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■No37499に返信(悪魔ちゃんさんの記事) > No37496のつづき > いまは(a-q)の方ね。 > 「内的時間意識」なんだけど、 > > 【「現象学事典」弘文堂2014】のなかに、 > 「過去把持/未来予持〔把持/予持〕」[(独)Retention/Protention (仏)rétention/protention]って言うのあるから抜粋して見るね。 > > ・・・・・・・・・ > 〔過去把持〔把持〕と未来予持〔予持〕とはともにフッサールの現象学において、もっとも根源的な意識層である時間意識の働きを指す用語であり、…‥本項では、以下、慣用にしたがって過去把持、未来予持の訳語を用いるが、言語には過去あるいは未来を表す語は入っていないことに注意すべきである。〈過去把持〉とは、あらゆる存在の源泉である〈原印象〉(Urimpression)において産出されて〈今〉として意識されたものを、次の瞬間、なおも、〈たった今過ぎ去った〉ものとして己の内に保持する意識の働きであり、原印象という核に対する「彗星の尾」にたとえられる。〈未来予持〉とは、〈まさに到来しつつあるもの〉を待ち受ける意識の働きである。意識の現在は、これら原印象を中核とする〈過去把持―原印象―未来予持〉による時間意識の総合の働きによって構成され、それによって瞬間的な点的〈今〉ではなく時間的幅を持った〈今〉が意識され、意識の現在に〈以前〉と〈以後〉の地平が形成されるおのである。ところで、未来予持は待ち受けていたものが原印象において産出されれば次々に充実されていくが、他方、原印象は別の新たな原印象が絶えず出現してくることによって過去把持へ、さらに過去把持の過去把持へと変様して連続体を成し、次第に消失していく。しかもフッサールによれば、未来予持は裏返しにされた過去把持であり、やはり連続体を成すとされているから、かくして意識は形式上、そのつどの原印象を境にして未来予持と過去保持とが連続体を形成し、その全体が原印象の絶えざる出現とともに一つの〈流れ〉を形成している、と考えられるのである。 …‥中期以降のフッサールにおいては、時間意識が受動性の最深の次元に位置づけられいくのに応じて、過去把持と未来予持は、自我の関与なしに受動的かつ連続的に機能する総合の働きとして捉えられるようになる。そしてこのような最も普遍的で根源的な内的時間意識の総合にもとづきつつ、さまざまな段階の意識の総合が発生的に解明されたのである。〕 > ・・・・・・・・・ > できるだけ省略しようと思ったんだけど、長くなっちゃたけどいいよね。 > > あと、【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の訳注に > ・・・・・・・・・ > Retention:「未来予持(Protention)」と対になって使われる。それぞれ、re-(後ろに)とpro-(前に)に、In-tention(志向)のtention(緊張、張られていること)をつけた造語。過去を主題的に振り返る「想起」、未来を主題的に見通す「予期」に対して、過去把持と未来予持は、時間的幅を持った現在の地平をなす、「たったいま」過ぎ去ったものを「まだ」保持する、あるいは、「いますぐに」来らんとするものを「もう」先取りする、非主題的な働きを指している。その意味で、原語には「過去」や「未来」という語は含まれていないことに注意。 > ・・・・・・・・・ > ってあった。 > > ひとまずこういうの、 > 〈過去把持−原印象―未来予持〉を「内的時間意識」って見て、確かにこういうのあるかもって。 > これ、〈把持-原印象-予持〉って言うことにする。 > でもね、わたしのばあい、乳幼の頃って初めて経験することばかりだし、〈予持〉っていうの、ある程度経験を積んだなかでのことだと思ってる。 >
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■37595
/ inTopicNo.1)
Re[74]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん
-(2024/06/26(Wed) 18:32:34)
今日はもうちょっと
No37594
で、フッサールのからわたしに浮かんだ〈自〉って名づけた“そのようなもの”の輪郭が少しづつ見えてきたところで、
「内的時間意識」に戻るね。
No37499
の訳注から、
〔In-tention(志向)〕って(志向)ってあるけど、〔In〕って言うのを〈内的〉とか〈意識内〉ってして、〔tention〕を英語の〈tension〉ってして、〈緊張〉。だから〔In-tention〕を〈内的緊張〉ってして見た。
〈tension〉に、(後ろに)のre-がついた〈re-tension〉を〔把持〕、(前に)のpro-がついた〈pro-tension〉を〔予持〕ってして見た。
〔原印象〕って日訳されてる〔Urimpression〕を〈tension〉、〔原印象〕を〈現〉ってして見た。
こういうのから、〔過去把持−原印象―未来予持〕を、
〈re-tension(把持)〉−〈tension(現)〉−〈pro-tension(予持)〉
ってして見ることにした。
〈tension(現)〉っていうのは、(たった今)の内的緊張のことで、「現在化」の〈端的な知覚〉みたいなの。
こういうの、〈自〉と絡めて見ると、
〈自〉のうちに、〈tension(現)〉が現れるんだけど、それは、流れ去る内的意識のなかで、〈re-tension(把持)〉と〈pro-tension(予持)という時間的幅を持った現在の地平をなしてる。
みたいな感じになるかな。
図にして見たので添付して、ちょっと書くと、
re-はre-tension(把持)、pro-はpro-tension(予持)の略ね。
aの時の現は、bの時にはre-、aのpro-はbの時には現・・・・こういうふうにつづいていくのね。
No37499
の、〔過去把持の過去把持〕っていうの、cの時の、〔「bの現」の「aの現」〕っていうことになるかな。
648×489 => 600×452
1719394354.jpg
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/
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■37594
/ inTopicNo.2)
Re[73]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん
-(2024/06/26(Wed) 18:21:42)
わたしの物語りつづける。
No37562
みたいなことを考えてるなかで、
わたしが想像してる〈自〉っていうの、
No37365
で見たように、フッサールのモナドと絡めて、
〈自〉=意識の原初自然な固有の媒介の場(領域)
っていまなってるんだけど、
媒介の場としての〈自〉に現れてくるものとして、
〈感知性(外界のものの感-知覚)〉、〈考知性(思-考)〉、〈記憶〉からの、の他に、〈身体の運動する感覚〉みたいなのも現れてきてることにしたよ。
〈感知性(外界のものの感-知覚)〉と〈身体の運動する感覚〉は、〈(私の)体〉を媒介とした私の外と内との間(相互)的関係にあるから、非対象化的・非主題的に見ることになるのかな。
あと、
〈自〉には、欲望や情や想像が住んでる、とも見てる。
ちなみにわたしが〈自〉って名づけたもの始まりは、
No36717
っていうことからね。
引用返信
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■37585
/ inTopicNo.3)
Re[72]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん
-(2024/06/25(Tue) 18:37:24)
そこはかとなく、ね
世界の分類の仕方が異なると、そこから派生する見方・考え方が異なってるのかも。
引用返信
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■37577
/ inTopicNo.4)
Re[71]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん
-(2024/06/23(Sun) 19:26:10)
マイナンバーカードを持っていない人は、この日本国では生活できないようにしよう!
引用返信
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■37576
/ inTopicNo.5)
Re[70]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん
-(2024/06/23(Sun) 19:20:04)
http://bandou-law.cocolog-nifty.com/avocatban_/2015/10/post-4feb.html
この資料の中に、
「2009年(平成21年)12月、平成22年度税制改正大綱で「社会保障制度と税制を一体化し、真に手を差し伸べるべき人に対する社会保障を充実させるとともに、社会保障制度の効率化を進めるため、また所得税の公正性を担保するために、正しい所得把握体制の環境整備が必要不可欠です。そのために社会保障・税共通の番号制度の導入を進めます。」と、マイナンバー制度の原型についての言及がなされました。これ以降、マイナンバー制度導入の動きが活発化し、政府の「社会保障・税に関わる番号制度に関する検討会」や「社会保障・税に関わる番号制度に関する実務検討会」などで検討が進められました。こうして、2013年(平成25年)のマイナンバー法(番号法/番号利用法)の成立に至ります。」
ってあった。
これが本当のこと、ってしたなかでなんだけど、
「平成22年度税制改正大綱」を目的と手段に区別して見るね。
目的
1.真に手を差し伸べるべき人に対する社会保障を充実させる
2.社会保障制度の効率化を進める
3.所得税の公正性を担保する
4.正しい所得把握体制の環境整備
手段
5.社会保障制度と税制を一体化
6.社会保障・税共通の番号制度の導入
7.マイナンバー制度導入
かな?
いずれにしても、わたしのばあい「税制改正」が主のように見えるんだけど、どうして5になっちゃたのかしらね?
この資料の最初のほうに、
「海外では多くの国で導入されています」ってあるけど、「多くの国が導入してるから」日本国もそうした方がいいっていうことなんかな?じゃ、どういう国が導入してるなかしら?っていうのも気になるところね。
引用返信
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■37575
/ inTopicNo.6)
Re[69]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん
-(2024/06/23(Sun) 18:44:48)
https://news.yahoo.co.jp/articles/dcb69c312ff04b1ed38714de21862b15878558cb
「対面での契約の際も、マイナンバーカードなどのICチップ読み取りを義務化するという。デジタル庁ではそのICチップの読み取りの仕組みを検討・開発を進める。」
みたい。
引用返信
/
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■37562
/ inTopicNo.7)
Re[68]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん
-(2024/06/22(Sat) 18:31:58)
No37550
、「キネステーゼ」のから、わたしの書いとかなくっちゃ、って。
どうやら、〔「運動の感覚」を意味するのではなくて〕、〔運動と感覚の不可分な結合〕、〔運動としての知覚〕、〔運動する感覚〕〔動く感覚〕のようなものを意味するみたいなんだけど、な〜んとなく、っていう感じかな、わたしのばあい。
ひとまず、「キネステーゼ」っていうのを、〔主観的な働き〕的な〔運動する感覚〕ってしとく。
No37496
の(a-q)に関係するところとして、
〔物の現出の連続的連関と、キネステーゼ的に機能する身体性とが一つに結びついて、物の現出を「キネステーゼ的に動機づけている」わけである。この過程は一方で、主体での方向で、私がいまここにいるという「絶対的ここ」の意識として「私は動く」「私はなす」という自己意識を発生させる〕
っていうところを見たのね。
これ二つ見たのね。
@〔物の出現〕にかかわること。
A〔主体の方向〕にかかわること。
って。
@の方は、たとえば、私の外にある「物」とそれに触れたりなんかする体の運動によって、私の意識のうちに感覚-知覚される、そのような〈運動する感覚〉、みたいなのかな。
Aの方が(a-q)にかかわってくる感じ。
〔私がいまここにいるという「絶対的ここ」の意識として「私は動く」「私はなす」という自己意識を発生させる〕
の、
「絶対的ここ」ってあるけど、前に書いたと思うけど、
【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の訳注に、
〔空間的場所としては、私が動くことによって、先ほどまでそこだった地点が今はこことなり、ここだった地点がそことなる。ところが、「私の身体」(自己の身体)がここと言われるのは、それとは異なり、私がどれだけ動いても、「私の身体」はいつもここにあって、そこになることはない。それをフッサールは「絶対的なここ」と呼んだ。〕
ってあったの想い出してる。
〔自己意識を発生させる〕ってある。わたし、「自己」っていうの〈(私の)自と体〉ってして見てるから、「自己意識」は「〈(私の)自と体〉の意識」ってなるから、《〈(私の)自と体〉の意識を発生させる》ってなる。
これ、わたし、《〈(私の)自〉と〈(私の)体〉を結びつける意識を発生させる》ってして見ちゃうのね。
〈自〉を絡めて、(a-q)への見方として、
(K-a)キネステーゼ(運動する感覚)は〈自〉に現れ、これによって〈(私の)自〉と〈(私の)体〉が結びいてる。
っていうふうに見ることになった。
引用返信
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■37550
/ inTopicNo.8)
Re[67]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん
-(2024/06/21(Fri) 18:34:15)
いまのわたしの物語りは、
No37496
の(a-q)。
No37499
の「内的時間意識」について、わたしのもうちょっとあるんだけど、後にするとして、
次に、「キネステーゼ」っていうの、
No37189
で少し抜粋したけど、めんどくらいから全部書き写しちゃうヨ〜。
(K-1)‥‥‥‥・・・
「キネステーゼ」は、ギリシャ語のキネーシス〔運動〕(κίνησις)とアイステーシス〔感覚〕(αΐσθησις)とから合成された述語で、それを直訳してドイツ語でBewegungsempfindungと表示されることもある。フッサールでは、1907年のいわゆる「物」講義(『物よ空間』)や『受動的綜合の分析』、『危機』などで論じられているもので、通常その言葉から想像されるような「運動の感覚」を意味するのではなくて、むしろ運動と感覚との不可分な結合、ないしは運動としての知覚を意味する。
物は射映する、つまり自らを主体の体験に一挙に与えることなく、つねに多面的に自己を呈示するのであるが、その過程は、フッサールによれば、さらに遡って、その過程に相関的なキネステーゼ的過程と結びついている。たとえば、物はいつもある側面において与えられているが、それは知覚の過程とともに多様に変化して推移してゆくのであって、それを何かの自己呈示態としてとりまとめることではじめて、それは何かある物の現出となる。感覚的に与えられるものには質的契機と延長的契機という二つの契機があり、それぞれアスペクト与件と位置与件と呼ばれるのであるが、これら二つの契機が一体となって働くことではじめて、そのつど感覚に与えられるものが何かある物の自己呈示態となる。言いかえると、物が自己を呈示するときのそのアスペクト与件の変化や交替われわれが身体を自由に動かすことによって可能になる位置与件の変化や交替によって制約されており、感覚する働きはこの身体の運動と一体となることではじめてその呈示機能をはたすことができる。そしてこの感覚と運動の不可分の統一態が「キネステーゼ」と呼ばれるものである。そしてその上で次のように言われる。
「連続的な知覚においては、一つの物が、直接的な現前という端的な存在確信のうちで私に対して立ち現われている。すなわち、私が、自分の運動感覚を働かせながら、ともに経過するさまざまの呈示を、ともに帰属しあうものとして体験するとき、多様な仕方で自分を呈示する一つの物が顕在的に現前しているという意識が維持される。この物のさまざまな呈示は変移するキネステーゼに帰属している…。顕在的なキネステーゼはキネステーゼ的能力の体系のうちにあるのであるが、この体系には一律調和的に帰属しあう可能的諸契機の体系が相関しているのである。そしてこれが現前している事物をめぐるあらゆる存在確信の志向的背景をなす」と。
ここでキネステーゼ的能力と言われるのは、身体そのもののもつ構成機能のことである。身体は一方で、その各部分肢が感覚の器官として機能しているわけであるが、他方でそれはいるも「ここ」という位置においてある現出空間の絶対的原点であり、「方向づけの零点」でもある。そしてその身体の各部分肢に局所づけられた感覚が、その身体の変移する位置と連動しながら、物の現出過程を織りなしていく。言いかえると、物の現出の連続的連関と、キネステーゼ的に機能する身体性とが一つに結びついて、物の現出を「キネステーゼ的に動機づけている」わけである。この過程は一方で、主体での方向で、私がいまここにいるという「絶対的ここ」の意識として「私は動く」「私はなす」という自己意識を発生させるとともに、他方では、対象への方向で、その相関者としてキネステーゼ的な領野を「自然の基底」として構成してゆく。こうした身体の根源的機能としてのキネステーゼ的意識は、あらゆる物の経験において、その存在確信の基盤として、いつもすでに世界意識と一体となって働きだしているものである。このようにして物の構成につねに居合わせている、それ自身は主題化されることのないこの構成する身体は、「みずからを呈示することなく呈示を可能にする」ものであって、その意味でまさに「根元的身体」として、われわれの経験の「大地」をなすものであると言ってよい。
なみに、こうしたフッサールのキネステーゼ論を背景に、さまざまの知覚障害・運動障害の事例を引きながら、感受性(sensibillité)と運動性(motricté)との根源的な連繋関係ならびに「方向づけられた空間」を分析し、そこから身体を世界に対する実践的能力として捉え返したのは、『知覚の現象学』第1部のメルロ=ポンティである。
‥‥‥‥・・・
もうひとつ見つけたの、
【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の訳注のなかに、
(K-2)‥‥‥‥・・・
Kinasthese:ギリシア語のkinesis(運動)とaisthesis(感覚)からつくられた造語である。当時の心理学界でも「或る特別な筋肉感覚」としての「運動感覚」が論じられていたが、フッサールはそれを根本的に異質な現象学的概念へと改造して使った。「筋肉感覚」は、すでに特定の生理学的・解剖学的知識を前提とする概念であるが、「運動感覚」は、そうした知識をすべて判断停止した後にも残存する、還元すれば、「筋肉」という物体的身体の客観的な運動の手前にある、主観的な働きの感覚である。それは、運動についてもつ感覚なのではなく、むしろ、運動する感覚であるような、動く感覚である。それはまさに、ランドグレーベ門下のウルリッヒ・クレスゲスの言うように、現象学的還元によって獲得される「純粋現象」であった。
‥‥‥‥・・・
ってあった。
長くなっちゃたので、これについての、わたしのは後にする。
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■37535
/ inTopicNo.9)
Re[66]: マイナカード
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□投稿者/ 悪魔ちゃん
-(2024/06/20(Thu) 20:19:18)
No37528
、akaimiさん、
ありがとございます。
マイナカード持ってない人でも携帯電話の契約はできる、
っていうのわかってよかった〜。
引用返信
/
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■37528
/ inTopicNo.10)
マイナカード
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□投稿者/ akaimi
-(2024/06/20(Thu) 13:58:44)
■
No37513
に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
>
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a2b817222c14512d8ed80c95b5932cecd56f3d8
>
> 「6月18日、政府は対面で携帯電話を契約する際に必要な本人確認の方法として、マイナンバーカードなどに搭載されているICチップの読み取りを事業者に義務付けることを決定した。」
>
> これ意味わかんないだけど、だれか教えてくれないかしら。
悪魔ちゃん、おじゃまします。
ネットからの非対面での契約にはマイナカードでの本人確認に一本化される。
店頭での対面契約ではこれまでのように運転免許証で契約は可能。
事業者(店舗)にはマイナカードのICチップ読み取りでの契約も可能にするための機能保持が義務付けられる、ってこと。
マイナカードでも契約できるように事業者は準備の義務を持たされた、というわけです。
当面、店舗での契約においては運転免許証で大丈夫。
ということみたいです。
あってると思うけど、間違えてたらごめんなさい。
引用返信
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■37513
/ inTopicNo.11)
Re[64]: つれづれなるままに 14
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■
□投稿者/ 悪魔ちゃん
-(2024/06/18(Tue) 17:57:01)
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a2b817222c14512d8ed80c95b5932cecd56f3d8
「6月18日、政府は対面で携帯電話を契約する際に必要な本人確認の方法として、マイナンバーカードなどに搭載されているICチップの読み取りを事業者に義務付けることを決定した。」
これ意味わかんないだけど、だれか教えてくれないかしら。
引用返信
/
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■37499
/ inTopicNo.12)
Re[63]: つれづれなるままに 14
▲
■
□投稿者/ 悪魔ちゃん
-(2024/06/16(Sun) 16:21:00)
No37496
のつづき
いまは(a-q)の方ね。
「内的時間意識」なんだけど、
【「現象学事典」弘文堂2014】のなかに、
「過去把持/未来予持〔把持/予持〕」[(独)Retention/Protention (仏)rétention/protention]って言うのあるから抜粋して見るね。
・・・・・・・・・
〔過去把持〔把持〕と未来予持〔予持〕とはともにフッサールの現象学において、もっとも根源的な意識層である時間意識の働きを指す用語であり、…‥本項では、以下、慣用にしたがって過去把持、未来予持の訳語を用いるが、言語には過去あるいは未来を表す語は入っていないことに注意すべきである。〈過去把持〉とは、あらゆる存在の源泉である〈原印象〉(Urimpression)において産出されて〈今〉として意識されたものを、次の瞬間、なおも、〈たった今過ぎ去った〉ものとして己の内に保持する意識の働きであり、原印象という核に対する「彗星の尾」にたとえられる。〈未来予持〉とは、〈まさに到来しつつあるもの〉を待ち受ける意識の働きである。意識の現在は、これら原印象を中核とする〈過去把持―原印象―未来予持〉による時間意識の総合の働きによって構成され、それによって瞬間的な点的〈今〉ではなく時間的幅を持った〈今〉が意識され、意識の現在に〈以前〉と〈以後〉の地平が形成されるおのである。ところで、未来予持は待ち受けていたものが原印象において産出されれば次々に充実されていくが、他方、原印象は別の新たな原印象が絶えず出現してくることによって過去把持へ、さらに過去把持の過去把持へと変様して連続体を成し、次第に消失していく。しかもフッサールによれば、未来予持は裏返しにされた過去把持であり、やはり連続体を成すとされているから、かくして意識は形式上、そのつどの原印象を境にして未来予持と過去保持とが連続体を形成し、その全体が原印象の絶えざる出現とともに一つの〈流れ〉を形成している、と考えられるのである。 …‥中期以降のフッサールにおいては、時間意識が受動性の最深の次元に位置づけられいくのに応じて、過去把持と未来予持は、自我の関与なしに受動的かつ連続的に機能する総合の働きとして捉えられるようになる。そしてこのような最も普遍的で根源的な内的時間意識の総合にもとづきつつ、さまざまな段階の意識の総合が発生的に解明されたのである。〕
・・・・・・・・・
できるだけ省略しようと思ったんだけど、長くなっちゃたけどいいよね。
あと、【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の訳注に
・・・・・・・・・
Retention:「未来予持(Protention)」と対になって使われる。それぞれ、re-(後ろに)とpro-(前に)に、In-tention(志向)のtention(緊張、張られていること)をつけた造語。過去を主題的に振り返る「想起」、未来を主題的に見通す「予期」に対して、過去把持と未来予持は、時間的幅を持った現在の地平をなす、「たったいま」過ぎ去ったものを「まだ」保持する、あるいは、「いますぐに」来らんとするものを「もう」先取りする、非主題的な働きを指している。その意味で、原語には「過去」や「未来」という語は含まれていないことに注意。
・・・・・・・・・
ってあった。
ひとまずこういうの、
〈過去把持−原印象―未来予持〉を「内的時間意識」って見て、確かにこういうのあるかもって。
これ、〈把持-原印象-予持〉って言うことにする。
でもね、わたしのばあい、乳幼の頃って初めて経験することばかりだし、〈予持〉っていうの、ある程度経験を積んだなかでのことだと思ってる。
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