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Re[5]: つれづれなるままに 22
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/12/27(Sat) 17:46:39)
| フッサールの「自我」につてのわたしの物語りのつづき
No44718の(事典D)のところについてずーと考えてたんだけど、 番号つけて再掲しとく。 (事典D)―――――――――――
(a)フッサールのいう自我論、つまりモナドとしての自我における自我と世界との構造的連関全体の根源的な解明は、
(b)とりもなおさず、すべての構成の遂行者である超越論的自我自身が反省的に行う営みである。
(c)そこでは、自我が「発生の普遍的形式」において自己を時間的に構成するそのプロセスが、自我の「深さの次元」として分析される。
(d)もっとも、反省は、すでに発生しているものの「後からの確認」としてしか可能ではないであるから、反省が可能であるためには、反省に先立って、自我はいつも自己自身のうちに隔たりを発生させ、同時にそれを架橋しながら、自己を(まさにたえざる自己差異化の過程のなかで)同一的なものとして構成しているのでなければならない。
(e)「自己共同化」ともいわれるこの自己統一は、反省以前のものであるから、自我にとってはそれはいつもすでに「原受動的」に生起している。超越論的自我のなかでは、この意味での自我、つまり「原自我」(Ur-ich)が、その能動的な構成過程に先立っていつもすでに(先―)存在しているのである。
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フッサールの、な〜んか怪しい感じになってるのかも?とも思えるので適当なお喋りになるかも。
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