(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

No18802,19157,19216 の記事


■18802 / )  超越論的感性論 第三項:W−1
□投稿者/ うましか -(2021/11/13(Sat) 22:03:40)
    2021/11/14(Sun) 11:11:23 編集(投稿者)

    pipitさん、皆さん、こんばんはー

    *******

    T 超越論的原理論
    第一部門 超越論的感性論

    第一節 空間について 〔Von den Raume〕 
     第三項 空間概念の超越論的論究 〔§3 Transzendentale Eroerterung des Begriffs vom Raume〕

    ◇ 私は超越論的論究≠ニいうことを、他のア・プリオリな綜合的諸認識の可能性がそこから洞察されうる原理としての或る概念の説明と理解する。

    ◇この目的〔Absicht〕のために必要なのは、1) 現実に、そうした諸認識が、その与えられた概念から出てくるということ 2) これらの諸認識は、この概念の与えられた説明様式を前提してのみ可能であるこということである。


    † 原佑訳上巻、p.153参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    W−1 No.18802
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802

返信/引用返信 削除キー/

■19157 / )  超越論的感性論 第三項:W−2
□投稿者/ うましか -(2021/11/20(Sat) 18:35:52)
    2021/11/20(Sat) 18:38:11 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    ≪純粋理性批判を読んでみる。30≫、おじゃまします!(/・ω・)/

    *******

    T 超越論的原理論
    第一部門 超越論的感性論
    第一節 空間について
    第三項 空間概念の超越論的論究

    ◆ 私は超越論的論究≠ニいうことを、他のア・プリオリな綜合的諸認識の可能性がそこから洞察されうる原理としての或る概念の説明と理解する。このために必要なのは、1) 現実に、そうした諸認識が、その与えられた概念から出てくるということ 2) これらの諸認識は、この概念の与えられた説明様式を前提してのみ可能であるということである。

     ※1 「原理としての概念 (前提) → ア・プリオリな綜合的認識」を可能とするような、その概念の説明様式(超越論的〜)

    --- No.18802からの続き---

    ◇ 幾何学は空間の諸固有性を綜合的にしかもア・プリオリに規定する一つの学である。空間についてのそのような認識が可能であるためには、いったい空間の表象はいかなるものでなければならないのであろうか?

    ◇空間は根源的に直観でなければならない。なぜなら単なる概念からはその概念を越えて出ていくいかなる命題も引きだされ得ないが、それでもこのことが幾何学においては行われるからである。(序論V 〔*1〕)

     *1 原佑訳上巻、p.107〜 第二版序論「V 理性のすべての理論的学のうちにはア・プリオリな綜合的判断が原理として含まれている」

    ◇しかし、この直観は、ア・プリオリに、言いかえれば対象のあらゆる知覚に先立って私たちの内に見いだされなければならない。したがって純粋な直観でなければならず、経験的な直観であってはならない。

     ※1 根源的な直観としての「空間」
     ※2 この直観=空間は、対象のあらゆる知覚に先立ち、ア・プリオリに私たちの内に見いだされなければならない。したがってこの空間は純粋な直観である。

    ◇なぜなら幾何学的な諸命題はことごとく確然的であり、言いかえればそれらの諸命題の必然性の意識と結びついているからである。例えば、「空間は三次元のみを持っている〔der Raum hat nur drei Abmessungen〕」という命題がそうである。だが、このような諸命題は経験的な判断ないしは経験判断〔empirische oder Erfahrungsurteile〕ではあり得ず、またこれらの判断から推理され得もしない。(序論U〔*2〕)

     *2 原佑訳上巻、p.82〜 第二版序論「U私たちは或る種のア・プリオリな認識を所有しており、だから普通の悟性ですらそうした認識をけっして欠いてはいない」


    † 原佑訳上巻、p.153〜p.154参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    W−1 No.18802、W−2 No.19157
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157

返信/引用返信 削除キー/

■19216 / )  超越論的感性論 第三項:W−3
□投稿者/ うましか -(2021/11/21(Sun) 17:48:21)
    2021/11/21(Sun) 17:49:27 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー(/・ω・)/

    *******

    ◆幾何学は空間の諸固有性を綜合的にしかもア・プリオリに規定する一つの学である。空間についてのそのような認識が可能であるためには、いったい空間の表象はいかなるものでなければならないのであろうか?空間は根源的に直観でなければならない。なぜなら単なる概念からはその概念を越えて出ていくいかなる命題も引きだされ得ないが、それでもこのことが幾何学においては行われるからである(序論V)。しかし、この直観は、ア・プリオリに、言いかえれば対象のあらゆる知覚に先立って私たちの内に見いだされなければならない。したがって純粋な直観でなければならず、経験的な直観であってはならない。なぜなら幾何学的な諸命題はことごとく確然的であり、言いかえればそれらの諸命題の必然性の意識と結びついているからである。例えば、「空間は三次元のみを持っている」という命題がそうである。だが、このような諸命題は経験的な判断、ないしは経験判断ではあり得ず、またこれらの判断から推理され得もしない(序論U)。

    --- No.19157からの続き---

    ◇ ところで、客観自身〔Objekten selbst〕に先行し、だから客観の概念がそこではア・プリオリに規定され得るような或る外的直観〔aussere Anschauung〕は、いかにして心〔Gemuete〕に内在し〔beiwohnen*1〕得るのであろうか?明らかにこの外的直観が客観によって触発され、だからこのことによって客観の直接的な表象〔unmittelbare Vorstellung〕≠、言いかえれば直観≠得る主観の形式的な性質として、単にこの主観の内にその座〔Sitz〕を占める限りにおいて、それゆえ外的な感官一般の形式としてのみその座をしめる限りにおいて以外ではあり得ない。

     *1 beiwohnen か bewohnen か? 原典ではbei−だが、和訳、英訳ではbe-のニュアンス(内在する、inhabit、dwell in、exist in等)で訳しているようですが(;´・ω・) ちなみに原典にbewohnenは使用されておらず、他の箇所(例:原佑訳上巻p.128)でのbeiwohnen についても原佑訳では「内在している」と訳されています。

    ◇ それゆえ、私たちの説明〔Erklaerung〕だけがア・プリオリな綜合的認識としての幾何学の可能性≠明白ならしめるのである。このことをなし得ないいずれの説明様式〔Erklaerungsart〕も、たとえ外見上は私たちの説明といくらか類似しているにせよ、この特徴で私たちの説明から最も確実に区分され得る。


    † 原佑訳上巻、p.154参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216

返信/引用返信 削除キー/


Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -