| 2023/09/15(Fri) 09:23:49 編集(投稿者) 2023/09/15(Fri) 09:18:34 編集(投稿者)
>> 無色界定という瞑想をしている時に、どんな感覚になってるのですか? >> とても大雑把な質問ですみません。
>うーん。。あくまでも感覚的なご説明になるのですが、色がない世界の体験ですので、そこには物質感(物質としての感覚的なクオリア)がありません。色自体のない時間や空間の世界の体験や、それを意識しているというその意識自体の体験(一体化?・溶け込む?)世界とでも表現できるでしょうか。そして、それらすらもない(無分別の世界と言われるのですが)それでもまだそこは無分別という分別された世界での体験となりますかね。感覚的には、瞑想が深く進めば進むほど、何かの思いやそこに残った微々たる意識がフォーカスしていた対象自体もが徐々に消えていく感覚でしょうか。。勿論、仏典にはこのような説明はないのですが。
先日、時さんが書いてくださった無色界定という状態に関連すると思われる番組を昨日たまたまBS1で観ました。
同じ灰色の車の画像であっても、その灰色の画像に重ねて別な色を乗せると、緑、オレンジ、赤、青に見えるのです。 色の組み合わせは正確に記憶してないので省きます。
また、ベリー(赤い)は赤だと人間は記憶しているので、暗い場所で見た時にはそれがベリーだと解ると赤い色を脳が補色するそうです。
一切の情報や光線からも遮断され、脳の機能が停止した状態だと無色で物質感も無い、ということなのでしょうか。 それを瞑想でしていると。 (う〜ん。。でもそれだと無色に見える物質がまったく見えないよなぁ。。 薄暗いぐらいの場所で瞑想するってことかな。それであれば物質があるのはわかるものね。)
瞑想であればまた色付き世界に戻れるからいいのですが、何らかの理由で色彩感覚が薄れる病気になったりしたら、日常生活には支障が出そうですね。
前野さんは、美味しいや痛いという感覚は脳が作り出すイリュージョンだと書かれていますが、色彩についても光線の環境と脳が織りなすイリュージョンだということなのでしょうね。 今、本で直接に確認していないのですが、色彩についてそのような記述もあった記憶があります。
|