■37314 / inTopicNo.1) |
Re[34]: つれづれなるままに 14
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/05/17(Fri) 18:55:45)
| もうちょっと、 No37289 に関連して、 No37109の(3)のなかに、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (a)他我構成論では、〈省察する自我〉は固有領域への還元を行うとされた。だが、超越論的経験の領野を「私に固有の」領域へと還元する操作は、〈省察する自我〉の持つ「私」という意味を前提にしなければ不可能なのである。
(b)以上のようにフッサールによる他者経験の志向的構成能作の解明は、「私」という意味について不問に付されたまま分析が進められている。その結果、他我構成論においては、超越論的自我や固有領域への還元において自己統覚された精神物理的自我(あるいはモナド)といった自我概念が、「私」あるいは「自我」という表現を介して〈省察する自我〉に静態的分析の構造上結びついており、それらが「私の」超越論的自我や「私の」モナドであることについては分析の俎上に上ることがない。
(c)そのため、フッサールの分析の各段階における自我概念は、「私」という意味をめぐって交錯し重なり合い、概念的動揺をきたすこととなるのである。こうして我々は、他者との関係性を既にそのうちに孕むこの「私」という意味が、他我構成論のどの段階において問題とされているのか不明瞭なまま他者経験の分析を行うこととなり、絶えず混乱した状況におかれることとなる。
(d)我々がその混乱した状況にはっきりとした答えを与えられるのは、「他者(Andere)は、現象学的には私自身の変容態として現れる(私自身は、今や必然的に生じ対照をなす対化によって、この私という性格を自らの側で獲得する)」(I,144)というフッサールの対化に関する記述に出会うことによってである。ここでわれわれは、初めて明確に「私の」という性格が、対化によって獲得されることを知ることができる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ってあった。 流れ的に切りのいいところを書き出したんだけど、 (d)にあるような、小林さんにはっきりとした答えを与えた、フッサールが言ってる(I,144)のところ、 (3-d)〔他者(Andere)は、現象学的には私自身の変容態として現れる(私自身は、今や必然的に生じ対照をなす対化によって、この私という性格を自らの側で獲得する)〕 なんだけど、 No37289 の本文(D)の (52-D)『他者は、現象学的には自己の「変様」として現れるのだ(私の自己が「私の」というこの性格を受け取るのは、ここで対になることが必然的に現れて、対比が行われることによってである)。』 っていうところとよく似てる。たぶん同じところなんだと思う。 訳し方として「変様」が「変容」、「自己」が「私自身」だったりしてるけど。
「変様」については、 No36130に出てきる。
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