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■10652 / inTopicNo.49)  Re[12]: しかし、何だべな。
  
□投稿者/ エフニ -(2021/01/22(Fri) 22:05:31)
    スピノザは「神は自然であり、自然は神である。」としています。

    ここで言う自然とは、自然現象の原因となるもの、つまり、この世界の中の全ての個物のことを言います。

    また、空海のこの考えは、「一は多であり、多は一である。」という、華厳経の教えをも内包します。

    極言すれば、真言宗に入らなくても、マントラを唱えなくてもよいことになりますが、確かによく解らないですよね。

    空海は宗教を越えて、哲学的部分に踏み込んでいる気がします。
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■10657 / inTopicNo.50)  Re[13]: しかし、何だべな。
□投稿者/ パニチェ -(2021/01/23(Sat) 08:28:44)
    2021/01/23(Sat) 08:36:08 編集(投稿者)

    横レスごめんちゃい♪

    No10652に返信(エフニさんの記事)
    > スピノザは「神は自然であり、自然は神である。」としています。

    > ここで言う自然とは、自然現象の原因となるもの、つまり、この世界の中の全ての個物のことを言います。

    > また、空海のこの考えは、「一は多であり、多は一である。」という、華厳経の教えをも内包します。

    > 極言すれば、真言宗に入らなくても、マントラを唱えなくててもよいことになりますが、確かによく解らないですよね。

    > 空海は宗教を越えて、哲学的部分に踏み込んでいる気がします。

    同意&奇遇です。

    華厳の「一は多であり、多は一である。」って〈私〉にも当てはまるような気がします。

    「〈私〉は多であり、多は〈私〉である。」
    「一即一切一切即一」は「〈私〉即一切一切即〈私〉」などなど、探究中です。

    あくまでも不二(アドバイタ)とは独在論ではないか?という方向ですが。。。。

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■10719 / inTopicNo.51)  Re[14]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2021/01/28(Thu) 19:48:42)
    No10657に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/01/23(Sat) 08:36:08 編集(投稿者)
    >
    > 横レスごめんちゃい♪
    >
    > ■No10652に返信(エフニさんの記事)
    >>スピノザは「神は自然であり、自然は神である。」としています。
    >
    >>ここで言う自然とは、自然現象の原因となるもの、つまり、この世界の中の全ての個物のことを言います。
    >
    >>また、空海のこの考えは、「一は多であり、多は一である。」という、華厳経の教えをも内包します。
    >
    >>極言すれば、真言宗に入らなくても、マントラを唱えなくててもよいことになりますが、確かによく解らないですよね。
    >
    >>空海は宗教を越えて、哲学的部分に踏み込んでいる気がします。
    >
    > 同意&奇遇です。
    >
    > 華厳の「一は多であり、多は一である。」って〈私〉にも当てはまるような気がします。
    >
    > 「〈私〉は多であり、多は〈私〉である。」
    > 「一即一切一切即一」は「〈私〉即一切一切即〈私〉」などなど、探究中です。
    >
    > あくまでも不二(アドバイタ)とは独在論ではないか?という方向ですが。。。。
    >


    パニさん、こんばんは。

    <私>にも当てはまるというのに同意です。

    この明らかに矛盾している命題を、不二一元論(アドバイタ)の創始者シャンカラは、「すべてはブラフマンの見る夢」として、矛盾を解消させました。

    私もシャンカラのひそみに倣(なら)って、「すべてはカプセルに眠るキアヌ・リーブスが見る、マトリックス上の夢」と独我論を位置づけ、この矛盾を解消できるものとしています。
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■10773 / inTopicNo.52)  Re[11]: しかし、何だべな。
□投稿者/ つばめ -(2021/01/31(Sun) 19:07:59)
    No10108に返信(エフニさんの記事)
    > >人が自由意志で行動していると本気で思ったことはないです。<
    >
    > 自由をめぐる問題は、2500年の哲学史のなかで、難問(アポリア)であり続けました。
    >
    > ギリシャ悲劇に「オイディプース王物語」というのがありまして、内容は省きますが、ここには「意志決定論」と「運命論」との対立が描かれています。
    >
    > 神の託宣を逃れようと、懸命に努力するのですが、結局は託宣通りに父を殺し、母を自分の妻とします。
    >
    > このギリシャ悲劇では、運命論が勝利するのですが、人類はこの2500年間、このアポリアと苦闘し続けてきました。
    >
    > この問題は、運命論を実在論、意志決定論を反実在論とパラフレーズして考えることもできます。

    ********

    こんばんは。

    私が「運命論」「実在論」「意志決定論」「反実在論」という言葉の意味するところを間違えていなければ、自分はとても運命論と意志決定論の間で右往左往したり矛盾したりするなぁと。

    先日も友人に「感情とは、状況(環境)とそれに対する反応だよね」、なんて・・・わかったような顔をして話していたなぁと。

    余談ですがオイディプースで思うのは、ギリシャの人ってなんでその物語が好きだったんだろうって。

    オイディプースは父親の命令で母親に生まれてすぐ両くるぶしを鉄のピンでとめられて、殺されるように他人の手に渡された命だった。

    父親が自分の身の安全のために自分の子どもを殺すように命じる。
    母親もそれに加担し、しかも子どもの両くるぶしを鉄で貫き固定してしまう。
    まったく不思議でどういう世界?って感じ。

    その子どもが幸運にも?よき青年に育ち
    偶然にも自分の父親を父親と知らずに殺してしまう。
    そして母親と結婚する。

    この劇を見ていた人たちは、神のようにすべてを見通しながら、それでもどこで涙したのだろうと思う。

    私にとってのその不気味さってある。


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■10775 / inTopicNo.53)  Re[12]: しかし、何だべな。
□投稿者/ つばめ -(2021/01/31(Sun) 19:33:00)
    No10109に返信(エフニさんの記事)

    > 日本人が正月に餅を食べるのは、本来宗教的な意味があったのですが、現在の日本人は何の宗教色も感じないで、お正月にお餅を食べています。
    >
    > かと言って、お正月にお餅を食べなければ、何となく居心地が悪い。
    >
    > それは、エトスを逸脱しているからです。

    はい。なるほどと思います。

    やっぱり、お正月にお餅食べますから。

    てか。食べるのが「自然」(普通)かな、と。(笑)

    > 「深海に生きる魚族のように 自らが燃えなければ 何処にも光はない」
    >
    > ハンセン病で生涯隔離され、絶望的な孤独のなかで人生を終えた歌人。
    >
    > 明石海人の歌より。


    すごい歌ですね。

    「白描」という歌集を注文しようと思います。


    さくら花かつ散る今日の夕ぐれを幾世の底より鐘の鳴りくる
                            (『白描』より)





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■10822 / inTopicNo.54)  Re[15]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2021/02/06(Sat) 00:16:04)
    >私も何も知らないながらそれに同意したいような気になります。<

    でしょ。

    空海の分け方はナイスですよね。

    >仏教の中に大乗仏教を誕生させた動きがあったという事ですね。<

    般若経典を作った人達が、神秘主義的に、瞑想重視の宗教を作っていきました。

    それと歴史の要請もありました。

    釈尊の死後、ギリシャ人をはじめとする、異民族の侵略が相次ぎ、末法の時代とも言える大混乱が続きます。

    ギリシャ人はヘレニズムをもたらし、ペルシャからはゾロアスター教思想が入ってきます。

    ヘレニズムは市民の自我を拡張させ、ゾロアスター教は阿弥陀仏信仰の原型を作りました。
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■10823 / inTopicNo.55)  Re[16]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2021/02/06(Sat) 00:32:32)
    >私、小乗仏教でもいいんじゃないかと思わなくもないんですよ。<

    とりあえず、倫理の大学入試対策としてチャート化されているものをここに上げます。

    ☆大乗仏教 「人間はみな仏になれる」「人々の救済が目的」「利他・慈悲の重視」「在家仏教を可能とする」

    ☆小乗仏教 「人間は仏になれない」「個人の悟りが目標」「自利のみ求める」「出家主義」

    1番の違いは、「利他」か「自利」かというところでしょうか。

    市民の自我の拡張は連帯を生み、社会問題として抽出できるものは抽出してきます。

    橋を作るなどのインフラ整備、病院・孤児院の設立等を大乗仏教は為してきました。
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■10824 / inTopicNo.56)  Re[17]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2021/02/06(Sat) 00:41:32)
    小乗は(漢訳した小乗よりも原語のサンスクリット語が)、大乗側からの蔑称で、部派仏教側から自称することはありません。

    これは、旧約聖書はキリスト教側からの蔑称で、ユダヤ教徒は絶対にそう呼ばないのと同構造です。

    空海は、小乗の経典を誹謗してはいけないと「十重禁戒」で述べています。
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■10826 / inTopicNo.57)  Re[15]: しかし、何だべな。
□投稿者/ パニチェ -(2021/02/06(Sat) 08:11:56)
    おはようございます、エフニさん。

    No10719に返信(エフニさんの記事)

    > <私>にも当てはまるというのに同意です。

    > この明らかに矛盾している命題を、不二一元論(アドバイタ)の創始者シャンカラは、「すべてはブラフマンの見る夢」として、矛盾を解消させました。

    > 私もシャンカラのひそみに倣(なら)って、「すべてはカプセルに眠るキアヌ・リーブスが見る、マトリックス上の夢」と独我論を位置づけ、この矛盾を解消できるものとしています。

    なるほど、同意です。
    knowing itselfさんともレス交換したのですが、参考までに教えていただければ有難いです。
    エフニさんにとって〈私〉と無我あるいは非我などの仏教的な教説とは相容れますか?
引用返信/返信 削除キー/
■10886 / inTopicNo.58)  Re[16]: しかし、何だべな。
□投稿者/ つばめ -(2021/02/08(Mon) 20:26:09)
    No10402に返信(エフニさんの記事)

    こんばんは。

    > 高句麗が南下して騎馬民族国家を作る頃には、朝鮮という国は無く、朝鮮の人々であった中国人達も住んでいませんでした。(あるいは高句麗に同化したのかも)
    >
    > ここで、中国人から騎馬民族へと、エトスの変換が行われます。


    はい。
    ありがとうございました。

    朝鮮半島から中国人が消え中国人のエトスも消えたという事ですね。
    そして儒教が残った。・・・というより輸入したのかな。
    新しいエトスとして有意義だったから。











引用返信/返信 削除キー/
■10958 / inTopicNo.59)  Re[12]: しかし、何だべな。
□投稿者/ つばめ -(2021/02/11(Thu) 19:25:42)
    No10651に返信(エフニさんの記事)
    > >「真言」は、サンスクリット語の「マントラ」を漢訳したもので、(中略) 大日如来と合一した空海さんを拝む。<
    >
    > はい、その通りです。
    >
    > うまく整理してくれてありがとう�
    >
    > >よくわからないなぁ。つまり、なんでもよいと。<
    >
    > 空海は、この世の全ては大日如来の現れだとします。
    >
    > 「大日如来は全てであり、全ては大日如来である。」
    >
    > これが根源的な命題です。
    >
    > ですからクリスマスを祝っても、大日如来を祝ったことになるのです。
    >
    > この辺は、空海より500年ぐらい後の、スピノザの汎神論と同じ考えになります。
引用返信/返信 削除キー/
■10959 / inTopicNo.60)  Re[12]: しかし、何だべな。
□投稿者/ つばめ -(2021/02/11(Thu) 19:46:38)
    No10651に返信(エフニさんの記事)
    > >「真言」は、サンスクリット語の「マントラ」を漢訳したもので、(中略) 大日如来と合一した空海さんを拝む。<
    >
    > はい、その通りです。
    >
    > うまく整理してくれてありがとう�
    >
    > >よくわからないなぁ。つまり、なんでもよいと。<
    >
    > 空海は、この世の全ては大日如来の現れだとします。
    >
    > 「大日如来は全てであり、全ては大日如来である。」
    >
    > これが根源的な命題です。
    >
    > ですからクリスマスを祝っても、大日如来を祝ったことになるのです。


    つまり、世界=大日如来 なんでも大日如来なわけですね。

    ・・・つまり、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、肌に触れるもの、心をかきたてるものがすべて大日如来である。

    ・・・世界=自分=大日如来?かなぁ。

    > この辺は、空海より500年ぐらい後の、スピノザの汎神論と同じ考えになります。

    ・・・スピノザさん。よくわからないです。保留させてください。保留させていただいても心もとない限りではありますが。・・・(´;ω;`)ウゥゥ


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