| ■No10983に返信(エフニさんの記事)
>小乗の場合は出家者だけが救われるので、みんなが救いを目指して出家しちゃうと、食を生産・供給する人がいなくなるから、原理的にみんなが救われるというのが不可能なんです。
あ、そうですね。
誰でも彼でも望めば出家できるというわけではなさそうですね。 働かなくても食べられて自由度の高い人たちが望めば出家できただけとかかな。 そもそも庶民?一般人?が救い、出家を望んだかどうかもわからないし。
>みんなで個人の救いを目指すというのは、大乗的なメンタリティーなんです。
ああ。そっかぁ。 「みんなで個人の救いを目指す」という発想を小乗仏教さんは持たない?・・・ それはそれで自然なことなのかもしれないなと。 そういう世界だったのだろうと思ってみたり。
>大乗仏教は般若教と阿弥陀仏信仰が融合することによって生まれました。
>同時に、因果応報、自業自得、カルマ、輪廻転生、などをすべて解体する、全世界、全人類を震撼させた、「回向(えこう)」が生まれます。
ええと。般若教と阿弥陀仏信仰が融合して大乗仏教になり、「回向(えこう)」が生まれたわけですね。
般若経は私の知る範囲(とても乏しいですが)では、色即是空 空即是色 (姿かたち、拡大解釈で現れすべては、これすなわち空。空は空中の空。空はこれすなわち姿かたちである。・・・ええと、つまり、どういうこと? ・・・空だけがある。) で、阿弥陀仏信仰にはなじみがないので、(「南無阿弥陀仏)と唱えながら西に向かう愚直な人を主人公にした小説を読んだことがある気がする・・・。)さらっと検索すると、
「梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」[1]、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」[1]の意味で[2]、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)を持ち(東方は薬師如来)、五智如来において西方に位置する観自在王如来と同一視するが、真言宗では阿弥陀が法蔵菩薩であったときに師事した仏として、別尊とする。」(ウキペディア)
・・・よくわかりません。よくわかりませんが、とにかく
私の脳裏に浮かぶのは「極楽浄土」という言葉と平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩像かな。
色即是空と極楽浄土が合わさって大乗仏教が生まれ、回向が生まれた。 ・・・南無阿弥陀仏と唱えるだけで(仏の力で)誰でも救われる(・・・かな。)
月落ちてさ夜ほの暗く未だかも弥勒は出でず虫鳴けるかも 斎藤茂吉
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