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No37237 の記事


■37237 / )  Re[21]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/05/04(Sat) 14:17:12)
    No37109の資料のから見てるんだけど、
    No37236で(5)からのを少し書いたから、つぎに資料(6)のからのを少し書いとく。

    〔フッサールの発生現象学は、20年代からのフッサール現象学の展開を決定づけているが、その内容と方法は、いまだ明確になっていない。この領域は、次第に明らかになっていったという領域そのものの開示のプロセスをもつ。その際、最も重要な契機となったのが、時間構成の分析と、時間内容に重点を置いて深化した時間分析でもある、20年来展開した「受動的綜合の分析」である。この展開に関して興味深いことの一つに、最近公刊された、『時間意識についてのベルナウ草稿』執筆期である1917/18年に、受動的総合の分析の端緒が見出されうることである。〕

    って言うことみたい。

    これもフッサール現象学を研究している人の論みたいなんだけど、やっぱわたしには難しくてよく分かんなかった。

    (6)の中には「原-自我(Ur-Ich)」って言う語は出てきてないんだけど、「先-自我」っていうのが出てきてるところを書き出して見ると、

    ・・・・・・・・・・
    (a)〔間モナド的共同化の能動的な感情移入において、ある人格が他の人格に人格全体で向かうことによって「我と汝の合致」
    が生じうる。しかし、そこでは、自分自身の行動を客観視し、対象化する理論的で反省的態度は、決定的な役割をはたしてはいない。能動的間主観性を基づける受動的で先−自我的な間モナド的原コミュニケーションにおいては、いまだ自我極もそれに相関的な対象極も形成されてはいない。しかも、重要なのは、この能動的相互主観性の頂点に位置する「我と汝の合致」においては、形成ずみの自我極と対象極としての汝が消滅し、融合する、ということである。〕

    (b)〔原初的な流れる先−自我的で先−対象的な時間化において、形式と内容が不可分離に生じているのと同様に、主観的形式と客観的形式の不可分離性は、我と汝の合致にも妥当するのであり、そこでは他者性に帰属する具体的内容が、非対象的な他者性へと転化しているのである。〕

    (c)〔我と汝の合致の超越論的可能性は、対象化する主観と対象化された客観の亀裂の克服である。〕

    (d)〔我と汝の合致が、発生的現象学による、無意識的に働き、先−反省的で、先−言語的に働く自己中心化と身体中心化の発生の解明なしには、その達成が難しいのも当然であるといえよう。〕
    ・・・・・・・・・・

    これについてのわたしの感想は後で。

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