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Re[84]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/04/06(Sun) 19:10:23)
| No41838のつづき、
No41830の図でわたしに「それ」が〈・・・・のように見えた〉ものを思考によって確認する、して見る。
「客観的に見る」を〈外に置いて見る〉ってして見たときのを図にして見たよ。 赤線丸をA,Bの黒線丸の外に置いて見たよ(コピーして外に出して見たよ)。こうすると両方とも同じ大きさに見える。 (もっともこの図を描くときにわたしがそうしたわけだから普通にそうなるわけなんだけど)
でもね、こうして見てもやっぱわたしにはA、Bの黒線丸の中にある大きさは違うく見える。
No41672の(資料E)のなかに、 〔直接的な知覚の対象である〈昇りまた沈む太陽〉は、カテゴリーという概念の普遍性と統一性において自然科学的に解釈し直されるとき始めて仮象と見做されることになる。しかし、たとえ自然科学的な自然から仮象ときていされようと、日常的な経験の場においては、太陽は〈昇りまた沈む太陽〉として我々に直接知覚される。このように、直接知覚される対象が自然科学的な再解釈(規定)にもかかわらずその原初性を失うことなく我々の知覚に現れるとするならば、この対象は原理的にまったく自然科学的に〈規定されない対象〉であるといえよう。〕(p113) ってあった。
いまわたしが見てるのは「科学的」のじゃないけど、 思考によって「二つの赤線丸は同じ大きさ」って確認されても、それでも(日常的な経験の場における)わたしの知覚は「二つの赤線丸は違う大きさ」に見える(上ので言えば〈昇りまた沈む太陽〉に見える)。すなわち〔にもかかわらずその原初性を失うことなく我々の知覚に現れるとするならば、この対象は原理的にまったく〕思考によって〔〈規定されない対象〉であるといえよう〕 っていうことになるのかな。
この〈規定されない対象〉って言うの、 No41672の(本Ko)のなかで、 「経験的直観の未規定な対象が現象」(p88) 「概念によって規定されていない対象が現象」(p88) っていうようなのと同じようなことなのかも。 わたしこれまとめて〈「経験的直観」にも「思考-概念」にもまだ規定されていない現れ〉ってして見てる。 これが No41771の(a)のような現象になるのかな。
わたしのばあい、経験的現実の対象の「知覚」っていうの、(a)と(b)の両方に関わってるものとして見てる。わたしの〈・・・・のように見える〉は(b)の方って見てるから。 ここんところ、わたしの課題となってる。カントのいう「知覚」っていうの、どういうの?っていうことね。
わたしの物語り、今日はここまでかな。 次からは No41696について予定してる。
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