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■24392 / inTopicNo.13)  悪魔ちゃんへ
  
□投稿者/ pipit -(2022/07/05(Tue) 21:53:42)
    No24390
    悪魔ちゃん、こんばんは!

    > >哲学としては古くなってるのかなぁ。<
    > ねえ、これってカント哲学のことを言ってるの?<

    うん。

    > わたし「フィロソフィア」に古いも新もないと思ってる。
    > そのひとつに、根源とか原初の探究って見てる、その活動をするかどうか、なんじゃないかしら。
    > ほら、二ーっチェって、最初、文献から始めたみたいじゃん?<

    うん。


    > pipitさまは、まず理解すること、があるみたいだけど、
    > わたしのばあい、まず感じること、があるの。<

    うん。

    > カント、「二つの幹」って言ってたじゃん?
    > ごめん、もう一回そこんとこ書いてもらえません?
    > どこかに書き留めて置いたんだけど、探して見たけどどうしても見つからなくて。
    > 気が向いたときでいいで〜す。
    >

    過去ログ探してみたよ!

    No5305
    No11090
    あたりが、関連投稿かな、と。
    そこから引用するね↓ 他のとこもみたかったら気軽に言ってね!

    =========


    『この二つの〈幹〉とは感性と知性[=悟性]であり、これらはおそらくまだわたしたちには知られていない一つの共通の〈根〉から生まれてきたものである。感性によって、わたしたちに対象が与えられ、知性によってこの対象が思考されるのである。』

    B29あたり 中山元先生訳『純粋理性批判1』p63より引用

引用返信/返信 削除キー/
■24391 / inTopicNo.14)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/07/05(Tue) 21:28:25)
    2022/07/05(Tue) 21:34:38 編集(投稿者)

    うましかさん、こんばんは!
    No24388のうましかさんのコメント読んで、
    最近読んだ、田中希生(たなか・きお)先生のホームページの日記内の文章を思い出しました。

    https://www.fragment-group.com/kiotanaka/カントの外/

    より抜粋引用します。

    『それにしても、なんと巨大な「敵」であることか。わたしには、ドゥルーズの作品がそうであるように、カントの三批判(『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』)――一見してもっとも芸術作品とはほど遠い作品――が、一個の巨大な芸術作品に見える。この時代を冠絶する怪物的な書物は、わたしの生涯を覆いつづけるに違いない。それは、きわめて絶望に近似した希望である。』
    引用終了。

    私自身は『敵』とは思わないけど、

    『一見してもっとも芸術作品とはほど遠い作品――が、一個の巨大な芸術作品に見える。』

    に関しては、似た感想を持ちます。
    私はまだ全然読めてないので、ごく一部分だけですが、美しくないはず(失礼!!)の文章が、とても美しいもののように感じる時があります。

    まあ、色眼鏡です、か、ね(^^;;

    >2024年がカント生誕300年特集本を堪能できる平穏な世界でありますように
    (´-`).。oO<

    ほんとにそうですね。
    このコメントからは、カントがケーニヒスベルクで生きた人で、そのケーニヒスベルクは、現在ロシア領となってることを思い出しました。(wikiより:ケーニヒスベルク (プロイセン)
    中世後期からプロイセンの中心だった都市、現在のロシア、カリーニングラード)

    https://news.yahoo.co.jp/articles/e7ed689cecf7ca7cc28412f2eb0c475e9e677b09

    お墓も多分、ケーニヒスベルクにあるんじゃないかなぁ。
    みんな平和に暮らせたらどれほど幸せか、と、思います。







引用返信/返信 削除キー/
■24390 / inTopicNo.15)  Re[12]: 超越論的感性論
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/07/05(Tue) 20:07:49)
    お邪魔しま〜す、pipitさま、

    >哲学としては古くなってるのかなぁ。<
    ねえ、これってカント哲学のことを言ってるの?

    わたし「フィロソフィア」に古いも新もないと思ってる。
    そのひとつに、根源とか原初の探究って見てる、その活動をするかどうか、なんじゃないかしら。
    ほら、二ーっチェって、最初、文献から始めたみたいじゃん?

    pipitさまは、まず理解すること、があるみたいだけど、
    わたしのばあい、まず感じること、があるの。

    カント、「二つの幹」って言ってたじゃん?
    ごめん、もう一回そこんとこ書いてもらえません?
    どこかに書き留めて置いたんだけど、探して見たけどどうしても見つからなくて。
    気が向いたときでいいで〜す。







引用返信/返信 削除キー/
■24388 / inTopicNo.16)  深夜の沼に怪しいうましか(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2022/07/05(Tue) 03:21:41)
    こんばんはー

    > ここはカント哲学としては有名な考え方のところですよね。(^_^)

    そうなんですね(;´・ω・)

    > 哲学としては古くなってるのかなぁ。

    どうなんでしょう?
    たしかに昔の人ですが、彼の認識論は、多かれ少なかれ現代の我々のものの考え方の枠として継承されているようにおもうのですが。

    > 現代の哲学界のトレンドなど、全然わからないけど、新しい概念が生まれてるのかな、と、思いました。

    私も現代の哲学界のトレンドは全然分かりませんが、「新しい概念」?には流行り廃りがあるでしょうし、それも哲学史の掘り起こし(再発見)や、再構成によるのじゃないかなーとおもっています。

    > あ、そういえばもうすぐカント生誕300年かも☆彡
    > wiki見てみたら、1724年4月22日 生まれでした。

    そうなんですね!

    2024年がカント生誕300年特集本を堪能できる平穏な世界でありますように
    (´-`).。oO




引用返信/返信 削除キー/
■24384 / inTopicNo.17)  Re[10]: 超越論的感性論 第八項:\−1
□投稿者/ pipit -(2022/07/05(Tue) 00:20:41)
    うましかさん、こんばんは!

    No24381
    >だから、私たちが、私たちの主観を、ないしは感官一般の主観的性質だけでも廃棄すれば、空間と時間とにおける客観の全ての性質、全ての関係が、いや空間と時間すら消滅してしまうはずであり、従ってそれらの性質や関係は、現象として、それ自体そのものとして現存するのではなく、ただ私たちの内にのみ現存し得るに過ぎないということ、このことに他ならない。

    ◇それ自体として、また私たちの感性のこうした全ての受容性から離れて、対象に関する事情がどのようなものであるかは、私たちには全面的に未知のままである。私たちは、対象を知覚する私たちの様式以外には何一つとして知らず、この私たちの様式は、私たちに特有であり、たとえあらゆる人間には帰属するに違いないにせよ、必ずしもあらゆる存在者にも帰属するというわけのものではない。こうした私たちの様式だけを私たちはもっぱら問題とする。<

    ここはカント哲学としては有名な考え方のところですよね。(^_^)
    哲学としては古くなってるのかなぁ。
    現代の哲学界のトレンドなど、全然わからないけど、新しい概念が生まれてるのかな、と、思いました。

    あ、そういえばもうすぐカント生誕300年かも☆彡
    wiki見てみたら、1724年4月22日 生まれでした。

    感性論読解おつかれさまです!

引用返信/返信 削除キー/
■24381 / inTopicNo.18)  超越論的感性論 第八項:\−1
□投稿者/ うましか -(2022/07/04(Mon) 22:50:42)
    2022/07/04(Mon) 22:52:16 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    *******

    T 超越論的原理論
    第一部門 超越論的感性論

    第二節 時間について
     第八項 超越論的感性論のための一般的注解

    ◇ T 先ず、できる限り明らかに説明しておく必要があるのは、感性的認識一般の根本性質に関する私たちの見解がいかなるものであるのかということであるが、これは、その根本性質に対するあらゆる誤解を予め防ぐためである。

    ◇ 私たちが主張してきたことは以下のことである。すなわち、あらゆる私たちの直観は、現象についての表象以外の何ものでもないということ、言い換えれば、私たちが直観する諸物は、それ自体そのものとしては、私たちが諸物をそうだと直観しているそのものでもなければ、またそれらの諸物の諸関係も、それ自体そのものとしては、それらの諸関係が私たちに現象しているとおりの性質のものではないということ、だから、私たちが、私たちの主観を、ないしは感官一般の主観的性質だけでも廃棄すれば、空間と時間とにおける客観の全ての性質、全ての関係が、いや空間と時間すら消滅してしまうはずであり、従ってそれらの性質や関係は、現象として、それ自体そのものとして現存するのではなく、ただ私たちの内にのみ現存し得るに過ぎないということ、このことに他ならない。

    ◇それ自体として、また私たちの感性のこうした全ての受容性から離れて、対象に関する事情がどのようなものであるかは、私たちには全面的に未知のままである。私たちは、対象を知覚する私たちの様式以外には何一つとして知らず、この私たちの様式は、私たちに特有であり、たとえあらゆる人間には帰属するに違いないにせよ、必ずしもあらゆる存在者にも帰属するというわけのものではない。こうした私たちの様式だけを私たちはもっぱら問題とする。


    † 原佑訳上巻、p.173〜p.174参照。他に、石川文康訳上巻、p.96〜p.97、中山元訳1、p.117〜p.118を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。


    *******

    \−1 No.24381
    [−4 No.23865、[−5 No.24101
    [−1 No.23091、[−2 No.23113、[−3 No.23247
    Z−4 No.22690、Z−5 No.23032
    Z−1 No.21262、Z−2 No.21969、Z−3 No.22067
    Y−1 No.20986
    X−4 No.20772
    X−1 No.20568、X−2 No.20578、X−3 No.20699
    W−10 No.20434
    W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434
    第四項 No.20568,20578,20699,20772
    第五項 No.20986
    第六項 No.21262,21969,22067,22690,23032
    第七項 No.23091,23113,23247,23865,24101
    第八項 No.24381


引用返信/返信 削除キー/
■24361 / inTopicNo.19)  Re[22]: 『オブジェクト指向とは?』
□投稿者/ pipit -(2022/07/03(Sun) 20:36:50)
    悪魔ちゃん、こんばんはー

    No24358

    うん (*^▽^*)
引用返信/返信 削除キー/
■24358 / inTopicNo.20)  Re[21]: 『オブジェクト指向とは?』
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/07/03(Sun) 19:54:58)
    お邪魔しま〜す、pipitさま

    ■24329、
    >ただ、物自体云々について、考えることはできる、とは言ってるかも<
    うん、わたしもカントの『純理』、そう見てる。<考えることはできる>って。

    ■24332、
    >このチョコケーキ、うまうまー(喜)は、カントにとっては『認識』でないのかもだね。<
    ■24333、
    >『純粋理性批判』は、科学的認識 的なイメージかもだね<
    こういう見え、わたしのと同じ感じ。







引用返信/返信 削除キー/
■24333 / inTopicNo.21)  Re[20]: 『オブジェクト指向とは?』
□投稿者/ pipit -(2022/07/03(Sun) 17:58:23)
    No24331に返信(アートポットさんの記事)
    > こんばんは、
    >
    > 芥川龍之介みたいに蜘蛛を美しいと言う人もいる。

    あぽちゃん、こんばんはー

    ちょうど、pipitの
    No24332の投稿内容とリンクするね!

    『純粋理性批判』は、科学的認識 的なイメージかもだね!
引用返信/返信 削除キー/
■24332 / inTopicNo.22)  Re[19]: 『オブジェクト指向とは?』
□投稿者/ pipit -(2022/07/03(Sun) 17:56:16)
    カントの場合、認識は、客観的知識みたいにきっちり規定する行為を考えてるかんじだからね。(pipit私見)

    多分やけど、

    このチョコケーキ、うまうまー(喜)

    は、カントにとっては『認識』でないのかもだね。

引用返信/返信 削除キー/
■24331 / inTopicNo.23)  Re[19]: 『オブジェクト指向とは?』
□投稿者/ アートポット -(2022/07/03(Sun) 17:55:10)
    こんばんは、

    芥川龍之介みたいに蜘蛛を美しいと言う人もいる。
引用返信/返信 削除キー/
■24329 / inTopicNo.24)  Re[18]: 『オブジェクト指向とは?』
□投稿者/ pipit -(2022/07/03(Sun) 17:43:14)
    2022/07/03(Sun) 17:50:36 編集(投稿者)

    No24324に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■24311 、ねえpipitさま、
    >
    > カントの「モノ自体」っていうの、どうなってるの?

    悪魔ちゃん、こんばんは!

    多分なんやけど、カントとしては、人間にとって現象としての対象、と、
    人間にとって物自体としての対象、を分けて考えてるんじゃないかな、と、
    私は思ってるんよ。

    形式をここで使ってみたらどうかな?

    現象形式の対象、と、物自体形式の対象。

    とりあえず『純粋理性批判』においては、現象形式の対象しか人間は認識できない、としてるのかも?
    ただ、物自体云々について、考えることはできる、とは言ってるかも。

    だって、『物自体』という術語(ターム)を使用してるもんね。

    悪魔ちゃんが聞きたいことじゃなかった?はずしてたらごめんね!
引用返信/返信 削除キー/

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