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■35501 / inTopicNo.37)  >忖度なしで返信 パニチェさんへ
  
□投稿者/ うましか -(2023/12/12(Tue) 22:30:54)
    忖度なしの返信ありがとうございます。

    私も忖度なしの、、、と頑張りたいところですが、

    あいにく反論できるだけのものが何もありません(´;ω;`)ウゥゥ

    とはいえ、独在論の倫理論はいかにして可能かというテーマを考えるのにはよい機会でした

    というわけで、

    >他我の存在を問うことを通して自我の存在そのもの(の輪郭)が浮かび上がる

    これ↑と、教えていただいた「カニッツァの三角形」を重ねることは、忘れます。

    ただし、主観的輪郭という心理学上の概念については、面白いのでもう少し情報収集したいとおもいます。
    何か閃くかも(・∀・)

    また上の「自我の存在そのもの」を、パニチェさんの<私>と重ねてみることも、止めます。
    ちょっと背伸びし過ぎた( ノД`)シクシク…

    ただし、自我の存在そのもの(に相当するとおもわれるもの)−について−語られてきた概念は歴史上さまざまあるとおもいますので、言語化可能/不可能とはどういうことかも含めて、改めて調査・探求していきたいとおもいます。

    では、この話題についてのあなたとの交信はここまでということで〜

    ソリロキーに戻りまする


引用返信/返信 削除キー/
■35499 / inTopicNo.38)  Re[35]: うましかの密かな楽しみ(・∀・)
□投稿者/ パニチェ -(2023/12/12(Tue) 22:12:10)
    No35494に返信(うましかさんの記事)
    > あと2週間後

    > 12月26日にせまった

    > 井上尚弥 vs マーロン・タパレス 

    > タパレスは井上をどう攻略しようとするのか…(゚Д゚;)


    フルトンや他の対戦者がそうであったように。。。

    パンチの強さと硬さに驚き、出入りが早く全く自分の距離で戦えないことにアタフタしている間に、ボディーを効かされ、カウンターの餌食になりそうな気がします。

    たのしみ♪
引用返信/返信 削除キー/
■35495 / inTopicNo.39)  忘れて下さい>カニッツァの三角形
□投稿者/ パニチェ -(2023/12/12(Tue) 21:30:47)
    2023/12/12(Tue) 21:50:58 編集(投稿者)

    こんばんは、うましかさん。レスありがとうございます。
    ちょっとカニッツァの三角形で混乱させてしまったみたいです。
    余計なカキコだったなぁ〜と反省しつつ、以下は誤解がないよう忖度なしで返信させてもらいます。

    No35484に返信(うましかさんの記事)

    > >うましかさんはどういう理由で、<私>を中心で浮き上がらす諸図形を>私<と解釈されたのでしょうか?

    > 理由というよりは、以下の説明からの思いつきです(;´Д`A ```

    > >カニッツァの三角形で例えれば言語化できない〈私〉は中心部に浮き上がっている無色透明な三角形であり、それを浮き上がらせる役目を果たす「他我問題」や「独我論」「意識の超難問」は“くの字”や“パックマン”です。(パニチェさん)

    > まだ素描程度ですけど、他我の存在を問うことを通して自我の存在そのもの(の輪郭)が浮かび上がると言えばいいのかなあ。

    いえ、他我の存在を問うことを通して〈私〉は浮かび上がりません。
    他者にもあるであろう自我と自分の自我の差異を考えた方が浮かび上がると思います。


    > >唯一無二の<私>と唯一無二の>私<が一体化してないですし、互いに相容れない存在です。

    > そう、そこなんですよ!(;・∀・)
    > で、また思いつき。
    > 唯一無二は、<私>"と">私<ではなく、<私>私< 。
    > 思いつき先行の後付けの理屈付けが苦しいですね( ;∀;)

    〈私〉という表記は【私】でも何でもいいんです。
    同様に他者の〈私〉の表記は>私<でなくても、〈〈私〉〉でも何でもいいんです。
    〈私〉や>私<の表記から何か見出せることは決してありません。

    > カニッツァの三角形(主観的輪郭)についてもうちょっと調べてイメージを膨らませてみようかな(;´・ω・)

    意味がないと思います。

    〈私〉は言語表現できない、あるいは言語の網の目をすり抜けるために、言語的には無色透明であるということ。
    そして直接言語化はできないが「他我問題」や「独我論」「意識の超難問」、その他、〈私〉に関する言説や議論によって浮き上がらせることができる。

    上記の〈私〉と言語の関係性が、中央にあるカニッツァの三角形とそれを浮き上がらせる“くの字”“パックマン”のような関係と同じという意味で持ちだした図形であって、それ以上の意味もそれ以下の意味もありません。


引用返信/返信 削除キー/
■35494 / inTopicNo.40)  うましかの密かな楽しみ(・∀・)
□投稿者/ うましか -(2023/12/12(Tue) 20:40:23)
    あと2週間後

    12月26日にせまった

    井上尚弥 vs マーロン・タパレス 

    タパレスは井上をどう攻略しようとするのか…(゚Д゚;)
引用返信/返信 削除キー/
■35484 / inTopicNo.41)  独在論の倫理論のイメージ(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/12/11(Mon) 23:57:37)
    パニチェさん、こんばんはー

    No.35477(パニチェさん)

    >うましかさんはどういう理由で、<私>を中心で浮き上がらす諸図形を>私<と解釈されたのでしょうか?

    理由というよりは、以下の説明からの思いつきです(;´Д`A ```

    >カニッツァの三角形で例えれば言語化できない〈私〉は中心部に浮き上がっている無色透明な三角形であり、それを浮き上がらせる役目を果たす「他我問題」や「独我論」「意識の超難問」は“くの字”や“パックマン”です。(パニチェさん)

    まだ素描程度ですけど、他我の存在を問うことを通して自我の存在そのもの(の輪郭)が浮かび上がると言えばいいのかなあ。


    >唯一無二の<私>と唯一無二の>私<が一体化してないですし、互いに相容れない存在です。

    そう、そこなんですよ!(;・∀・)

    で、また思いつき。

    唯一無二は、<私>"と">私<ではなく、<私>私< 。



    思いつき先行の後付けの理屈付けが苦しいですね( ;∀;)

    カニッツァの三角形(主観的輪郭)についてもうちょっと調べてイメージを膨らませてみようかな(;´・ω・)






引用返信/返信 削除キー/
■35477 / inTopicNo.42)  Re[32]: >私<私>私<独在論の倫理論
□投稿者/ パニチェ -(2023/12/11(Mon) 20:36:04)
    こんばんは、ちょう うましかさん。レスありがとうございます。

    No35414に返信(うましかさんの記事)
    > カニッツァの三角形について、パニチェさんは以下のように述べておられます。
    > >カニッツァの三角形で例えれば言語化できない〈私〉は中心部に浮き上がっている無色透明な三角形であり、それを浮き上がらせる役目を果たす「他我問題」や「独我論」「意識の超難問」は“くの字”や“パックマン”です。(パニチェさん)
    > 誤解かもしれませんし、素朴な思いつきではありますが、言語化できない<私>を中心で浮き上がらす諸図形を>私<と解釈するのは、いかがでしょうか。

    ここちょっと、ちょう うましかさんの返信の意味を読み取れていません。
    ちょう うましかさんはどういう理由で、<私>を中心で浮き上がらす諸図形を>私<と解釈されたのでしょうか?

    〈私〉を浮き上がらせるのは〈私〉に関する言語や言説、主張や意見など通常私たちが使ってる言葉です。
    それがあの図形に当てはめれば“くの字”や“パックマン”の図形ということなんですが。。。。

    > 正直私としては、自身の思いつきが
    > >〈私〉と同じ存在様相は認めませんが、他者にも唯一無二の〈私〉(自我でもいいですが、この場合は〈私〉と区別し、>私<と表記します)が存在することは認めます。(パニチェさん)

    > と齟齬が生ずるかな〜と迷ってはいますが…
    > カニッツァの図形において、唯一無二の<私>と唯一無二の>私<が一体化しているとすれば、、、<私>を浮かび上がらせているのが>私<とすると、>私<が図形として有る以上、"言語化できない"<私>とどう折り合いをつけたらよいのか今のところ途方にくれています。

    唯一無二の<私>と唯一無二の>私<が一体化してないですし、互いに相容れない存在です。

    > ちょっと寝かせておこうかな〜(;´・ω・)美味しさ↑?

    上記への返信はスルーでも結構ですよ。^^

引用返信/返信 削除キー/
■35444 / inTopicNo.43)  ウィリアム・ジェームズ( ..)φメモ
□投稿者/ うましか -(2023/12/10(Sun) 23:08:55)
    ◇ 池田光穂「主我と客我」

    https://navymule9.sakura.ne.jp/I_and_Me.html

    *******

    心の哲学まとめWikiの「意識の超難問」をながめていたら、

    https://w.atwiki.jp/p_mind/pages/133.html

    >心理学的分析
    自己意識の心理学的研究の出発点になったウィリアム・ジェイムズは、個人の自己意識を描写して「二重構造」であるとした。目的とする自己と、主体たる自己である。彼は、知っている自己、すなわち、私( I )と、知られている自分、すなわち、私( me )を区別した。主格の私( I )は純粋な自我( ego )である。それにひきかえ、目的格の私( me )は私が意識しているかも知れぬたくさんのもののうちの一つであって、三つの要素からなっている。ひとつは物理的な、あるいは物質的なそれ、ひとつは社会的なそれ、さらにひとつは精神的なそれ、である。ジェイムズは注意深く指摘する。これら二つの自己は「異なっている二つのもの」ではなくて「自己が差別された結果の二つ」である、と。<

    とあったが、参照した文献がよく分からなかったので、調べてみた(;´・ω・)
引用返信/返信 削除キー/
■35414 / inTopicNo.44)  >私<私>私<独在論の倫理論(;´・ω・) 
□投稿者/ うましか -(2023/12/10(Sun) 21:30:10)
    パニチェさん、こんばんはー

    No.35392(パニチェさん)

    私の求めに応じてくださり感謝です!m(__)m

    >>ところで、パニチェさんに一つお伺いしたいことがあります。永井の『〈私〉のメタフィジックス』では、ソリプシズム論を展開する冒頭「他我問題」から出発します。パニチェさんの「〈私〉」論では、他我の存在はどう扱われるのでしょうか。(うましか)

    *******

    >永井氏の『〈私〉のメタフィジックス』は最初期に書かれた書籍ですね。冒頭の「他我問題」は「意識の超難問」と同じく言語化できない〈私〉を議論する前に〈私〉を浮き上がらせるための序章であると読解しています。

    >カニッツァの三角形で例えれば言語化できない〈私〉は中心部に浮き上がっている無色透明な三角形であり、それを浮き上がらせる役目を果たす「他我問題」や「独我論」「意識の超難問」は“くの字”や“パックマン”です。

    >>〈私〉のような存在は唯一無二であり、他者に〈私〉を認めない

    >〈私〉と同じ存在様相は認めませんが、他者にも唯一無二の〈私〉(自我でもいいですが、この場合は〈私〉と区別し、>私<と表記します)が存在することは認めます。

    >>これが〈私〉論、つまり独在論のエッセンスだとすると、この観点から倫理論は可能だとおもわれますか? (うましか)

    >唯一無二の>私<を他者にも認めていますから、当然、倫理論は可能ですし、むしろ〈私〉に気付いている方が他者をより尊重しようとする気持ちは強くなると思います。

    >ちなみに他者が>私<の存在に気付こうが気付かまいが、存在することは揺るぎません。ある意味では見性している雪担老師や愚さんが述べられていた「見性しようが見性しまいがもともと仏であることには変わりない、それに気付くか気付かないかだけの違い」という感覚とかぶるなあ〜と最近考えています。

    *******

    カニッツァの三角形について、パニチェさんは以下のように述べておられます。

    >カニッツァの三角形で例えれば言語化できない〈私〉は中心部に浮き上がっている無色透明な三角形であり、それを浮き上がらせる役目を果たす「他我問題」や「独我論」「意識の超難問」は“くの字”や“パックマン”です。(パニチェさん)

    誤解かもしれませんし、素朴な思いつきではありますが、言語化できない<私>を中心で浮き上がらす諸図形を>私<と解釈するのは、いかがでしょうか。

    正直私としては、自身の思いつきが

    >〈私〉と同じ存在様相は認めませんが、他者にも唯一無二の〈私〉(自我でもいいですが、この場合は〈私〉と区別し、>私<と表記します)が存在することは認めます。(パニチェさん)

    と齟齬が生ずるかな〜と迷ってはいますが…
    カニッツァの図形において、唯一無二の<私>と唯一無二の>私<が一体化しているとすれば、、、<私>を浮かび上がらせているのが>私<とすると、>私<が図形として有る以上、"言語化できない"<私>とどう折り合いをつけたらよいのか今のところ途方にくれています。

    ちょっと寝かせておこうかな〜(;´・ω・)美味しさ↑?
引用返信/返信 削除キー/
■35392 / inTopicNo.45)  うましかさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2023/12/10(Sun) 08:50:19)
    おはようございます、うましかさん。レスありがとうございます。

    No35375に返信(うましかさんの記事)

    > 心温まる返信ありがとうございます。

    どういたしまして。

    > 私がこの手のテツガク的なテーマについて(書きながら)考えるときは基本モノローグでツラツラ思いつきを書き連ねていくスタイルをとりますので、「横レス」は正直耳に入らないノイズに等しいのですが、、、テーマはソリプシズム、永井やもちろんパニチェさんの〈私〉論も意識していないわけではありません。なのでパニチェさんのコメントはこの手の思考を暗中で模索する私の進行方向を調整していくうえでの、おそらくは唯一の刺激、灯だと感じております。ありがとうございます。

    そう言っていただけると有難いです。私にとっても、この手のレス交換は自分の考えをまとめたり進展させたりする刺激に満ちていますので、こちらこそありがとうございます。

    > さて私のこの手のテーマに対する思考のスタイルについて、長きにわたって私自身の頭から離れないモットーに近い言葉があります。それは、"カントの"「あらゆる私たちの認識が経験をもって始まるということ、このことには全然疑う余地はない」(『純理』,序論第二版)、もう一つはウィトゲンシュタインの「言語を以ってしては言語の外に出ることはできない」(『哲学的考察』)です。

    > というわけで、私は常に自分の経験、言語では日常的使用、語感を頼りに思考を出発する一方で、例えば、不明な或ることAについての(言語による)説明付けが、既にAという言葉の(言語による)意味を前提としているという困難を感じてもいます。もう一つ、言語化不可能とされる〈私〉について説明する場合に言語を用いなければならないという困難さとすれば理解していただけるでしょうか。

    はい、パニチェも〈私〉の探究において同じもどかしさを持つ者として、よく理解しているつもりではいます。^^

    > ここまで書いてちょっと疲れた
    > ちなみに「独在論」については、今のところ関心外といいますか、まだそのテーマに至る遥か手前の段階とでも言ったらいいのかな。

    先の私のカキコは蛇足でしたね。上記了解しました。

    > *******

    > ところで、パニチェさんに一つお伺いしたいことがあります。永井の『〈私〉のメタフィジックス』では、ソリプシズム論を展開する冒頭「他我問題」から出発します。パニチェさんの「〈私〉」論では、他我の存在はどう扱われるのでしょうか。

    永井氏の『〈私〉のメタフィジックス』は最初期に書かれた書籍ですね。冒頭の「他我問題」は「意識の超難問」と同じく言語化できない〈私〉を議論する前に〈私〉を浮き上がらせるための序章であると読解しています。

    カニッツァの三角形で例えれば言語化できない〈私〉は中心部に浮き上がっている無色透明な三角形であり、それを浮き上がらせる役目を果たす「他我問題」や「独我論」「意識の超難問」は“くの字”や“パックマン”です。

    > >〈私〉のような存在は唯一無二であり、他者に〈私〉を認めない

    〈私〉と同じ存在様相は認めませんが、他者にも唯一無二の〈私〉(自我でもいいですが、この場合は〈私〉と区別し、>私<と表記します)が存在することは認めます。

    > これが〈私〉論、つまり独在論のエッセンスだとすると、この観点から倫理論は可能だとおもわれますか?

    唯一無二の>私<を他者にも認めていますから、当然、倫理論は可能ですし、むしろ〈私〉に気付いている方が他者をより尊重しようとする気持ちは強くなると思います。

    ちなみに他者が>私<の存在に気付こうが気付かまいが、存在することは揺るぎません。ある意味では見性している雪担老師や愚さんが述べられていた「見性しようが見性しまいがもともと仏であることには変わりない、それに気付くか気付かないかだけの違い」という感覚とかぶるなあ〜と最近考えています。


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■35385 / inTopicNo.46)  地雷ふんじゃったかな(;´Д`A```
□投稿者/ うましか -(2023/12/10(Sun) 02:11:41)
引用返信/返信 削除キー/
■35381 / inTopicNo.47)  うましか、インド哲学へ!(*‘∀‘)
□投稿者/ うましか -(2023/12/09(Sat) 21:49:33)
引用返信/返信 削除キー/
■35375 / inTopicNo.48)  パニチェさんへ
□投稿者/ うましか -(2023/12/09(Sat) 12:22:19)
    2023/12/09(Sat) 12:46:58 編集(投稿者)

    心温まる返信ありがとうございます。

    私がこの手のテツガク的なテーマについて(書きながら)考えるときは基本モノローグでツラツラ思いつきを書き連ねていくスタイルをとりますので、「横レス」は正直耳に入らないノイズに等しいのですが、、、テーマはソリプシズム、永井やもちろんパニチェさんの〈私〉論も意識していないわけではありません。なのでパニチェさんのコメントはこの手の思考を暗中で模索する私の進行方向を調整していくうえでの、おそらくは唯一の刺激、灯だと感じております。ありがとうございます。

    さて私のこの手のテーマに対する思考のスタイルについて、長きにわたって私自身の頭から離れないモットーに近い言葉があります。それは、"カントの"「あらゆる私たちの認識が経験をもって始まるということ、このことには全然疑う余地はない」(『純理』,序論第二版)、もう一つはウィトゲンシュタインの「言語を以ってしては言語の外に出ることはできない」(『哲学的考察』)です。

    というわけで、私は常に自分の経験、言語では日常的使用、語感を頼りに思考を出発する一方で、例えば、不明な或ることAについての(言語による)説明付けが、既にAという言葉の(言語による)意味を前提としているという困難を感じてもいます。もう一つ、言語化不可能とされる〈私〉について説明する場合に言語を用いなければならないという困難さとすれば理解していただけるでしょうか。

    ここまで書いてちょっと疲れた

    ちなみに「独在論」については、今のところ関心外といいますか、まだそのテーマに至る遥か手前の段階とでも言ったらいいのかな。

    *******

    ところで、パニチェさんに一つお伺いしたいことがあります。永井の『〈私〉のメタフィジックス』では、ソリプシズム論を展開する冒頭「他我問題」から出発します。パニチェさんの「〈私〉」論では、他我の存在はどう扱われるのでしょうか。

    >〈私〉のような存在は唯一無二であり、他者に〈私〉を認めない

    これが〈私〉論、つまり独在論のエッセンスだとすると、この観点から倫理論は可能だとおもわれますか?

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