| >人々の精神的な支えにはなっていなかった。だから、人々が人生に意味を求めだした時、新興宗教がヒットしたのではないかと。<
その通りだと思います。
既成の宗教が形骸化したときに、新興宗教がはびこります。(まぁ、どんな大宗教も、はじめは新興宗教だったのですが。)
中国では、国が乱れ、大動乱のきっかけには、新興宗教の発生がままありました。
☆堂々と看板を掲げればいいのに、オウムのように、宗教色を隠して、巧妙に大学でスカウトしていた例もあります。
こうして一旦入信すると、そういう純な学生は、熱烈な信者となります。
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>既成の宗教が形骸化したときに、新興宗教がはびこります。(まぁ、どんな大宗教も、はじめは新興宗教だったのですが。)
そうなんですね。
宗教も進化するというか時間や地域のなかで習合を繰り返し人とともに成長するわけなのかな。 そう思えば今日の新興宗教も社会に受け入れられて淘汰されず行けば未来の大宗教かも知れないかもですね。
なるほどなぁ・・・。
>☆堂々と看板を掲げればいいのに、オウムのように、宗教色を隠して、巧妙に大学でスカウトしていた例もあります。
なんでしょうね。 「宗教色」を出すとまずいと自覚しているから宗教色を隠すのでしょうか。 自分のことを思うと確かに自分はとりあえず仏教徒(家や地域、家族との歴史による意識されない擦りこみ?)なので他の宗教はパスという感じかなぁ。 面倒だし、それからやっぱり心のどこかで警戒音が鳴ります。 この警戒音は、やっぱり社会からの教育によるものかなと。
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