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No32998 の記事


■32998 / )  みのりさんへ
□投稿者/ 時 -(2023/09/11(Mon) 14:15:34)
    みのりさんへ。こんにちは。返信をありがとうございます。

    No32995
    > > こんな風に、人間は何かをきっかけにしてその自然の中で自らの意志において進化しようとしているのかもしれませんね。そして仮に進化しきった時、人はどのようになるのでしょうかね?きっと自然に還ってしまうんじゃないのかな?なんて考えたりしています^^

    > 自然の中で自らの意志というのがよくわからないです。
    > 自由意志は存在しないと考えられているのに、自らの意志において進化しようとしている、というのは?

    私個人は、自由意志は存在しないのではないかと考えていますが、その視点で見ると、通常、人は、その自らの自由な意志で何かを取捨選択しながら文明や生活環境等を進化をさせていると同時に、自らも進化していると思い込んでいるのかもしれない。という意味合いで通じるでしょうか?

    ・自然の中で自らの意志・・自然という一つの全体性の中で、自らの意志という幻想。

    > > 毎回のごとく、仏教系のお話に流れてしまいがちになりますので、そこは、私の自由意志で止めているつもりなのですが、、、どうも止めきれない場合が多いようで、すみません。m(__)m

    > ぜんぜんかまわないですよ。
    > ただ私が知らないために素っ気ない返事しかできずすみません。

    いえいえ、ありがとうございます。かまわないですよと仰って頂けるだけで十分です。

    > 無色界定という瞑想をしている時に、どんな感覚になってるのですか?
    > とても大雑把な質問ですみません。

    うーん。。あくまでも感覚的なご説明になるのですが、色がない世界の体験ですので、そこには物質感(物質としての感覚的なクオリア)がありません。色自体のない時間や空間の世界の体験や、それを意識しているというその意識自体の体験(一体化?・溶け込む?)世界とでも表現できるでしょうか。そして、それらすらもない(無分別の世界と言われるのですが)それでもまだそこは無分別という分別された世界での体験となりますかね。感覚的には、瞑想が深く進めば進むほど、何かの思いやそこに残った微々たる意識がフォーカスしていた対象自体もが徐々に消えていく感覚でしょうか。。勿論、仏典にはこのような説明はないのですが。

    > 読書が好きではないです。(笑) 

    あら? そうなのですね。^^

    > 不一不二ですか。パニチェさんのトピにもそのあたり触れられてましたね。
    > 一でもなく二でもないんですね。。
    > 喩えるならゼロ元なのかな。。

    はい。この不一不二が、上記の無分別と言う、それでもまだ分別された境地なのですね。これも仏典に記載はないのですが、例えるのなら、ゼロ次元、無次元、無分別次元、そしてこの瞑想の境地を原始では、非想非非想処と表現されているようなのです。

    例えるならば、二ではなく一である境地が不二一元(アドヴァイタ)で、一でもなく二でもない境地が不一不二(非想非非想処)で、それすらもない処が仏陀の説いていた想受滅となるでしょうか。(原始では、不二一元は説かれていませんし、不一不二という表現もありませんが)

    そして過去に私がホゲホゲーと世間を散策しているときに、そこ(非想非非想処)にもまだ無知があるのですよと、過去に教わったという事です。

    > 中論について、今のところは解説書も読もうという気持ちは出てこないです。
    > いつかそんな気分になることもあるかもしれないですけど。。

    了解しました。^^

    > > 最近は割と頻繁に投稿しているのですが、もともと私はロムの方が好みなのですね。これだけ連続の投稿をするのは、win95所有の頃以来です。また機を見てロムに戻るでしょうか。

    > そうなんですね。
    > 私のこの投稿への返信もお気遣いなくにされてください。

    ありがとうございます。了解しましたー。
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