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■24324 / inTopicNo.25)  Re[17]: 『オブジェクト指向とは?』
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/07/03(Sun) 17:22:20)
    ■24311 、ねえpipitさま、

    カントの「モノ自体」っていうの、どうなってるの?
引用返信/返信 削除キー/
■24311 / inTopicNo.26)  『オブジェクト指向とは?』の説明文より
□投稿者/ pipit -(2022/07/03(Sun) 10:34:34)
    No24310に返信(pipitさんの記事)
    > 『オブジェクト指向とは?』
    > https://coeteco.jp/articles/10837

    上記に載っている説明を抜粋引用させていただきます。

    『一例として3Dモデルで一つの都市を構築する場合を考えてみましょう。ドライブゲームなどでよく見る風景です。

    オブジェクト指向以前の考え方では、建物や道路やその上を走る自動車などを同じ「モノ」として捉えて区別しない方法、つまり
    四角くて白い物体にいくつかの穴が開いている物体=建物
    幅のある平らなライン=道
    箱に4つの可動性の輪がついている=自動車
    を羅列するような方法がとられていました。

    これに対して、オブジェクト指向ではまず「建物」「道」「自動車」と名前をつけた「モノ」を用意するところから始めます。
    そのあとに、「建物」には「四角い」「コンクリートでできている」「なかは部屋で分かれている」特徴がある、と定義していくのです。』

    ね?ウィトゲンシュタインさんの『対象』もちょっと思い出しません?
    めちゃ勘違いしてたら、すみませーん (^人^)
引用返信/返信 削除キー/
■24310 / inTopicNo.27)  Re[15]: B137読解日記
□投稿者/ pipit -(2022/07/03(Sun) 10:22:01)
引用返信/返信 削除キー/
■24309 / inTopicNo.28)  B137読解日記
□投稿者/ pipit -(2022/07/03(Sun) 10:17:35)
    目の前のホニャララを『カントの本』と理解する。それが知性。

    この時必要な要素は?
    @目に映る映像
    A対象(本)という概念

    @とAの関係性の創造が知性による理解とも言える。
    そして、
    A対象(本)とは今まで与えられた直観から吸い出された様々なブロックからの統一概念

    なんにしろまとめるという作業が必要される。


    英訳の『object』についてアレコレ考えながら、
    みのりさんのウィトゲンシュタインさんの記事で見た『対象』や、
    No24103

    プログラミング用語の『オブジェクト指向』という言葉を思い出していました。
引用返信/返信 削除キー/
■24307 / inTopicNo.29)  Re[13]: 根性の演繹論読解チャレンジ
□投稿者/ pipit -(2022/07/03(Sun) 09:09:49)
    2022/07/03(Sun) 09:36:18 編集(投稿者)

    とりあえず

    No24306 の英訳文の 、、、DeepLさま機械翻訳を (・∀・)ヲヲヲ
    ※( )はpipitが翻訳文に追加入力したものです。

    理解とは、一般的に言えば、認知の能力である。これらは与えられた表現(given representation)と対象(an object)との 決定された関係で成り立っています。しかし、対象(an object)とは、与えられた直観の中の多様なものが統合されるような概念(the conception)である。さて、表象のすべての結合(all union of representations)は、それらの合成における意識の統一を必要とする。したがって、意識の統一だけが、表象が対象に関係する可能性(the possibility of representations relating to an object)、したがって、その客観的妥当性(their objective validity)、認知になる可能性(their becoming cognitions)、ひいては、理解そのものの存在の可能性(the existence of the understanding itself)を構成する(constitutes)のである。

    日記
    it is the unity of consciousness alone that 【constitutes】 the possibility of 、、、

    constitutes語源
    『constituteの意味は「構成する」で、語源はcom(強調)とstatuere(建てる)に由来します。同義語はmake upです。』
    https://eng-etymo.com/archives/4544

    ♪Your Hero
    https://youtu.be/x7Qer1TxrkE

    ( ^ω^ )♪ がんばろー

引用返信/返信 削除キー/
■24306 / inTopicNo.30)  根性の演繹論読解チャレンジ
□投稿者/ pipit -(2022/07/03(Sun) 09:02:35)
    みなさま、おはようございます

    こんじょおー |( ̄3 ̄)|

    Understanding is, to speak generally, the faculty Of cognitions. These consist in the determined relation of given representation to an object. But an object is that, in the conception of which the manifold in a given intuition is united. Now all union of representations requires unity of consciousness in the synthesis of them. Consequently, it is the unity of consciousness alone that constitutes the possibility of representations relating to an object, and therefore of their objective validity, and of their becoming cognitions, and consequently, the possibility of the existence of the understanding itself.

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap43

    続きはここから!
    カント通例番号 B137
    中山元先生独自段落番号148
引用返信/返信 削除キー/
■24110 / inTopicNo.31)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/06/23(Thu) 21:07:20)
    2022/06/23(Thu) 21:07:50 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんばんはー(^○^)

    No24105に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > お邪魔しま〜す。
    >
    > カントってさ〜、「感性」って”神秘的”って思ってたんじゃないかしら?
    >
    > 「時間空間」は物理学から導き出されてて、それを「感性」に当てはめて見たんじゃないかしら?(わたしから見たら、無理があるけどね)<


    カントは、直観の生じる形式が時間空間と言ってると思ってるんだけど、

    直観(感性) と 概念(知性) に依存して 物理学 が生じる。

    で、物理学から遡って考えたんじゃないか、と悪魔ちゃんは言ってるのかな?と思ったよ。



    > 「感性」そのものを見ようとしてるんじゃなくて、「物理学(科学)」から「感性」を見ようとしてた、わたしこんな感じにも見れるんだけど。<


    私は、カントは自分の感性を実際にかなり詳細に観察したんじゃないかと思ってるんだよね。


    > だから、物理学における「時間空間」の概念を知ることをした方がカントのへより近づけるんじゃないかしら?
    > ひょっとしたら、彼の、<沼>じゃなくなるかもよ。<

    うん、沼と思い過ぎてる可能性もあるよね。
    でも、読んでて、本当???となるんだよね。

    不思議だなぁ。理解したいと思ってしまうんだよね。

    悪魔ちゃんは、メルポンさん、わかる(同意)、わかる(同意)、って感じで読んでるの?
    それとも、新しい視点を提示してくれる哲学者として読んでるの?
引用返信/返信 削除キー/
■24105 / inTopicNo.32)  カントの「感性論」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/06/23(Thu) 18:43:29)
    お邪魔しま〜す。

    カントってさ〜、「感性」って”神秘的”って思ってたんじゃないかしら?

    「時間空間」は物理学から導き出されてて、それを「感性」に当てはめて見たんじゃないかしら?(わたしから見たら、無理があるけどね)

    「感性」そのものを見ようとしてるんじゃなくて、「物理学(科学)」から「感性」を見ようとしてた、わたしこんな感じにも見れるんだけど。

    だから、物理学における「時間空間」の概念を知ることをした方がカントのへより近づけるんじゃないかしら?
    ひょっとしたら、彼の、<沼>じゃなくなるかもよ。



引用返信/返信 削除キー/
■24104 / inTopicNo.33)  Re[9]: 超越論的感性論 第七項:[−5
□投稿者/ pipit -(2022/06/23(Thu) 16:34:16)
    うましかさん、こんにちは!(^O^)
    本当蒸し暑いので、うましかさんもみんなも体調崩されませんように☆彡

    No24101
    >◇最後に、超越論的感性論が、これら二つの要素、すなわち、空間と時間以上には何ものをも含まないということは、感性に属するその他全ての概念が、空間と時間という両要素を結合する運動の概念ですら、何か経験的なものを前提とするということから明瞭である。なぜなら、運動は何か運動するものについての知覚を前提とするからである。<

    そうかぁ、空間と時間だけ。。。 

    > 空間と時間という両要素を結合する運動の概念<

    という言い方、おもしろいです。


    >◇しかし、それ自体そのものとして考察された空間のうちには、何一つとして運動するものは無い。だから運動するものは、経験を通じてのみ空間のうちに〔was im Raume nur durch Erfhrung〕′ゥ出される或るもの、従って一つの経験的与件とならざるを得ない。<

    運動は、経験と共にあるもの。


    >◇同様に、超越論的感性論は、変化の概念を己のア・プリオリな与件の内に数えることはできない。なぜなら、時間自身は変化せず、変化するのは時間の内にある或るものだからである。<

    時間の内にあるものだけが変化する。

    、、、空間はまだイメージしやすいけど、時間のイメージが難しいなぁ。
    現れる『場』かなぁ、っていうか、『心』って感じなのかなぁ。


    >それ故、そのためには何らかの現存在についての、だからその諸規定の継起についての知覚が、従って経験が、必要である〔*1〕

    *1 石川訳ではこうなる。「それゆえ、変化には何か物が現存するという知覚と、その現存するものの諸規定が継起するという知覚が、したがって経験が必要である。」<

    12★456789

    12345★789

    ★23456789

    感性論に動きを入れないなんて。。。

    カントの『概念のない直観は盲目』という文章を思い出しました(^_^;)

    書き込みありがとうございます
    o(^▽^)o
引用返信/返信 削除キー/
■24101 / inTopicNo.34)  超越論的感性論 第七項:[−5
□投稿者/ うましか -(2022/06/22(Wed) 22:53:27)
    2022/06/22(Wed) 22:56:06 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    ここのところ蒸し暑いですね(´;ω;`)ウッ…

    私の周囲は具合のわるい人が続出です、

    pipitさん、お互い体調くずさないように気をつけましょうね〜


    *******

    T 超越論的原理論
    第一部門 超越論的感性論

    第二節 時間について
     第七項 解明

    ◇彼らがこれら両者〔空間と時間〕を内属的なものとして想定する第二の立場(これは幾人かの形而上学的自然論者が採る立場である)を採り、空間と時間とを、経験から抽象された、もっともこの抽象のために混乱して表象されたところの、諸現象の諸関係(並存的ないしは継続的)とみなすなら、彼らは現実的な諸物(例えば空間の内にある)に関するア・プリオリな数学上の諸学説に、その妥当性を、少なくとも確然的な確実性を拒否せざるを得なくなる。〔というのも〕それは、この確然的な確実性はア・ポステリオリには全然生ずることなく、だから空間と時間というア・プリオリな概念は、これらの人々の私見によれば、単に構想力〔Einbildungskaraft〕の作り物になるわけであって、このもの〔構想力〕の源泉は、実際は経験に求められざるを得ず、この経験の抽象された諸関係に基づいて、構想〔Einbildung〕は、なるほどそれらの諸関係の一般的なものを含んではいるものの、自然がそれらの諸関係と結びつけておいた制限抜きでは生じ得ない或るものを作りあげてしまったからである。
    第一の立場を採る人々は、彼らが数学的な諸主張のために現象の分野を開放するというだけの有利さは持っている。これに反して彼らは、悟性がこの分野を越え出てゆこうとする時には、まさにこうした諸条件によって甚だしい困惑に陥る。
    第二の立場を採る人々は、なるほどこの最後の点に関しては、つまり、空間と時間という表象は、彼らが対象について、現象としてではなく、単に悟性との関係において、判断しようとする時、彼らに障害とならないという点に関しては、有利ではある。しかし、ア・プリオリな数学的認識の可能性については、(彼らにはア・プリオリな真の客観的に妥当する直観が欠けていることによって)その根拠を指示することできなければ、諸経験命題を数学的な諸主張と必然的に一致させることもできない。
    感性のこれらの二つの根源的な形式の真の性質に関する私たちの理論においては、こうした二つの難点は除去されている。

    --- No.23865 からの続き ---

    ◇最後に、超越論的感性論が、これら二つの要素、すなわち、空間と時間以上には何ものをも含まないということは、感性に属するその他全ての概念が、空間と時間という両要素を結合する運動の概念ですら、何か経験的なものを前提とするということから明瞭である。なぜなら、運動は何か運動するものについての知覚を前提とするからである。

    ◇しかし、それ自体そのものとして考察された空間のうちには、何一つとして運動するものは無い。だから運動するものは、経験を通じてのみ空間のうちに〔was im Raume nur durch Erfhrung〕′ゥ出される或るもの、従って一つの経験的与件とならざるを得ない。

    ◇同様に、超越論的感性論は、変化の概念を己のア・プリオリな与件の内に数えることはできない。なぜなら、時間自身は変化せず、変化するのは時間の内にある或るものだからである。それ故、そのためには何らかの現存在についての、だからその諸規定の継起についての知覚が、従って経験が、必要である〔*1〕

    *1 石川訳ではこうなる。「それゆえ、変化には何か物が現存するという知覚と、その現存するものの諸規定が継起するという知覚が、したがって経験が必要である。」


    † 原佑訳上巻、p.173参照。他に、石川文康訳上巻、p.95〜p.96、中山元訳1、p.115〜p.116を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。


    *******

    [−4 No.23865、[−5 No.24101
    [−1 No.23091、[−2 No.23113、[−3 No.23247
    Z−4 No.22690、Z−5 No.23032
    Z−1 No.21262、Z−2 No.21969、Z−3 No.22067
    Y−1 No.20986
    X−4 No.20772
    X−1 No.20568、X−2 No.20578、X−3 No.20699
    W−10 No.20434
    W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434
    第四項 No.20568,20578,20699,20772
    第五項 No.20986
    第六項 No.21262,21969,22067,22690,23032
    第七項 No.23091,23113,23247,23865,24101

引用返信/返信 削除キー/
■24064 / inTopicNo.35)  日記・演繹論続き
□投稿者/ pipit -(2022/06/21(Tue) 00:29:01)
    No23789に返信(pipitさんの記事)
    >>自信ないのですが、、、
    >>pipit日訳↓
    >>
    >>意識はいわば複合体である。
    >>意識の統一は総合的であるにもかかわらず、根源的である。  
    >>この意識の特異な性格から、たくさんの重要な帰結が導かれる。(§21を参照)
    >>
    >>=========
    >>
    >>それで、§21を見てみたら、、、ものすごく沼予感で、、、
    >>
    >>どうしようかな、§21を先に見ていくか、§21は置いといて、読み進めるか。。。
    >>
    > みなさま、こんばんは。
    > §21は後回しにして、そのまま続きを読んでいこうと思います。<

    大沼、と入力しようと思ったら、大泣きが最初入力されてしまいました。。。

    きょーふの?演繹論! 読むぞーと思うけど、もうちょっと待っててね、カントせんせい!

引用返信/返信 削除キー/
■23870 / inTopicNo.36)  Re[8]: 超越論的感性論 第七項:[−4
□投稿者/ pipit -(2022/06/12(Sun) 07:18:02)
    2022/06/12(Sun) 07:24:43 編集(投稿者)

    うましかさん、おはようございます
    (^_^)

    No23865
    > ◇したがって時間と空間は二つの認識源泉〔zwei Erkenntnisquellen〕であり、そこから様々な綜合的認識がア・プリオリに汲み取られ得るのであるが、<

    今さらながらの感想なのですが、『zwei 』【2】が使われてるんだなーと、思いました。

    > ◇ 〔というのも〕それは、この確然的な確実性はア・ポステリオリには全然生ずることなく、だから空間と時間というア・プリオリな概念は、これらの人々の私見によれば、単に構想力〔Einbildungskaraft〕の作り物になるわけであって、このもの〔*1〕の源泉は、実際は経験に求められざるを得ず、この経験の抽象された諸関係に基づいて、構想〔Einbildung〕は、なるほどそれらの諸関係の一般的なものを含んではいるものの、自然がそれらの諸関係と結びつけておいた制限抜きでは生じ得ない或るものを作りあげてしまったからである。
    >
    >  *1 中山元訳1、p.114ではこう訳される。「そもそも想像力の源泉は、現実には経験のうちに求めねばならない。」<

    中山先生の訳を載せていただいて、助かりました!

    前半の

    > これらの人々の私見によれば、単に構想力〔Einbildungskaraft〕の作り物になるわけであって、<

    を読んで、あや?カントも似たものじゃないの?
    と思ったけど、中山先生訳を読んで、カントが言いたかったのは、経験から想像する時空間のような基礎では数学は、ふにゃふにゃの多分の学にしかならない、ということかな、と思いました。
    カント初版的には、構想力から経験される時空間、というように、順序が反対になるかもな、とも思いました。

    > ◇ 感性のこれらの二つの根源的な形式の真の性質に関する私たちの理論においては、こうした二つの難点は除去されている。
    >

    私などは、カントというと、どうしても観念論的な印象が強くなってしまうのですが、
    カントとしては、経験的実在性への自分の主張を無視されがち、と、出版当初は特に感じたかもしれないなぁと思いました。

    うましかさん、投稿ありがとうございます

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