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■23869 / inTopicNo.37)  Re[8]: 超越論的感性論 第七項:[−4
  
□投稿者/ pipit -(2022/06/11(Sat) 23:39:21)
    うましかさん、こんばんは!

    No23865
    > やっと、感性論本文の続きに戻ってきたー(;´Д`A ```<

    わーい、明日ゆっくり読ませていただきますね!
    ((o(^∇^)o))

    カント沼、、、すごく足をとられて、、、サクサク進めないので、、、、

    沼なので、、、、

    今日はおやすみなさいですー
    (^ ^)おつかれさまです!
引用返信/返信 削除キー/
■23868 / inTopicNo.38)  one
□投稿者/ pipit -(2022/06/11(Sat) 23:38:31)
    みなさま、こんにちは(^_^)

    No23849
    > they are many representations contained in one, the consciousness of which is, so to speak, compounded.
    >
    > たくさんの表象が一つの中にあり、その表象の意識は複合的、ということかな!
    > フローラさんのアドバイスのおかげで、今、そのように思えました。<

    この『in one』の1は、時間や空間のことか、統覚意識のことか、どっちかなー、と思ってたのですが、

    うましかさんが投稿してくださった
    No23859の中で、

    >・空間は、そもそも概念ではなく純粋直観である。
    ・私たちは様々な空間を意識するが、どの空間も「一つの空間」の中の一部分として表象する。
    ・その「一つの(一なる)空間」に私たちは直接関係しているから、空間は直観である。<

    を読んで、やっぱり時空のことかなーと思ったり。

    ※※※※ちなみに
    >・そうした「一つの(一なる)空間」は「与えられた無限の量」として表象される。
    ・私たちに外的表象が与えられるとき、それとともに空間がその形式として与えられる。空間はまさに純粋直観である。<
    で、pipitは、仏教の記述で出てくる、空無辺処定を思い出します。※※※※

    そんなこんなで、中山先生の訳を見てみると、[]は中山先生の補注で、

    『、直観の場合には、多数の像が[直観する主体のもつ空間と時間という]一つの像とその意識のうちに含まれているのであり、いわば総括されているのである。』
    B136
    中山元先生訳本第二巻p124、中山先生独自番号147n

    とあり、中山先生は、一は空間の一、時間の一、なのかなーと思ったり、またどんでん返しあるかなーと思ったり。

    すごくややこしいのですが、カントの思索と共に、自らの認識もかえりみれたらいいな、と、なんとか読み進めたらいいな、と、今のところ思ってます。

    うましかさんまとめの
    No23863
    >例)他のなにものとの関係無しに「東京スカイツリー」そのものに即してそれだけで(物自体として)考える
       → どこかにはあることは可能だが、そのどこかはどこでもよい。… 観念としてのみ私たちが意識している空間。空間の超越論的(経験的の対義後として)観念性<

    の箇所なんか、みのりさんの白猫様トピでの、ウィトさん『無色』記事を想起しちゃうなー。
    ウィトさん好きにはしかられるかもだけど。
引用返信/返信 削除キー/
■23865 / inTopicNo.39)  超越論的感性論 第七項:[−4
□投稿者/ うましか -(2022/06/11(Sat) 20:38:28)
    2022/06/11(Sat) 20:50:49 編集(投稿者)

    やっと、感性論本文の続きに戻ってきたー(;´Д`A ```

    *******

    T 超越論的原理論
    第一部門 超越論的感性論

    第二節 時間について
     第七項 解明

    ◇したがって時間と空間は二つの認識源泉〔zwei Erkenntnisquellen〕であり、そこから様々な綜合的認識がア・プリオリに汲み取られ得るのであるが、とりわけ純粋数学が空間とその諸関係についての認識に関して、一つの輝かしい実例を示している。すなわち、時間と空間は、両者合わせて全ての感性的直観の純粋形式であり、だからこのことによってア・プリオリな諸綜合的命題を可能ならしめる。
    しかし、これらのア・プリオリな認識源泉はまさに次のこと(それらが単に感性の条件であるということ)によってその限界〔Grenzen〕を設定される。すなわち、それは時間と空間とが、現象として考察される限りでの諸対象にのみ関わり、諸物自体そのものを描出しないということである。現象だけが時間と空間の妥当性の分野であって、その分野からは、人がそこを越え出ていくなら、もはやそれらのいかなる客観的使用も生じない。
    いずれにしても、空間と時間とのこうした実在性は、経験認識〔Erfahrungskenntnis〕の確実性を侵すものではない。なぜなら私たちは、空間と時間というこれらの形式が諸物自体そのものに結びついているにせよ、これらの諸物の私たちの直観にだけ必然的に結びついているにせよ、同じく経験認識を確信しているからである。
    これに反して、空間と時間との絶対的実在性を主張する人々は、たとえ彼らがこれら両者を基体的なものとして想定するにせよ、或いは内属的なものとしてのみ想定するにせよ、経験自身の諸原理と一致しなくならざるを得ない。
    なぜなら、彼らがこれら両者を基体的なものとして想定する第一の立場(これは一般に数学的自然探究者がとる立場である)を採ることに決めれば、彼らは、永遠無限な独立して存立する二つの不可解なもの(空間と時間)を想定せざるを得ず、これらの不可解なものは(なんとしても現実的なものであるということ無しに)全ての現実的なものをそれ自身の内に包括するためにのみ現存することになるからである。

    --- No.23247 からの続き ---

    ◇彼らがこれら両者〔空間と時間〕を内属的なものとして想定する第二の立場(これは幾人かの形而上学的自然論者が採る立場である)を採り、空間と時間とを、経験から抽象された、もっともこの抽象のために混乱して表象されたところの、諸現象の諸関係(並存的ないしは継続的)とみなすなら、彼らは現実的な諸物(例えば空間の内にある)に関するア・プリオリな数学上の諸学説に、その妥当性を、少なくとも確然的な確実性を拒否せざるを得なくなる。

    ◇ 〔というのも〕それは、この確然的な確実性はア・ポステリオリには全然生ずることなく、だから空間と時間というア・プリオリな概念は、これらの人々の私見によれば、単に構想力〔Einbildungskaraft〕の作り物になるわけであって、このもの〔*1〕の源泉は、実際は経験に求められざるを得ず、この経験の抽象された諸関係に基づいて、構想〔Einbildung〕は、なるほどそれらの諸関係の一般的なものを含んではいるものの、自然がそれらの諸関係と結びつけておいた制限抜きでは生じ得ない或るものを作りあげてしまったからである。

     *1 中山元訳1、p.114ではこう訳される。「そもそも想像力の源泉は、現実には経験のうちに求めねばならない。」

    ◇ 第一の立場を採る人々は、彼らが数学的な諸主張のために現象の分野を開放するというだけの有利さは持っている。これに反して彼らは、悟性がこの分野を越え出てゆこうとする時には、まさにこうした諸条件によって甚だしい困惑に陥る。

    ◇ 第二の立場を採る人々は、なるほどこの最後の点に関しては、つまり、空間と時間という表象は、彼らが対象について、現象としてではなく、単に悟性との関係において、判断しようとする時、彼らに障害とならないという点に関しては、有利ではある。しかし、ア・プリオリな数学的認識の可能性については、(彼らにはア・プリオリな真の客観的に妥当する直観が欠けていることによって)その根拠を指示することできなければ、諸経験命題を数学的な諸主張と必然的に一致させることもできない。

    ◇ 感性のこれらの二つの根源的な形式の真の性質に関する私たちの理論においては、こうした二つの難点は除去されている。


    † 原佑訳上巻、p.171〜p.172参照。他に、石川文康訳上巻、p.94〜p.95、中山元訳1、p.112〜p.115を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。


    *******

    [−4 No.23865
    [−1 No.23091、[−2 No.23113、[−3 No.23247
    Z−4 No.22690、Z−5 No.23032
    Z−1 No.21262、Z−2 No.21969、Z−3 No.22067
    Y−1 No.20986
    X−4 No.20772
    X−1 No.20568、X−2 No.20578、X−3 No.20699
    W−10 No.20434
    W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434
    第四項 No.20568,20578,20699,20772
    第五項 No.20986
    第六項 No.21262,21969,22067,22690,23032
    第七項 No.23091,23113,23247,23865

引用返信/返信 削除キー/
■23863 / inTopicNo.40)  御子柴善之泉:超越論的感性論 解説10
□投稿者/ うましか -(2022/06/11(Sat) 19:24:37)
    2022/06/12(Sun) 09:55:00 編集(投稿者)
    2022/06/11(Sat) 19:25:30 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っス!(`・ω・´)ゞ

    *******

    御子柴善之『カント 純粋理性批判』角川選書(シリーズ◆世界の思想)

    https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000036/

    p.84〜p.106、「第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論」を読んでいます(・∀・)


    -------

    ◆第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論
     ※以下■=内容の見出し(本文では〈〉で表示)

    ■感性論と美学
    ■直観と感性
    ■感覚と現象
    ■現象と形式 − それを取り出す手順
    ■外的感官と内的感官


    ■空間とはなにかを究明する

    ・空間は私たちが自分の外にある様々な物を経験したことから抽象した経験的な概念ではない。
     → なぜなら、私たちはどのような外的経験においても、既に空間を根拠にしているから。

    ・空間はア・プリオリで必然的な表象である。
     → なぜなら、空間無しにいかなる外的現象もあり得ないから。

    ・空間は、そもそも概念ではなく純粋直観である。
    ・私たちは様々な空間を意識するが、どの空間も「一つの空間」の中の一部分として表象する。
    ・その「一つの(一なる)空間」に私たちは直接関係しているから、空間は直観である。

    ・そうした「一つの(一なる)空間」は「与えられた無限の量」として表象される。
    ・私たちに外的表象が与えられるとき、それとともに空間がその形式として与えられる。空間はまさに純粋直観である。

    ・私たちは日常、空間をア・プリオリな純粋直観などとは考えていない。
    ・だが、そう考えないと成立しない学問がある。それが幾何学。←数学でのア・プリオリな総合的判断

     例)「三角形の内角の総和は二直角である」という認識

    ・この認識を得るために私たちは三角形を描くが、経験的な直観では三辺をなす直線が曲がっていたりと、実にいいかげんである。

    ・幾何学が行えるのは、純粋直観を根拠において、そこに三角形を描き出すから。

    ■空間の理解から帰結すること

    ・カントは、空間を純粋直観として、また現象の形式として理解した。→私たちの普段の視点からの変更

    ・普段の私たちの視点 …

     例)自分の周りに自分と無関係に空間が広がっている
     例)自分と物とのあいだや物と物とのあいだに空間が広がっている

    ・これに対してカントは、「空間は私たちの認識主観の能力である感性の形式」だと理解した。

    ・以上の理解から、帰結する二つのこと

     @ 空間は、決して何らかの物自体の性質や相互関係にある物自体を表象するものではない。空間は、対象そのものに付着しているような物自体の規定ではない。というのは、物自体が存在するのに先行しては、そうした規定(空間)は直観されえないから。

     A 空間は、外的感官のすべての諸現象のたんなる形式である。それは感性の主観的な条件であり、その下でのみ私たちに外的直観は可能である。
     → ニュートンの「絶対空間」論に対するカントの否定。… ニュートンはその中で運動する物体と無関係に、絶対的に実在するものとして空間を考えた。これなら絶対的な空間はア・プリオリなものとして理解できるが、そんな絶対空間はどのようにしてあるのか?(躓きの問い)


    【うましかメモ】
    (感性の主観的な条件「空間」a) 感性   →   対象(物自体に付着した「空間」b) 
     カントは「空間」をbのようなものではなく、aだと考えた(;´・ω・)?


    ・「諸対象によって触発される」という主観性の受容性は、必然な仕方でこのあらゆる客観のあらゆる直観に先行する。よって、

    ・「あらゆる現象の形式が、あらゆる現実の知覚に先立って(ア・プリオリに)、こころに与えられる」仕方、
    ・「あらゆる現象の形式が、その中ですべての対象を規定されねばならない純粋直観として、あらゆる経験に先立って諸対象の関係の原理を含む」仕方

    が理解できる。


    ■空間の経験的実在性と超越論的観念性

    ・カントの説明ならば、空間は、たんなる経験的なものとして「貶められる」ことも、絶対的な空間として「観念的に祭り上げられる」こともない。

    ・空間は外的現象において感じられるとき実在していて客観的に語ることができる。

     例)「東京スカイツリーが建設されたのは東京都墨田区である」と認識する
       → このとき空間は経験的かつ実在的。… 空間の経験的実在性

     例)他のなにものとの関係無しに「東京スカイツリー」そのものに即してそれだけで(物自体として)考える
       → どこかにはあることは可能だが、そのどこかはどこでもよい。… 観念としてのみ私たちが意識している空間。空間の超越論的(経験的の対義語として)観念性


    ■時間とはなにかを究明する
    ■時間の理解から帰結すること
    ■時間の経験的実在性と超越論的観念性

    ■感性的認識一般の根本性質

    -------

    No.23249,23251,23262,23285,23322,23343,23472,23576,23859,23863
引用返信/返信 削除キー/
■23859 / inTopicNo.41)  御子柴善之泉:超越論的感性論 解説9
□投稿者/ うましか -(2022/06/11(Sat) 13:14:11)
    2022/06/11(Sat) 13:16:05 編集(投稿者)

    pipitさん、こんにちはー

    *******

    御子柴善之『カント 純粋理性批判』角川選書(シリーズ◆世界の思想)

    https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000036/

    p.84〜p.106、「第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論」を読んでいます(・∀・)


    -------

    ◆第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論
     ※以下■=内容の見出し(本文では〈〉で表示)

    ■感性論と美学
    ■直観と感性
    ■感覚と現象
    ■現象と形式 − それを取り出す手順
    ■外的感官と内的感官


    ■空間とはなにかを究明する

    ・空間は私たちが自分の外にある様々な物を経験したことから抽象した経験的な概念ではない。
     → なぜなら、私たちはどのような外的経験においても、既に空間を根拠にしているから。

    ・空間はア・プリオリで必然的な表象である。
     → なぜなら、空間無しにいかなる外的現象もあり得ないから。

    ・空間は、そもそも概念ではなく純粋直観である。
    ・私たちは様々な空間を意識するが、どの空間も「一つの空間」の中の一部分として表象する。
    ・その「一つの(一なる)空間」に私たちは直接関係しているから、空間は直観である。

    ・そうした「一つの(一なる)空間」は「与えられた無限の量」として表象される。
    ・私たちに外的表象が与えられるとき、それとともに空間がその形式として与えられる。空間はまさに純粋直観である。

    ・私たちは日常、空間をア・プリオリな純粋直観などとは考えていない。
    ・だが、そう考えないと成立しない学問がある。それが幾何学。←数学でのア・プリオリな総合的判断

     例)「三角形の内角の総和は二直角である」という認識

    ・この認識を得るために私たちは三角形を描くが、経験的な直観では三辺をなす直線が曲がっていたりと、実にいいかげんである。

    ・幾何学が行えるのは、純粋直観を根拠において、そこに三角形を描き出すから。

    ■空間の理解から帰結すること

    ・カントは、空間を純粋直観として、また現象の形式として理解した。→私たちの普段の視点からの変更

    ・普段の私たちの視点 …

     例)自分の周りに自分と無関係に空間が広がっている
     例)自分と物とのあいだや物と物とのあいだに空間が広がっている

    ・これに対してカントは、「空間は私たちの認識主観の能力である感性の形式」だと理解した。

    ・以上の理解から、帰結する二つのこと

     @ 空間は、決して何らかの物自体の性質や相互関係にある物自体を表象するものではない。空間は、対象そのものに付着しているような物自体の規定ではない。というのは、物自体が存在するのに先行しては、そうした規定(空間)は直観されえないから。

     A 空間は、外的感官のすべての諸現象のたんなる形式である。それは感性の主観的な条件であり、その下でのみ私たちに外的直観は可能である。
     → ニュートンの「絶対空間」論に対するカントの否定。… ニュートンはその中で運動する物体と無関係に、絶対的に実在するものとして空間を考えた。これなら絶対的な空間はア・プリオリなものとして理解できるが、そんな絶対空間はどのようにしてあるのか?(躓きの問い)


    【うましかメモ】
    (感性の主観的な条件「空間」a) 感性   →   対象(物自体に付着した「空間」b) 
    カントは「空間」をbのようなものではなく、aだと考えた(;´・ω・)?


    ・「諸対象によって触発される」という主観性の受容性は、必然な仕方でこのあらゆる客観のあらゆる直観に先行する。よって、

    ・「あらゆる現象の形式が、あらゆる現実の知覚に先立って(ア・プリオリに)、こころに与えられる」仕方、
    ・「あらゆる現象の形式が、その中ですべての対象を規定されねばならない純粋直観として、あらゆる経験に先立って諸対象の関係の原理を含む」仕方

    が理解できる。



    ■空間の経験的実在性と超越論的観念性


    ■時間とはなにかを究明する
    ■時間の理解から帰結すること
    ■時間の経験的実在性と超越論的観念性

    ■感性的認識一般の根本性質

    -------

    No.23249,23251,23262,23285,23322,23343,23472,23576,23859


引用返信/返信 削除キー/
■23850 / inTopicNo.42)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/06/10(Fri) 20:26:26)
    表象を、対象と考えてもいいかもだね。
    みのりさんの白猫様トピのウィトさん記事とかも気になるなー
    (みのりさん、楽しみに読ませていただいています!)
引用返信/返信 削除キー/
■23849 / inTopicNo.43)  フローラさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/06/10(Fri) 20:16:56)
    フローラさん、こんにちは、お久しぶりです!

    No23847
    > which = many representations contained in one
    >
    > じゃないですか?<

    おお!

    they are many representations contained in one, the consciousness of which is, so to speak, compounded.

    たくさんの表象が一つの中にあり、その表象の意識は複合的、ということかな!
    フローラさんのアドバイスのおかげで、今、そのように思えました。

    私の中で、話がつながっていく予感がしています。

    アドバイスいただいて、うれしいです
    ありがとうございます
    (*^◯^*)




引用返信/返信 削除キー/
■23847 / inTopicNo.44)  Re[17]: 日記
□投稿者/ flora -(2022/06/10(Fri) 19:49:40)
    No23775に返信(pipitさんの記事)
    > which が何を指してるのかも、ちゃんとわからないなぁ。
    >
    > 時間,空間の意識、ってことかなぁ
    >
    > 時間の意識の統合は、複合的、合成的、総合的でありながら、根源的である。
    > 空間の意識の統合は、(同)。
    >
    > 全然違うかもだなぁ 
    > 。゚(゚´ω`゚)゚。

    ====================

    こんにちは〜 哲学はわかりませんが〜

    which = many representations contained in one

    じゃないですか?
引用返信/返信 削除キー/
■23830 / inTopicNo.45)  温泉日記
□投稿者/ pipit -(2022/06/09(Thu) 21:17:20)
    先日もっのすごく久しぶりに近所の温泉に行った。
    けっこう人がいたよ。

    露天風呂があるんだけど、漫画とか映画の『テルマエ・ロマエ』思い出したよ。

    お日様の当たっている水は、光の模様がおもしろいよ

    あみあみ

引用返信/返信 削除キー/
■23791 / inTopicNo.46)  カントの文章の引用
□投稿者/ pipit -(2022/06/08(Wed) 08:27:24)
    2022/06/08(Wed) 08:31:58 編集(投稿者)
    2022/06/08(Wed) 08:29:27 編集(投稿者)

    No23781
    (過去に投稿したpipitの読書感想文↓)
    >>時間の意識の統合は、複合的、合成的、総合的でありながら、根源的である。
    >>空間の意識の統合は、(同)。
    >>
    > 時間は感性的内官の形式、
    > 空間は感性的外官の形式、だから、
    > その意識、となると、認識の素材となる意識全部、ってことかな。
    >
    > そしてその意識たちを統括する働きが、自己統合の意識、かな。
    > その純粋(経験前)統合意識が、複合的でありながら、根源的(認識の源泉)な働きということかな。
    > 違うかもだけど。<

    ===============
    みなさま、おはようございます。
    上記投稿内容に関係するとpipitが思っているカントの文章を引用します。


    『純粋理性批判2』カント、中山元先生訳、p123より引用[ ]は中山元先生の注釈。

    (カントの文章)
    『超越論的な感性論が明らかにしたところでは、〈感性〉による直観が可能であるための最高の原則は、直観に含まれるすべての多様なものが、空間と時間という形式的な条件にしたがうということだった[これが第一の原則である]。
    そして〈知性〉に関するすべての直観が可能であるための最高の原則は、直観に含まれるすべての多様なものが、自己統合の意識の根源的で総合的な統一の条件にしたがうということである[これが第二の原則である](注)。
     直観に含まれるすべての多様なものの像は、それがわたしたちに与えられるという意味では、この第一の原則にしたがうのであり、それが一つの意識において結合されることができるという意味では、この第二の原則にしたがわねばならない。この結合なしでは何ものも考えることも、認識することもできない。というのも、[この結合なしでは]与えられた像は、〈わたしは考える〉という自己統合の意識の働きにまったく与(あず)かることがないし、その働きによって一つの自己意識のうちで総括されることがないからである。』
    引用終了

    ==============

    『純粋理性批判』B137です。
    上記引用箇所が含まれる節にカントがつけた節タイトルは、
    『§ 17 Der Grundsatz der synthetischen Einheit der Apperzeption ist das oberste Prinzip alles Verstandesgebrauchs』
    https://www.gutenberg.org/cache/epub/6343/pg6343.html.utf8

    タイトルをDeepL翻訳してもらうと、

    『§ 第17条 認識の合成的統一の原理は、理解のすべての使用の至高の原理である。』

    中山元先生訳は、
    『自己統合の意識の総合的な統一の原則は、知性の利用のための最高原理である。』

    御子柴善之先生は、、、『、各§の表題ときわめてかんたんな内容を記します。』とあったので(カント純粋理性批判、p195)、その箇所を引用します。

    『§17「統覚の総合的統一の原則が、すべての悟性使用の最上原理である」
    (御子柴先生の説明↓)
    この節では、人間の悟性が「直観的悟性」ではないことを確認し、人間の悟性は、「私は考える」という統覚の総合的統一の働きがなくては不可能であることが明らかにされます。意識の統一なくして悟性の可能性なし、なのです。』

    演繹論読解、大変だなー 
    ( ;∀;)

    、、、とばそうかなぁ。。。。。。。
    でも演繹論やっぱり一度は読み通してみたいな。
引用返信/返信 削除キー/
■23790 / inTopicNo.47)  カント的超越論的演繹論
□投稿者/ pipit -(2022/06/07(Tue) 23:55:04)
    いやだ。。。もう。。。演繹論。。。。。。

    _(:3 」∠)_
引用返信/返信 削除キー/
■23789 / inTopicNo.48)  続き
□投稿者/ pipit -(2022/06/07(Tue) 23:50:38)
    No23773に返信(pipitさんの記事)
    > 2022/06/06(Mon) 22:01:38 編集(投稿者)
    >
    > the consciousness of which is, so to speak, compounded.
    > The unity of consciousness is nevertheless synthetical and, therefore, primitive. From this peculiar character of consciousness follow many important consequences. (See § 21.)
    >
    > 自信ないのですが、、、
    > pipit日訳↓
    >
    > 意識はいわば複合体である。
    > 意識の統一は総合的であるにもかかわらず、根源的である。  
    > この意識の特異な性格から、たくさんの重要な帰結が導かれる。(§21を参照)
    >
    > =========
    >
    > それで、§21を見てみたら、、、ものすごく沼予感で、、、
    >
    > どうしようかな、§21を先に見ていくか、§21は置いといて、読み進めるか。。。
    >



    みなさま、こんばんは。
    §21は後回しにして、そのまま続きを読んでいこうと思います。

    で、続きです。↓(こちらも結局大沼っぽいなぁ。。。(ー ー;))

    Understanding is, to speak generally, the faculty Of cognitions. These consist in the determined relation of given representation to an object. But an object is that, in the conception of which the manifold in a given intuition is united. Now all union of representations requires unity of consciousness in the synthesis of them. Consequently, it is the unity of consciousness alone that constitutes the possibility of representations relating to an object, and therefore of their objective validity, and of their becoming cognitions, and consequently, the possibility of the existence of the understanding itself.

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap43

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