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Re[72]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/04/02(Wed) 19:16:05)
| No41615についてわたしのどうお喋りどうしよっかな〜、っていろいろ考えてるんだけど、
なんか興味深いの出て来たのね。
【モーリス・メルロ=ポンティ著『行動の構造』1942 滝浦静雄・木田元訳みすず書房 2014】のなかに
『〈点0の知覚は0点にある〉という考えは、ベルクソンにではなくカントにこそさかのぼるべきものであろう。』(下p126) ってあって、〈点0の知覚は0点にある〉(0)、なにこれ?って思たんだけどやりすごしてたんだけど、
No41672の(本Ko)のp271あたりに〔純粋直観=0〕とか〔無=0〕っていうの出てきてるじゃん。 ん?これってメルポンの言ってる(0)のこと?って思って、ネットで調べたら、
(資料O)「存在のゼロ」――後期メルロ=ポンティにおける否定的なもののカント的意味――柳瀬 大
っていうのあったのね、を介した いまこれに取り組んでるところ。
No41672の三つの資料のと(資料O)のからわたしふうにまとめようとしてるとこ。
あ、(資料O)の題名についてはわたしちょっと不満で、わたしのばあい〈「0という存在」――カント的意味を介したメルロ的意味〉っていうふうに見てる、いまんとこ。
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