| ■No10108に返信(エフニさんの記事) > >人が自由意志で行動していると本気で思ったことはないです。< > > 自由をめぐる問題は、2500年の哲学史のなかで、難問(アポリア)であり続けました。 > > ギリシャ悲劇に「オイディプース王物語」というのがありまして、内容は省きますが、ここには「意志決定論」と「運命論」との対立が描かれています。 > > 神の託宣を逃れようと、懸命に努力するのですが、結局は託宣通りに父を殺し、母を自分の妻とします。 > > このギリシャ悲劇では、運命論が勝利するのですが、人類はこの2500年間、このアポリアと苦闘し続けてきました。 > > この問題は、運命論を実在論、意志決定論を反実在論とパラフレーズして考えることもできます。
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こんばんは。
私が「運命論」「実在論」「意志決定論」「反実在論」という言葉の意味するところを間違えていなければ、自分はとても運命論と意志決定論の間で右往左往したり矛盾したりするなぁと。
先日も友人に「感情とは、状況(環境)とそれに対する反応だよね」、なんて・・・わかったような顔をして話していたなぁと。
余談ですがオイディプースで思うのは、ギリシャの人ってなんでその物語が好きだったんだろうって。
オイディプースは父親の命令で母親に生まれてすぐ両くるぶしを鉄のピンでとめられて、殺されるように他人の手に渡された命だった。
父親が自分の身の安全のために自分の子どもを殺すように命じる。 母親もそれに加担し、しかも子どもの両くるぶしを鉄で貫き固定してしまう。 まったく不思議でどういう世界?って感じ。
その子どもが幸運にも?よき青年に育ち 偶然にも自分の父親を父親と知らずに殺してしまう。 そして母親と結婚する。
この劇を見ていた人たちは、神のようにすべてを見通しながら、それでもどこで涙したのだろうと思う。
私にとってのその不気味さってある。
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