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Re[22]: つれづれなるままに 22
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/01/12(Mon) 18:10:22)
| No45141の(a)(b)(c)に関係すると思われるところを、資料の中からいくつか抜き出して見たよ。
(R)「(Hu)純粋自我」について、 No45061で見たような、 〈すべての構成の遂行者である純粋自我自身の反省において、自我が自己を内的時間意識において構成する〉 (資料(9)-@)「純粋自我は、・・・内的時間意識において構成されるものとして位置づけられる」 (資料(5))「純粋自我もまた内的時間における体験的統一体との関わりで、この内的時間性を伴って構成されている、という視点・・・」「純粋自我もまた構成されているに違いないと着想するに至った・・・」 ここんところ、 わたし、「(Hu)自我」を〈我〉と〈自〉に分節したなかで、「(Hu)純粋自我」→〈我〉ってして見てるから、超簡単に、 (Aet)〈我〉(純粋自我)は時間的に構成されてる。 ってして見るのね。
(U)これに対して「(Hu)原自我」〈自〉の方は、 No45032の(事典D)の(c) 「自己を時間的に構成する」 No45045(9)-A 「自我の概念は、〈それ自身は時間的ではなく、したがって内的時間意識において構成されるのではなく、自ら時間を構成し、機能する自我〉」(この「自我」を〈自〉ってしてわたし見てるよ) 「『超』‐時間的」 No45111 の (そ)時間化しつつ時間化される(自我)生において捉えざるを得ないもの (た)自我から時間性を、つまり、時間的に「構成された」対象性としての資格を剥奪してしまう。 (ち)無時間性・先時間性
っていうこととして、(R)と(U)を超簡単にまとめて、
(Awzt)先-無時間性の〈自〉のうちに、時間(形式)そのものが形成され、〈我〉は時間化しつつ時間化される。
ってして見たのね。
カントは感性の形式として時間を考えたんだけど、フッサールはさらにその時間(形式)そのものもまた構成される?
ってすると〜、(Awzt)は感性(受動的総合)のなかで起こってる、っていうこと? ここらへん、わたしの今後の課題かな。
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