(現在 過去ログ3 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■21854 / inTopicNo.61)  Re[10]: 次は、145 認識の最高原則
  
□投稿者/ pipit -(2022/03/29(Tue) 22:46:51)
    Consequently, only because I can connect a variety of given representations in one consciousness, is it possible that I can represent to myself the identity of consciousness in these representations; in other words, the analytical unity of apperception is possible only under the presupposition of a synthetical unity.[16]

    DeepL機械翻訳
    その結果、私が様々な与えられた表象を一つの意識の中で結びつけることができるからこそ、これらの表象における意識の同一性を自分自身に表象することが可能となる。言い換えれば、知覚の分析的統一は、統覚的統一の前提の下でのみ可能となる[16]。
引用返信/返信 削除キー/
■21853 / inTopicNo.62)  Re[9]: 次は、145 認識の最高原則
□投稿者/ pipit -(2022/03/29(Tue) 22:43:09)
    this universal identity of the apperception

    (of the manifold given in intuition )

    contains a synthesis of representations

    and is possible only by means of the consciousness of this synthesis.

    For the empirical consciousness which accompanies different representations

    is in itself fragmentary and disunited, and without relation to the identity of the subject

    This relation, then, does not exist because I accompany every representation with consciousness, but because I join one representation to another, and am conscious of the synthesis of them.

    難しい。。。
引用返信/返信 削除キー/
■21852 / inTopicNo.63)  次は、145 認識の最高原則
□投稿者/ pipit -(2022/03/29(Tue) 22:25:37)
    No21822に返信(pipitさんの記事)
    > ■No21724に返信(pipitさんの記事)
    >>B132あたりです。
    >>
    >>第一六項
    >>自己統合の意識[=統覚]の根源的で総合的な統一について
    >>
    >>144 自己統合の意識とは★
    >>145 認識の最高原則
    >>145n 超越論的な哲学の最高点
    >>146 自己統合の意識における根源的で総合的な統一
    >>
    >>※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リスト参照
    >>
    >>https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf
    >> 
    >>=============
    >
    > というわけで、144の最後の文!
    >
    > 英訳
    > From this primitive conjunction follow many important results.
    >
    > DeepL機械翻訳
    > この原始的な接続詞から、多くの重要な結果が導かれる。
    >
    > なのですが、ちょっと(めずらしく?)訳が違和感あるので、、、ですが、なんかちょっと別繋がりの予感もあるのですが、、、とりあえず、この同箇所の中山先生訳を引用します。
    >
    > 『この根源的な結合から、多くの結論をひきだすことができる。』
    > 『純粋理性批判2』p117より引用。
    >
    > ということでおつかれさまー
    >
    > 次は、145 認識の最高原則☆彡

    J. M. D. Meiklejohnさん英訳
    For example, this universal identity of the apperception of the manifold given in intuition contains a synthesis of representations and is possible only by means of the consciousness of this synthesis. For the empirical consciousness which accompanies different representations is in itself fragmentary and disunited, and without relation to the identity of the subject. This relation, then, does not exist because I accompany every representation with consciousness, but because I join one representation to another, and am conscious of the synthesis of them.
    DeepL機械翻訳
    例えば、直観で与えられる多様体の知覚のこの普遍的同一性は、表象の合成を含み、この合成の意識によってのみ可能である。なぜなら、異なる表象を伴う経験的な意識は、それ自体、断片的でバラバラであり、主体の同一性とは無縁だからである。では、この関係は、私があらゆる表象に意識を伴うから存在するのではなく、私が一つの表象を他の表象に結合し、それらの統合を意識するから存在するのである。
引用返信/返信 削除キー/
■21848 / inTopicNo.64)  Re[13]: pipitさんへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/29(Tue) 20:24:13)
    ■21846、
    >できれば気にしないでください。<
    りょうか〜い。
引用返信/返信 削除キー/
■21846 / inTopicNo.65)  (削除)
□投稿者/ -(2022/03/29(Tue) 20:18:32)
    この記事は(投稿者)削除されました
引用返信/返信 削除キー/
■21843 / inTopicNo.66)  Re[11]: 訳
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/29(Tue) 20:01:22)
    pipitさま、ありがとございま〜す、

    カント原文の英訳、日訳の中で中山ちゃんのが一番わかにくり。原文を”訳してる”のかな〜?っていう感じ。

    中山ちょんの解説、
    >『原語のラテン語はアペルツェプティオだがペルツェプティオは外界の対象に向かう意識である。これは直観によって外界の対象を認識する営みであるが、それに方向を指すアプという語がついているので、外界の対象に向かう意識そのものに向かう意識ということになる。』<
    これ、Apperzeptionのこといいのかしら?
    だとして、

    フッサールの『デカルト的省察』の訳注に(「Whatのところで書いたけど)、 
    〔Apperzeption:Perzeption(もとはラテン語perceptioで、「知覚」の意)に前つづりAd-(「方向・接近・隣接・接着」の意)が付け加えられたもの。もとはライプニッツが、対象を判明に知覚するとき、その知覚作用自体にもわれわれは気づく、このことを「統覚」と呼んで哲学的概念として定着させた。その後、カントは、感性的直観の多様が悟性により結合される場合の、統一を形成する主観の根源的働きを「統覚」と呼んだ。フッサールは、カントの用法を踏まえながらも、或るものの端的な把握としての「知覚」と区別して、さまざまな把握を取りまとめて統一的に知覚することを「統覚」と呼んでいる。〕
    っていうのがあるんだけど、わたしapperceptionの「方向・接近・隣接・接着」はperceptionに、って見てるよ。

    わたしの勝手なのを書いちゃった。パニさんのいうストロー的なやつね。

    SelbstbewuBtseinはself-consciousnessって英訳されてて、ネットで調べたら、両方とも日本語で「自己意識」ってあった。self-consciousnessを調べたら、「自己意識、あるいは自意識とは、自己が存在することに気づく能力、外界や他人と区別された、自我としての意識。」ってあった。

    あ、それと、そしてここでは「I think」「 Ich denke」「私は考える」も問題としてるのよね。
    で、
    前からなんか気になってたんだけど、
    >違ったらごめん!<
    ってなあに?意味わかんないだけど〜。


引用返信/返信 削除キー/
■21828 / inTopicNo.67)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/28(Mon) 22:59:32)
    ※文字化けしそうな文字は、似た形のアルファベットに置き換えしてます。
    B132あたりです。

    (カント原文)
    『Ich nenne sie die reine Apperzeption, um sie von der empirischen zu unterscheiden, oder auch die ursprungliche Apperzeption, weil sie dasjenige SelbstbewuBtsein ist, was, indem es die Vorstellung Ich denke hervorbringt, die alle anderen muB begleiten konnen, und in allem BewuBtsein ein und dasselbe ist, von keiner weiter begleitet werden kann. 』

    (中山元先生訳)[]は中山先生の補注。
    『わたしはこの像を[感性による]経験的なものと区別するために、純粋な自己統合の意識[=統覚]と呼ぶことにする。
    これはあるいは根源的な自己統合の意識とも呼べるが、それはこれが、わたしは考えるという像を生みだす自己意識だからである。
    この自己統合の意識は、[心のうちに思い描くことのできる]ほかのすべての像に伴うことができるものであり、わたしのすべての意識において同一のものであり、ほかのどのような像もこれに伴うことはできないものである。』
    『純粋理性批判2』中山元訳、光文社古典新訳文庫p116.117

    次は、同箇所の田村一郎先生の訳です。
    『私はこの表象を経験的統覚と区別するために純粋統覚、あるいはまた根源的統覚とも名づける。
    なぜならこの統覚は、すべての他の表象に伴うことができなければならず、すべての意識において同一のものである「私は思考する」という表象を生み出すので、もはや他のどんなものからも導き出すことのできないような自己意識だからである。』
    『純粋理性批判 上』宇都宮芳明監訳、以文社、p188

    ===============
    ここから、中山元先生が『自己統合の意識(統覚)の必要性』という題名でカントの統覚概念について解説されてる箇所を、参考のために引用します。ここではまだ感性論においての解説です。↓

    (中山元先生の解説)
    『(略)ただここでカントは重要な概念を提示する。
    それは時間と空間、内的な知覚と外的な知覚の橋渡しをする心的な意識の概念であり、
    一般的に統覚と訳されるが、ここでは〈自己統合の意識〉と訳することにする。
    原語のラテン語はアペルツェプティオだがペルツェプティオは外界の対象に向かう意識である。
    これは直観によって外界の対象を認識する営みであるが、それに方向を指すアプという語がついているので、外界の対象に向かう意識そのものに向かう意識ということになる。
    主体が外界の事物から触発されて、これを認識するのはごく日常的な営みであるが、ときに主体のまなざしが外界の事物だけでなく、これを意識する営みに向けられることがある。
    庭の樹木を眺めている自分に意識が向かうわけだ。
    だからこの意識はたんなる自己意識とは違って、意識する自己への意識であり、その自己に向かうまなざしに特徴がある。
    この意識は自己に戻ってくる意識であるとともに、自己意識の統一を作りだす、すなわち主体の自己統合を実現する意識でもあるのだ。
    (略)』
    『純粋理性批判1』p391.392より引用。

    ※※※※※※※※※※※

    ★pipit雑感

    悪魔ちゃんが
    No21791で、
    >わたし
    perception=知覚
    apperception=統覚
    ってして見てて、両者は区別して見てるんだけど、<

    って書いてくれてたけど、

    中山先生は解説で
    『原語のラテン語はアペルツェプティオだがペルツェプティオは外界の対象に向かう意識である。
    これは直観によって外界の対象を認識する営みであるが、それに方向を指すアプという語がついているので、外界の対象に向かう意識そのものに向かう意識ということになる。』

    とあって、複合して思考してみると、

    perception=知覚は外界の対象に向かう意識で、
    それで、ap が方向を指すのかな?
    として、
    知覚してる意識を意識する意識,って感じなのかな(^◇^;)

    カント的統覚とは、知覚してる自分、という意識を生み出す意識ってことなんかなー
    違ったらごめん!
    勉強していってみるねー
引用返信/返信 削除キー/
■21826 / inTopicNo.68)  Re[9]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/28(Mon) 20:56:21)
    ごめん、ちょっと用事入ったから、引用とか遅くなったらごめんね!
    勉強なるよー
    ありがとー(*^ω^*)♪
引用返信/返信 削除キー/
■21825 / inTopicNo.69)  Re[9]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/28(Mon) 20:55:18)
    ■21824 、なるほど〜!
    ありがと。

    でも、
    >ごく一般的な用語に代えた<
    素朴で一般的なわたしには逆効果見たい。
    ただ混乱を招くだけ、かな?

    >他の先生がその箇所をどのように訳してるか見てみるよ!<
    あら、スゴ!
引用返信/返信 削除キー/
■21824 / inTopicNo.70)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/28(Mon) 20:38:53)
    返信ありがとう (o^^o)

    No21821の件なんだけど、中山先生は、一般的な訳語ではなくわかりやすい訳語の使用にチャレンジされてて、[統覚]と訳されるのが一般的な原語を「自己統合の意識」と訳されてるんだよ。
    そのことが第一巻の巻末に記されてたので引用するね。

    (中山元先生のあとがき)
    『第三に、カントの用語として通例となっている多くの訳語を採用せず、ごく一般的な用語に代えた。
    この巻で言えば、悟性は「知性」と訳し、表象は「心で思い描いた像」や「観念」と訳し、統覚は「自己統合の意識」と訳した。
    ただし他の訳書やカントの研究書などを読むときに理解を妨げないように、最初のうちは知性[=悟性]、像[=表象]、自己統合の意識[=統覚]のように、伝統的な訳語をつけた。』
    『純粋理性批判1』p420より引用

    他の先生がその箇所をどのように訳してるか見てみるよ!
    また後で書き込むねー(^○^)

引用返信/返信 削除キー/
■21822 / inTopicNo.71)  Re[7]: 144 自己統合の意識とは
□投稿者/ pipit -(2022/03/28(Mon) 20:05:59)
    No21724に返信(pipitさんの記事)
    > B132あたりです。
    >
    > 第一六項
    > 自己統合の意識[=統覚]の根源的で総合的な統一について
    >
    > 144 自己統合の意識とは★
    > 145 認識の最高原則
    > 145n 超越論的な哲学の最高点
    > 146 自己統合の意識における根源的で総合的な統一
    >
    > ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リスト参照
    >
    > https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf
    >  
    > =============

    というわけで、144の最後の文!

    英訳
    From this primitive conjunction follow many important results.

    DeepL機械翻訳
    この原始的な接続詞から、多くの重要な結果が導かれる。

    なのですが、ちょっと(めずらしく?)訳が違和感あるので、、、ですが、なんかちょっと別繋がりの予感もあるのですが、、、とりあえず、この同箇所の中山先生訳を引用します。

    『この根源的な結合から、多くの結論をひきだすことができる。』
    『純粋理性批判2』p117より引用。

    ということでおつかれさまー

    次は、145 認識の最高原則☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■21821 / inTopicNo.72)  Re[16]: 自己意識
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/28(Mon) 19:57:47)
    pipitさま、ありがとございま〜す。

    いろいろ調べてもらったので、カントの原文(おそらくドイツ語よね?)と英訳をネットで日訳を調べて見たんだけど、中山ちゃんの日訳がきなってる。

    >中山先生は同箇所の原文を(純粋な自己統合の意識[=統覚])(根源的な自己統合の意識)と日訳されてます。<
    中山ちゃんの、なんかわかんないんだけど、「自己統合」っていうの、原文ではどのように書かれてあるのかしら?

    なんだけど、pipitさまはどこらへんだと思ってます?

    わたしがネットで調べたのを書いて見るね。

    (独)SelbstbewuBtseinは「自意識」ってあって、(英)self-consciousnessは、「自己意識、あるいは自意識とは、自己が存在することに気づく能力、外界や他人と区別された、自我としての意識。」ってあった。両方とも「自意識」とか「自己意識」っていうことで似てるから”訳としては”わたし分かるんだけど。

    >中山先生は同箇所の原文を(純粋な自己統合の意識[=統覚])(根源的な自己統合の意識)と日訳されてます。<
    で、ん?ってなってる。中山ちゃんは、原文のどこを「自己統合」って訳したのかしら?って。(独)SelbstbewuBtseinを?

    逆に、「自己統合」を独と英でネットで調べて見たら、
    自己統合→(英)Self-integration (独)Selbstintegration
    中山ちゃんのは、カントの原文のどこをどう見ると「自己統合」っていうのが出てくるのかしら?

    pipitさまが言ってる「自己統合の意識とは」は、わたしのばあい〈中山ちゃんが言ってる「自己統合」の意識とは?〉ってなっちゃてるのかな。


引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -