を示すものではいし、複数の事物の相互の関係を示すものでもない。だから空間は事物そのものの規定ではない。事物そのものの規定であれば、それは対象そのものに付着しているはずであり、直観から主観的な条件をすべて取り去った後にも、事物のもとにまだ残っているはずである。ところが事物についての規定は、それが絶対的な規定であるか、相対的な規定であるかを問わず、その事物が存在する以前には、すなわちア・プリオリには、直観することができないのである。

    *******

    空間が事物そのものに付着する事物の特性だとすると、もし事物がそこに無ければ、私たちは事物が存在する前にその特性である空間を直観することはできないよね! by カント、、、ということでしょうか(;´・ω・)?


    中山元泉かけ流し〜(/・ω・)/




引用返信/返信 削除キー/
■23638 / inTopicNo.63)  星空通信日記
□投稿者/ pipit -(2022/06/01(Wed) 00:43:12)
    2022/06/01(Wed) 08:33:55 編集(投稿者)

    うましかさん、こんばんはー

    先に進もうと思うのに、ついついこの箇所に、、、やはり沼っ!


    >空間は決してなんらかの物自体の性質< → >絶対的規定〔空間〕<

    >相互関係にある物自体を表象するもの< → >相対的規定〔空間〕<

    ではなく、
    >規定が帰属する物が現存在するのに先行しては(ア・プリオリには)、直観されえない<


    (うましかさん)↓
    >物が現存在する、つまり?物が物そのもの自体として存在するというのは、それが空間的に?存在するという規定よりも先行する(しかもそれより先には行けない根源)と、カントは考えているということなのかなー
    (;´・ω・)?<

    おぉ、言われてみればそんな気もします (・・;)ナント
    (でもこの時点ではカントの独断論みたいに言われそうな(・・;))

    >では、この「空間(的)」というのが、どこにあるのか?というと、私たちの認識の側にあるとカントは考えているということか…、とカント認識論をいったん知ってしまうと、どうしても定規の目盛りが私たちの認識の眼に印されていること前提のイメージに囚われてしまいます(´;ω;`)ウッ… <

    そうなんですよね、カントの枠(と自分が思うもの)がクセになりすぎて、、、
    思考が不自由になってるかな (´;ω;`) ヌマ。。、

    さっき久しぶりに星いっぱいの空を見て、空間や虚空やエーテルのこと考えてて、カント先生なにか教えてくれる?と思ったけど、何も頭に思いつかなくて、

    何もわからないなーと思ったけど、うましかさんのコメントで少し進めた気がします。
    ありがとうございます!


引用返信/返信 削除キー/
■23636 / inTopicNo.64)  眠眠沼でのとりとめのない呟き(´-`).。oO
□投稿者/ うましか -(2022/05/31(Tue) 23:20:02)
    pipitさん、こんばんはー

    >(a)空間は決してなんらかの物自体の性質や相互関係にある物自体を表象するものではない。言い換えれば、空間は、対象そのものに付着していて、たとえ直観のすべての主観的条件が捨象されたとしても残るような、物自体の規定ではない。というのは、絶対的規定も相対的規定も、そうした規定が帰属する物が現存在するのに先行しては、したがってア・プリオリには直観されえないからである。〔御子柴,p.94〕

    の、

    >というのは、絶対的規定〔空間〕も相対的規定〔空間〕も、そうした規定が帰属する物が現存在するのに先行しては(ア・プリオリには)、直観されえないからである。〔少し変えてあります。〕

    について。

    物が現存在する、つまり?物が物そのもの自体として存在するというのは、それが空間的に?存在するという規定よりも先行する(しかもそれより先には行けない根源)と、カントは考えているということなのかなー(;´・ω・)?

    では、この「空間(的)」というのが、どこにあるのか?というと、私たちの認識の側にあるとカントは考えているということか…、とカント認識論をいったん知ってしまうと、どうしても定規の目盛りが私たちの認識の眼に印されていること前提のイメージに囚われてしまいます(´;ω;`)ウッ… 

    以上の呟きは、全くの誤解だろうとおもいますのでスルーしてください(;´・ω・)


    眠眠沼(´-`).。oO




引用返信/返信 削除キー/
■23633 / inTopicNo.65)  現在眠眠日記
□投稿者/ pipit -(2022/05/31(Tue) 21:56:57)
    >
    (a)空間は決してなんらかの物自体の性質や相互関係にある物自体を表象するものではない。言い換えれば、空間は、対象そのものに付着していて、たとえ直観のすべての主観的条件が捨象されたとしても残るような、物自体の規定ではない。というのは、絶対的規定も相対的規定も、そうした規定が帰属する物が現存在するのに先行しては、したがってア・プリオリには直観されえないからである。〔御子柴,p.94〕

    【うましかQ 】

    > No23576
    > >【うましかQ】
    >  「仮に、現象と物自体の区別を無視して、空間を物自体に付着したものだとすると、絶対的な物自体が空間意識に先行していることになります。このときもはや空間はア・プリオリではなくなります。」御子柴、p.95 (;´・ω・)???
     
    >  Q)物自体に空間が付着してるとすれば、私の空間意識とやらとは別に空間があるということになるとおもいますが、それはア・プリオリ、つまり私の空間意識に先立って空間があるということではないの?(゚Д゚;)< <

    うーん、カントの文章も御子柴先生の文章も、ほんとスッキリはわからないなぁ。。。

    と、中山先生本(一巻)何気に手に持ってたら、たまたまp351
    『もしも空間が物に付着しているのだとすると、』の中山先生解説文字がっ!
    その箇所読んで思ったのが、

    物自体があるとき空間がある,と言う場合、空間意識は、物自体に依存して、、、

    空間意識に先立って空間はあるかもけど、その空間は物自体に依存して、結局空間も空間意識も偶然的な性質になる?

    すっきりとはわからないなぁ(ー ー;)???


引用返信/返信 削除キー/
■23601 / inTopicNo.66)  モーニング泥パック日記(・∀・)
□投稿者/ うましか -(2022/05/30(Mon) 07:56:39)
    2022/05/31(Tue) 07:35:03 編集(投稿者)

    pipitさん、おはようございますー

    No.23592(pipitさん)

    >中山元先生独自番号049の最後の文(第一巻、p86)
    >『、すなわちアプリオリには、直観することができないのである。』

    >とあり、カント文章としては、かろうじて(直観の語が置かれていて)、セーフ?

    おお! (・∀・)!

    御子柴,p.94にも、「したがってア・プリオリには直観されえないからである。」という訳文?がありました。

    -------

    【5/31追記】

    (a)空間は決してなんらかの物自体の性質や相互関係にある物自体を表象するものではない。言い換えれば、空間は、対象そのものに付着していて、たとえ直観のすべての主観的条件が捨象されたとしても残るような、物自体の規定ではない。というのは、絶対的規定も相対的規定も、そうした規定が帰属する物が現存在するのに先行しては、したがってア・プリオリには直観されえないからである。〔御子柴,p.94〕

    【うましかQ 】

    > No23576
    > >【うましかQ】
    >  「仮に、現象と物自体の区別を無視して、空間を物自体に付着したものだとすると、絶対的な物自体が空間意識に先行していることになります。このときもはや空間はア・プリオリではなくなります。」御子柴、p.95 (;´・ω・)???
     
    >  Q)物自体に空間が付着してるとすれば、私の空間意識とやらとは別に空間があるということになるとおもいますが、それはア・プリオリ、つまり私の空間意識に先立って空間があるということではないの?(゚Д゚;)<

    -------


    しかし、まだ消化不良だなー

    あとで中山元訳1,86も参照してみます(・ω・)ノ

    ありがとうございましたm(__)m

引用返信/返信 削除キー/
■23592 / inTopicNo.67)  Re[7]: 泥パック日記(@_@)
□投稿者/ pipit -(2022/05/29(Sun) 19:58:16)
    うましかさん、返信ありがとうございます!

    おぉ、うましかさん、お肌ツルツル? 
    ・:*+.(( °ω° ))/.:+

    いろいろ勘違いしてたらすみませんが、
    中山元先生独自番号049の最後の文(第一巻、p86)
    『、すなわちアプリオリには、直観することができないのである。』

    とあり、カント文章としては、かろうじて(直観の語が置かれていて)、セーフ?

    寝ぼけてたらすみません!
引用返信/返信 削除キー/
■23591 / inTopicNo.68)  泥パック日記(@_@)
□投稿者/ うましか -(2022/05/29(Sun) 18:47:28)
    2022/05/29(Sun) 19:05:23 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    うましかQに救いの手を差し伸べてくださってありがとうございますm(__)m


    > No23576
    > >【うましかQ】
    >  「仮に、現象と物自体の区別を無視して、空間を物自体に付着したものだとすると、絶対的な物自体が空間意識に先行していることになります。このときもはや空間はア・プリオリではなくなります。」御子柴、p.95 (;´・ω・)???
     
    >  Q)物自体に空間が付着してるとすれば、私の空間意識とやらとは別に空間があるということになるとおもいますが、それはア・プリオリ、つまり私の空間意識に先立って空間があるということではないの?(゚Д゚;)<

    > カント的空間節、沼沼ですよねー
    > (ー ー;)
    > 上記御子柴先生部分の場合、アプリオリに対象を規定できるか否か、という視点からの表現?と思いました。
    >
    > 物自体に空間が付着していれば、私たちは空間に対してはアポステリオリにしか出会えない。


    なるほどー

    物自体に空間が付着している場合、私たちが空間と −出会うのは−、ア・ポステリオリってことを言いたいのか(゚д゚)!

    ( ・∀・) OK! ミコシバ




    (;´・ω・) OK?ミコシバ。。。


    (-ω-; )ウーンミコシバ…








引用返信/返信 削除キー/
■23584 / inTopicNo.69)  Re[6]: うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/05/29(Sun) 17:26:00)
    2022/05/29(Sun) 17:26:46 編集(投稿者)

    No23576
    >・私たちは日常、空間をア・プリオリな純粋直観などとは考えていない。
    ・だが、そう考えないと成立しない学問がある。それが幾何学。←数学でのア・プリオリな総合的判断

     例)「三角形の内角の総和は二直角である」という認識

    ・この認識を得るために私たちは三角形を描くが、経験的な直観では三辺をなす直線が曲がっていたりと、実にいいかげんである。

    ・幾何学が行えるのは、純粋直観を根拠においてそこに三角形を描き出すから。<

    ぐにゃぐにゃの三角形もどきを地面やノートに経験的に個々に描いても、本当に演算してるのは、心に描いた三角形を使ってる。
    アポステリオリな空間ではなく、心に備わるアプリオリな空間に描いた対象についてのアレコレが純粋な幾何学、と、カントは考えたのかなぁと思いましたが、全然違ってたらすみません。
    m(_ _)m


引用返信/返信 削除キー/
■23583 / inTopicNo.70)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/05/29(Sun) 16:38:55)
    うましかさん、こんにちは!
    うましかさんも体調にお気をつけてくださいね
    (^_^)v

    No23576
    >【うましかQ】
     「仮に、現象と物自体の区別を無視して、空間を物自体に付着したものだとすると、絶対的な物自体が空間意識に先行していることになります。このときもはや空間はア・プリオリではなくなります。」御子柴、p.95 (;´・ω・)??? 
     Q)物自体に空間が付着してるとすれば、私の空間意識とやらとは別に空間があるということになるとおもいますが、それはア・プリオリ、つまり私の空間意識に先立って空間があるということではないの?(゚Д゚;)<

    カント的空間節、沼沼ですよねー
    (ー ー;)
    上記御子柴先生部分の場合、アプリオリに対象を規定できるか否か、という視点からの表現?と思いました。

    物自体に空間が付着していれば、私たちは空間に対してはアポステリオリにしか出会えない。
    (物自体with空間に出会って、出会った空間からしか、数学的概念を構成できない)
    カント的には、アポステリオリなものからの知識は、帰納法経由の蓋然的知識にしかならない、と、考えたのかなあ。??
    pipit的には、それでもいいやん、と、沼疲れしてくると思えますけどね
    (^^;) テキトウデモエエンヤナイ?ヤクニタテバ。。。

    カント沼で泥パック。。。になってくれるのかなー?!(かすかな希望)
    (*^o^*) おつかれさまです♪


引用返信/返信 削除キー/
■23576 / inTopicNo.71)  御子柴善之泉:超越論的感性論 解説8
□投稿者/ うましか -(2022/05/29(Sun) 12:38:48)
    2022/05/29(Sun) 14:36:49 編集(投稿者)

    pipitさん、こんにちはー(/・ω・)/

    暑くなりましたねえ(;´Д`A```

    体調にお気をつけて!


    *******

    御子柴善之『カント 純粋理性批判』角川選書(シリーズ◆世界の思想)

    https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000036/

    p.84〜p.106、「第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論」を読んでいます(・∀・)


    -------

    ◆第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論
     ※以下■=内容の見出し(本文では〈〉で表示)

    ■感性論と美学
    ■直観と感性
    ■感覚と現象
    ■現象と形式 − それを取り出す手順
    ■外的感官と内的感官


    ■空間とはなにかを究明する
    ・空間は私たちが自分の外にある様々な物を経験を経験したことから抽象した経験的な概念ではない。
     → なぜなら、私たちはどのような外的経験においても、既に空間を根拠にしているから。

    ・空間はア・プリオリで必然的な表象である。
     → なぜなら、空間無しにいかなる外的現象もあり得ないから。

    ・空間は、そもそも概念ではなく純粋直観である。
    ・私たちは様々な空間を意識するが、どの空間も「一つの空間」の中の一部分として表象する。
    ・その「一つの(一なる)空間」に私たちは直接関係しているから、空間は直観である。

    ・そうした「一つの(一なる)空間」は「与えられた無限の量」として表象される。
    ・私たちに外的表象が与えられるとき、それとともに空間がその形式として与えられる。空間はまさに純粋直観である。

    ・私たちは日常、空間をア・プリオリな純粋直観などとは考えていない。
    ・だが、そう考えないと成立しない学問がある。それが幾何学。←数学でのア・プリオリな総合的判断

     例)「三角形の内角の総和は二直角である」という認識

    ・この認識を得るために私たちは三角形を描くが、経験的な直観では三辺をなす直線が曲がっていたりと、実にいいかげんである。

    ・幾何学が行えるのは、純粋直観を根拠においてそこに三角形を描き出すから。

    ■空間の理解から帰結すること
    ・カントは、空間を純粋直観として、また現象の形式として理解した。→私たちの普段の視点からの変更

    ・普段の私たちの視点 …

     例)自分の周りに自分と無関係に空間が広がっている
     例)自分と物とのあいだや物と物とのあいだに空間が広がっている

    ・これに対してカントは、空間は私たちの認識主観の能力である感性の形式だと理解した。

    【うましかQ】
     「仮に、現象と物自体の区別を無視して、空間を物自体に付着したものだとすると、絶対的な物自体が空間意識に先行していることになります。このときもはや空間はア・プリオリではなくなります。」御子柴、p.95 (;´・ω・)??? 
     Q)物自体に空間が付着してるとすれば、私の空間意識とやらとは別に空間があるということになるとおもいますが、それはア・プリオリ、つまり私の空間意識に先立って空間があるということではないの?(゚Д゚;)


    ■空間の経験的実在性と超越論的観念性


    ■時間とはなにかを究明する
    ■時間の理解から帰結すること
    ■時間の経験的実在性と超越論的観念性

    ■感性的認識一般の根本性質

    -------

    No.23249,23251,23262,23285,23322,23343,23472,23576

引用返信/返信 削除キー/
■23507 / inTopicNo.72)  Re[11]: カントによる註釈 の 英訳
□投稿者/ pipit -(2022/05/26(Thu) 16:57:26)
    みなさま、こんにちは。

    No23394
    > (中山元先生訳の上記原文の一部分の訳)
    > 『(注)空間と時間、ならびにそれらのすべての部分は直観であって、たんなる概念ではない。これらは直観に含まれる多様なものの個別な像を含む(これについては超越論的な感性論を参照されたい。)』
    > 『純粋理性批判2』カント、中山元先生訳、p124<

    の続きの箇所からです。

    Consequently, they are not pure conceptions, by means of which the same consciousness is found in a great number of representations; but, on the contrary, they are many representations contained in one, the consciousness of which is, so to speak, compounded. The unity of consciousness is nevertheless synthetical and, therefore, primitive. From this peculiar character of consciousness follow many important consequences. (See § 21.)

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap43
引用返信/返信 削除キー/

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